若者とSNS考

昨日だか、最近の若者のSNSとの付き合い方について、おっさんとして考察してみた。

いまの若者はスマホとか持ってることが当たり前で、たとえばInstagramとかだと、同級生とか昔の友だちとか、フォロー/フォロワーの関係が数百人とかっていうのも珍しくないんだと思う。写真をアップすれば、たちまち「いいね」が山ほどつけられて、それって楽しいことなのかもしれないけど、でも逆を返せば、「相互監視」といえないこともない。むかしはスマホとかSNSとかなかったから、まあせいぜい休みの日の私服とか?髪型とか?制服の着こなしとか?あと学校の成績とか?部活の頑張りぐあいとか?自分をアピールする材料って限られてた気がする。たとえば高校生だったら、地元に帰れば、地元の付き合いがあったりして。

けどいまはSNSがあるから、あるいみ四六時中、良くも悪くも、情報発信してなきゃいけない。それってつまり、自分をどう見せるか、みたいなことをつねに考えなきゃいけないってことで。それってけっこう苦痛じゃね?と思ったりもするわけで。半世紀近くも生きてて、2つの会社で正社員として12年も働いて、あとジャンルは広いとはいえないけど、まあそれなりにいろんな仕事を渡り歩いてきて、自分ってだいたいどんな人間かってことが自分でも分かってるし、周りの人たちに自分がどういう風に見られているのかも大体理解してる。いまさらそれを大きく覆そうなんて思わないし、そもそも無理だし。でも若者は違うよね。いい意味で可能性の固まりだし、社会的な人間として考えたら、まだ首の据わってない赤ちゃんみたいなもんじゃない? だから、良くも悪くもSNSとかで意識するかしないかは別にしてセルフブランディングみたいなことをやらなきゃいけないって気になってくるんだろうね。そうか、それでtwitterとかでアカウントをいっぱい持って、相手によって使い分けるという術が必要になってくるのかな。いまふと思ったけど、球体である地球を平面に正しく移すことはできない。だもんで、ミカンの皮みたいにあちこちに切り込みを入れると、まあそれなりに原形をとどめた形で平面に移せる、みたいな。そんな地図があるよね。

なんの話だっけ。だからおっさんとしては、そういう若者のSNSにおける苦闘というか藻掻きというか奮闘みたいなものを温かく見守るっていう姿勢がとっても大事だよね。なんかかなりテキトーな結論だけど。

twitterとかInstagramはもうすっかり定着したけど、これからも、まだ見たこともない、僕らの生活を一変させるようなSNSがきっと次々と現れることだろう。まああんまり無理しないで、すこし背伸びしたり、お化粧したり、オシャレしたり、かっこつけたり、っていうくらいで、自分をどんな人間に成長させていくかってことをメインに据えながら、SNSを楽しめばいいんじゃないですかねー。なんのオチにもなってませんが、そんなことをつらつらと思いました。昨日は石川とback number談義に花が咲き、とってもカラオケに行きたい気分が高まってるおっさんのオグラでしたーw

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