12月17日(水) プノンペン(カンボジア)

明日の朝、シェムリアップに向けて出発します。5時半起床、6時半出発。
シェムリアップまではバスで8時間の道のりです。どんなカンボジアの風景と出会える
のでしょうか。

昨日、市内ツアーで行ったキリングフィールド、トゥールスレン博物館、とても
重かったです。印象深いというよりも、重い。

ほんの20数年前、カンボジアでは、当時の国家権力によって、200万人ともいわれる
自国民が虐殺され。

日本に帰ったら、カンボジアの現代史も、勉強しようと思っています。まず最初に読むのは
「ポルポト伝」でしょうか。彼らがどのように権力を掌握し、どのように狂っていったのか。
ポルポトとともに、興味を覚えるのは、現国王のシアヌーク殿下ですね。カンボジアの現代史に
あって、彼ほど数奇な運命を辿った人間は、いないと思うからです。

キリングフィールドにあるのは、掘り出された頭蓋骨を納めた中央の大きな慰霊塔と、
そのそばにたくさんある、犠牲者の遺骨を掘り出した大きな穴です。どの穴にも、Mass Grave
(おおぜいの墓)と書かれており。

トゥールスレン博物館では、最初、囚われて虐殺されていった人たちのドキュメンタリーフィルムを
見ました。そのあと、4棟ある建物を見学して回りました。D棟では、関係者のその後を取材した
写真展が開かれており、また、残酷な拷問を描いた絵や、拷問に使われた器具が展示されていました。
C棟には当時のままの独房、それから雑居房が、そのまま残されていました。
B棟には、収容された人々のポートレートが、ものすごくたくさん、展示されており。
そしてA棟の1階には、尋問に使った鉄のベッドが残されていました。壁には、拷問で殺された人が
鉄ベッドに横たわる写真が一枚ずつ貼られていました。

全部の棟を回って、そのあとに考えていたことは、こんなことです。

よく僕らは、非常にショックなことに遭遇すると、言葉を失う、って簡単にいいますが、
このことだけは、言葉を失ってはいけない、そう思います。人類全体の負の遺産として、
あるいは教訓として、二度とカンボジアの悲劇を地球上によみがえらせることのないよう
しっかりと勉強、していきたいと思います。

たぶん、わかりませんが、ものすごくおおざっぱに言うと、クメールルージュ(ポルポト派)
というのは、あさま山荘事件を起こした、連合赤軍みたいな存在だったのではないかと
思います。ものすごく急進的な共産主義革命を標榜する……。不思議なのは、どうして
彼らがカンボジアにおいて、政権の座に就くことができたのか、ということです。

勉強するしか、ないですね。書籍を読みあさって。

博物館で見たドキュメンタリーフィルムで、遺族のおばあちゃんが、I don’t understand.
っていう言葉を何度も何度も口にしていたのが、とても印象的でした。

今日は午前中、そして午後も、王宮そば、リバーサイドまで行ってきました。
あ、午前中は市場の取材が主でしたね。午後は川沿いに夕涼みに来ていた家族などを
写真に撮り。

何枚か、いい写真が撮れたような、気がします。

人の写真を撮るのは、本当にむずかしいと思います。
たぶん、どんな立派な写真家でも、他人にレンズを向けるときは、相手が職業モデルでも
ない限り、とても緊張するんだと、思います。

でも、大事なのはそこからだと思います。

彼もしくは彼女を撮りたい、その気持ちの純粋さを自分で信じられるのであれば
被写体の人物がどんなリアクションを返してこようが、怖れることはないと思われ。

ここでは、視線にひるむな、ということを
いいたいとおもいます。

カメラを向けて、たとえば、睨み返されたとしても、
それでなにか悪いことをしているような気持ちになるのであれば
はじめから、写真なんか撮らなければいいんです。

もしどうしても撮りたければ、1カット、シャッターを切って
会釈して立ち去ればいいのであり。

人の写真は、本当に難しいと思う。
だからこそ、撮る価値もあるんだと思う。
なかなかうまく、撮れないけれども。

日本に帰ったら、何年かぶりに万年筆と、ブルーブラックのインクを買って
遠い友だちに、手紙を書こうと思う。誠心誠意、気持ちを込めて。伝わるかどうかは
わからないけれども。

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