イオンなう。津田沼イオンにクルマ止めて東京へ行ってたのに東習志野まで来てるっていうねwどんだけ好きなんだよww明日は撮影のあとかつただい。きょうは徹夜で数学の勉強するぞ!笑 – from Instagram

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太くて長い鼻毛が抜けると、その日は本当に1日いいことが起こる気がしてならない。どうしよう、二十代前半の可愛い娘にいきなり告白されたら…(x x)☆\バキッ – from Instagram

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家族集合写真とか…

きょうは四街道で、幼稚園の体操・新体操の発表会だったんだけど、発表会の前後に、外の看板の前とかで、家族の集合写真とかを撮るわけですよ。少しでも売上を向上させるために。

むかしはこの家族に声をかけて、集合写真を撮る、っていうのが苦手で苦手で仕方がなかった。

やっぱり自分は独り者で、という、負い目?コンプレックス?劣等感?みたいなのが拭い去れず、どっかに、なんで独りもんのおっさんが、こんな幸せそうな家族の写真を撮らなきゃいけないんだ、と心のどこかで思ってたんだろうね。そういう負の感情は、まったくなくなったなあ。

なんでかって考えたんだけど、まあ慣れたっていうのも大きいとは思うんだけど、それだけじゃないな。たぶん自分が少しだけ人間的に成長したんだと思う。子どもの写真を撮るにしても、むかしはどっかに単なる仕事っていう意識があったんだけど、だんだんと、その子どもの親の気持ちになって撮るようにしてる。時分割で、高速で切り換えるわけね。

だれかがいってたのか、自分で気がついたのか、忘れちゃったけど、たぶん、親は、自分の子どもが世界でいちばん可愛い、かっこいいと思ってると思う。客観的にどうであるかは別にして。っていうか、親ってそうじゃないとダメだよね。きっと自分の親もそうやって僕を育ててくれたに違いない。サッカーでも、新体操でも、自分の子どもが上手いとか下手とか、そういうことは関係なく、自分の子が最高だって思ってると思う。そう思いながら、僕も写真を撮るようにしてるのね。それも、無理やりにそう思おうとしてるってわけじゃなく、けっこう自然に、そう思えるようになってきたというか。そうすると、いい写真が自然にいっぱい撮れるよね。被写体は自分の鏡だから。

きょうも、朝の看板前の家族集合写真、それから終わったあとの歩きながらの家族スナップ、どっちもいい写真がいっぱいあって、倒れそう。というのは大げさだけど、なんかとっても幸せな気持ち。人の写真を撮って死んでいけたら、こんなに幸せな人生はないなあ。とくに長生きしたいっていう欲もないので、あと5年とか10年後に脳梗塞とかでポックリ死んでも、とくに後悔はない。来世はベトナムかインドか南米かアフリカの山奥に生まれて、都会に出たときに仏法に出合って、その村の一粒種となって、この仏法を弘める、そんな人生がいいなあ。日本もいい国だけど、そろそろどっかに行きたい。笑

このあとイオン謹製甲類焼酎紙パック1.8Lのお湯割りでも飲んで寝ますかねー。

そうそう、きょうは近所の同世代の男性のお宅を訪問して、地獄と天国のお箸の話をさせてもらったんだけど、ぜんぜんピンときてなかったみたい。知ってますか。お釈迦様が地獄に偵察?に行ったら、みんなお腹を空かせてた。なんでか。箸が長すぎて、食べ物を自分の口に運べないのだ。お釈迦様がこんどは天国に行ったら、やっぱり箸は長かった。でもみんなしっかりごはんを食べれてた。なんでか。長い箸を使ってお互いに食べ物を食べさせてあげてたから。

なんかすごいシンプルな寓話だけど、ものすごい大事な真理を含んでるよね。トランプとか見てると、いまの時代にいちばん必要なことなんじゃないかっていう気がする。

人のために火を灯せば我が前明らかなるがごとし

人のために火を灯す人生を送りたいなあ。
自分が幸せになるかどうかは、けっこうどうでもいい、というか、自分が幸せになることを人生の目標にするのは、ちょっと味けないよね。うん、味けない。さっき書いたことと矛盾するかもしれないけど、動物だって、自分の子どもとか家族とかを大事にするんじゃん。人間に生まれたからには、それだけじゃあなんか物足りないというか。せっかくこの21世紀に生きてるわけだし。ね。

一昨日の画像整理を終わらせ、寄り合い(勉強会)に参加して帰ってきて、昨日の画像整理をガシガシ進めてるとこ。フォルダ分けは昨日のうちにやってあるから、あとは3000枚の画像を取捨選択して半分くらい?にする作業。人それぞれだと思うけど、僕のやり方は、枚数の多いメインコンテンツはあとに取っておいて、周りからじわじわやっつける感じ。昨日は幼稚園のマラソン大会だったから、移動の様子とか、その他スナップとか表彰式の様子とかを先に片付けて、最後にマラソンの走ってる様子のフォルダをじわじわ攻めていくというか。いま年少の女子と男子を終わらせて、残りは年中と年長の男女。今日中にやっつけてもいいんだけど、あしたも6時半起き?なので、残りは明日の撮影のあとにやろうかなと。今日現在の画像整理途中の画像フォルダ全体を外付けHDDにもコピーして。万が一、デスクトップPCがクラッシュしても大丈夫なように。クラッシュギャルズ。関係ないけど。なんの話だっけ。

ぼくは子どもたちがご飯を食べてる写真と、走ってる写真が、なんかとくに好き。どっちもしあわせな顔をしてるから。一生懸命な顔を。最近はホンモノの?マラソン大会とかじゃなければ、ほとんど28-300mmで撮ってる。そりゃあ本格的な望遠ズームの70-200mmとかに比べたら、AFはほんの少しは遅いかもしれないけど、でも思ってたよりずっと高速。運動会とかも幼稚園から高校まで、ほぼこの28-300mm一本で撮る。

むかしデジカメ雑誌の編集をやってたとき、機種ムックとかでレンズ紹介のページを担当することがよくあった。そういうとき、この手の高倍率ズームは、お手軽レンズとして紹介されることが多く。まあ、趣味の本だから、基本、ズームは手抜きというかお手軽、高倍率ズームはその権化で、単焦点レンズはどこまでも崇高な存在、みたいな。けど、僕も単焦点レンズ好きだし、そういう価値観を否定はしないけど、いま仕事で28-300mmを毎日のように使ってて、仕事の写真のほとんどをこのレンズで生み出してるけど、それを考えると、お手軽という言葉はどうかわかんないけど、便利で悪いの、とかなり強く思うよね。だって、このレンズを付けてないと撮れない写真を毎日、大量に生み出してるからね。

篠山紀信がむかし写真家を紹介するNHKの番組に出てて、小林のりお先生のときに、写真はいまのカメラで撮るべきだと思ってる、っていってて、けだし名言、と思った。懐古趣味じゃなくて、写真ていうのが時代と切り結ぶことによって成立する表現(べつにアートでもいいけど)だとしたら、やっぱり今の時代のカメラとレンズで写真を撮らないと、写るものも写らないと思われ。コントラストばりばりのモノクロ写真とか、いいよね、もう。タムマシンで昭和に行ってくれって思う。笑

それはそれとして。プアマンズ黒霧島といわれるw イオン純正の焼酎紙パック1.8Lのお湯割りを飲んでる。んまい。っていうか、お湯割りにしたら、芋でも麦でも工業アルコールでも、なんでもたいして変わらんのよね。

なんの話だっけ。あしたも四街道で子どもたちが跳んだり跳ねたりしてる写真をいっぱい撮ってくる。楽しみで仕方がない。尊敬してる大先輩のカメラマンさんと、ひさしぶりの同じ現場だしね。

いやー、まぢうめえ。

最近、fbの日記を全面公開にしたんだけど、いまのところ、トラブルとかは何も起きてない。悲しくなるくらい。笑 というか、僕は本当は内気な男で、あんまり世の中に向かって何かを発信したいとか思うタイプじゃないんだけど、どっちかというと、自分のよく知ってる、大好きな仲間たちだけに、静かに何かを伝えたい、と思うタイプなんだけど、だから匿名・アニメアイコンの連中は死ね(とはいってないけどw みたいなツイートをして、炎上しちゃったりもしたけど、僕はなんとか元気です、みたいな。

いやー、宅飲みはいいね。究極の宅飲み。笑

いつまでも広い一軒家に一人で住んでるのもバカらしいので、叩き売って借金返済の足しにしてアパートにでも住むか、あるいはなんか事業を興して空間を有効活用するかといろいろ考えるのだが、妙案は浮かばず。

最近、日本の多くの家屋が木造であることをしみじみ考えるんだよね。あと、マンションってやっぱり集合住宅だし、寿命ってものがあることを考えると、住めるのは何十年かというのが限界だよなあ、とか。もちろんそれは木造の一戸建ても同じなんだけど。建て替え不要、あるいはものすごく長寿命のマンションっていうのが、いまというかこれからの時代、すごく求められてる気がするんだけど、違うのかなあ。まあ、頭のいい人たちが、そんなことはとっくに考えてるでしょ。基本構造、骨組みだけは半永久的に使えるような頑強な造りにして、水回りとか、各戸のいろいろはそのつど総取っ替えできるような、そんな素敵なマンションを。
ええやん!
つっこみわけわけ

一昨日の画像整理、終了。やろうと思えば、できるんだよな。一昨日の撮影現場は1年ぶり2回目だったと思うんだけど、子どもたちがみんな人なつこくて、可愛くて、写真を選んでいて幸せな気持ちに満ちあふれた。なんでもっと早く画像整理やらなかったんだろう。笑 けど、あたしは若いお姉さんには好かれないけど、子どもや動物にはなぜか好かれる。若いお姉さんはどっちかというと、この人は私を人生に渡って守ってくれるかしら、という観点で男を見てるのに対して、子どもや動物はもっと人の本質を見てると思われ。とかって書くと、僕がなんか本質的にいい人間みたいに聞こえるよね。笑 それは誤解かもしれません、なんつて。そんなことはどうでもいいんだけど。これも何度も書くけど、他人の子どもでもこんなに可愛いんだから、自分の子どもがいたら、どんなに可愛いんだろう、って思うよね。できれば子どもというものを持ってみたいと思うけど、ユニクロやドンキで気軽に買ってこれるわけでもないし、持つには生んでくれる相手がいるし、それにはまずは経済的にしっかりと自立しなきゃ、ということで、たぶん僕が今世で子どもを持つことはほとんど無理だと思うけど、まあそれはそれとして、他の人の子たちをしっかりと見守っていけばいいんじゃないかな、という気もしてる。ある指導者が、その師匠に、君は外国語を勉強する必要がない、っていわれた、っていうエピソードを思い出す。とはいえ、できれば自分の子どもが欲しいけどな。嫁さんよりも子どもがほしいなあ。笑

それはそれとして。これから重要な寄り合い(勉強会)、近所のおじさんふたりを誘って。帰宅してからは昨日の画像整理をやるぞ。もうフォルダ分けはしてあるから、そしてひとつひとつのフォルダ内の画像が400~500枚だから、なんとか休み休みやれば、今日中に終わると思う。あしたも四街道まで撮影に行ってくる。

撮影は楽しいなあ。1年を撮影でびっしり埋めれば、こんな幸せなことはないのだが。なんかもっとガシガシ営業して、今年は撮影でカレンダーがあふれるくらいにしたいなあ。祈って智慧を湧かせよう。

「沖縄ヘイト」批判、MX幹部「チェック甘かった」:朝日新聞デジタル

この問題、貧すれば鈍するを地でいってるよな。後発の東京ローカルの民放、MXテレビは広告収入もたいしたことないだろうし、こうやって番組枠をプロパガンダみたいなのに切り売りすることで、なんとか経営を成り立たせているんだろう。けど腐っても地上波、一方的なデマを垂れ流すなんてことが、あっていいはずがない。徹底した追及を期待したい。

 沖縄の米軍基地反対運動を取り上げた東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)の番組が、波紋を広げている。人種差別的な発言や歪曲(わいきょく)があったとする批判に対し、制作会社が問題はないとの見解を…

情報源: 「沖縄ヘイト」批判、MX幹部「チェック甘かった」:朝日新聞デジタル

昨日と今日の撮影を終え、ホッと一息ついているところ。画像のPCへの吸い出しは撮影後すみやかに行い、もう少ししたら、昨日の画像整理から順次進めていこうと思ってる。

昨日は事前の連絡では13時半に撮影が終わるということだったんだけど、フタを開けてみたら昼前に撮影が終了し、そっこー帰宅。ご飯を食べて、画像の吸い出しを行い、すこし昼寝でもしようかな、と寝室に行って横になろうと思った瞬間に、思い出した。あ、勝田台で留守番を依頼されていたんだった、と。時計を見たら、13時半。いやー、寝なくてよかったよ。笑 大急ぎで勝田台に向かい、留守番を含め、3コマやって22時半ごろ帰宅。つかれた。しっかり祈って、今日に備えて早めに寝た。

今日は四街道まで。幼稚園のマラソン大会。帰ってくる途中で、あれ、昨日の撮影はなんだっけなあ、と思い始め。最近、脳の老化が進んでいるのか、昨日なにをしたか忘れてることがあまりにも多い。うーん、スケジュール表を見れば確認できるけど、それだと切ないので、思い出そう、と思い。たしか、今日とは違う写真屋さん、よくお世話になっている…。で、撮影現場は、そんなに遠くなかった気が。船橋市内じゃないけど、高速で行くような場所じゃなかった…。しばらく脳内grepして、思い出した。あ、八千代台の駅前だった。思い出せて、ホッと一息。ありがたいことに、明日も明後日も撮影だけど、どちらも昼過ぎには終わりそうなので、夕方からはがっつり地域活動に汗を流そう。仕事もたしかに広い意味での社会貢献だけど、自分の生活をあれするために働いてるだけじゃあ、世界はあんまり平和にならないと思われ。仕事プラスアルファの地域活動が、きっと必要なんだと思う。

それから、昨日気づいたことが。ひとのために火を灯せば、我が前あきらかなるがごとし、っていう金言があるけど、これって、いままでは、ちょうちんみたいなのを、だれか目の前にいる人に向けて、ほいっ、ってやるんだとイメージしてたけど、それだと、ひとのために火を向ければ、くらいにしかならないよね。そうじゃないんだ。人のために火を灯せば、だから、火打ち石かなんかで、カチカチいいながら、火を灯しつづけなきゃいけない。そうか、そうだよな。そうでなくっちゃ。と妙に安心したというか、ホッとしたというか、納得したというか。火を灯しつづければいいんだ。そうやって人生を終えればいいんだ。もしかしたら、自分の幸せとか満足感みたいなのって、あとからついてくることだろう。というか、人のために火を灯し続けることがすでに、幸せとか満足感を含んでいるというか。そういう生き方をする人がこの地球上に少しずつ増えていけば、きっとおかしな戦争なんて、恥ずかしくてどんどん消えていくと思われ。