魚たちと僕と

なんかその気になったので(?)、こないだ撮影の仕事で鴨川シーワールドに初めて行ったときのことを書こうかと思う。

僕は千葉県民なのにもかかわらず、鴨川シーワールドに、いままで行ったことがなかった。
なのでちょっと舐めてたというか、高をくくってたところがあったように思う。いままで僕が行った水族館は、葛西臨海公園だったり、あとは八景島シーパラダイスあたりか。鴨川シーワールドも、まあ、あのくらいの規模なのかな、と思ってたのさ。

そしたら、なんかイヨーに広い。知ってる人は知ってると思うけど、海沿いの国道と、海岸とのあいだの帯状の敷地、そうだなあ、1kmくらいに渡って施設が並び。端から端まで歩くのは骨が折れる。本当に折れるわけではない。

で、某スポーツ教室の泊まりがけのイベントに参加したキッズたちを追って、施設の中をカメラをもってずっと歩いてたんだけど、撮影を忘れて、水槽に目が釘付けになることが、幾度もあり。

ここだけの話、正直わたし、動物園とか水族館のたぐいって、正直、好きじゃない。好きじゃなかった。なんというか、人間のエゴのために囚われの身になってる動物たちの姿をみてると、なんかものすごく感情移入しちゃうんだよね。たぶんそれは、僕が縛られるのが大嫌いという性癖をもっているから。狭い場所に閉じ込められて、残りの人生を送るなら、いますぐ死んだほうがマシだ、って半分以上本気で思ってる。まあ、魚たちや動物たちがどう思っているかは聞いてないから分かんないんだけどね。

でも、鴨川シーワールドを歩き回るなかで、水族館ギライの僕も、感服するしかなかった。だって、採集、保存、展示している海洋生物の種類、ハンパないんだもん。

くらげの水槽、知ってますか。何種類かのくらげが、その種類ごとに別々の水槽に入れられて、みんな思い思いに泳いでる。あれまぢやばいよね。最新のサイケなデジタル映像を見せられてる感じ。ずっと見てるとトリップできそうな。あのコーナーだけでも、数時間ずっとたたずんでいたいよ。

あと、珊瑚礁の魚たちが円筒形の水槽に入れられてるコーナー。イソギンチャクのお友達、黄色いクマノミが何百匹も泳いでる水槽、つい動画を撮ってInstagramでアップしちゃったけど、まぢやばい。彼らはどういう指示系統でああいう統率された泳ぎを繰り広げてるんだろう。

Yuichi Oguraさん(@yuicog)が投稿した動画

極めつけは、キッズたちがそばに布団を敷いて寝た、巨大水槽。ガラスの厚さ25cmですって。サメやエイや、さまざまな魚が勝手気ままに泳いでる。もちろん、狭いところを気の毒だなあと思う気持ちもあるんだけど、それ以上に、ここまでのオブジェを作り上げた人間たちの努力に舌を巻くほかない。ほんとにすげえ。もうね、撮影の合間に、ボーッとこの巨大水槽を眺めてたんだけど、これが人間の作り出したモノじゃなく、自然の世界のごく一部を人間が再現したモノだっていうのが、不思議。おそらくは、世界中の海の底で、何千倍もものすごい規模で、こういう不思議な世界が誰にも知られずにドバーッとどこまでも広がっているのであり。この世界を作り上げたのは神か? いや、違うよな。

鱗をギラギラさせながら一時も休まずに泳ぐ魚たちの群れを見ているうちに、あ、これは自分の中にあるんだな、と思うようになった。この世界は自分の外じゃない。自分の心の中に、この壮麗な無限の命の群れが、ずっと泳ぎ続けてる。ああ、そうなんだ、と思い至った。強い確信といってもいい。急に思ったことだけど、単なる思いつきとは思わなかった。

そう思えたら、なんかものすごく安心したというか。これでいいんだ、と思えたというか。人は、僕は、孤独だけど孤独じゃない。いつも賑やかな無限の命の連鎖に囲まれて生きていくし、その中で死んでいき、そしてまたすみやかに生を受けるのだろう。

鴨川シーワールドに行った日の翌日か、その翌日あたり、自宅一階の和室兼仏間で仏壇に向かおうと思ったら、窓ぎわのほうに詰んである撮影機材の山のあたりに、茶色の物体が。

いままでだったら、ギャーッてなもんで、しばらくその部屋には近づかない、って感じだったんだけど、なんかその日は違ったのね。まあいいや、出るなら出てくれ。君も君の生を、精一杯生きてるんだもんな。俺がどうこうする筋合いのモノでもないよな。といいつつ、台所の隅々には黒くて丸いプラスチックのお守りを置いて結界を作ったけどね。ごめんね、できれば気配を察知して、どこか遠くで元気でいてほしい。

外を歩くときは、なるべくアリさんを踏まないように下を向いて歩くけど、でも、それでも、僕らの目に見えないバクテリアとか微生物とかは歩く一歩一歩ごとに、盛大に殺して歩いてるんだ、僕たちは。それが事実さ。白血球がまいにち盛大に殺してるバイ菌のたぐいだって、命には違いない。もちろんムダな殺生はよくないと思うけど、でも殺し殺され、というのが生の世界の実相だと思う。前から書いてるけど、生き物ってある意味、だれかの食べ物になるために生きてる、のかもしれない。じゃなかったら鮭があんなに美味しいはずがない。もしかしたら、この世に生まれて、だれかの「ごはん」になることは、生き物として、幸せなことなのかもしれない。幸せはアレだったら、誇らしいことなのかも。

そんなことをつらつらと思いました。やっぱり、今年のお盆は『法華経の智慧』を再読したいなあと思っています。本当は、『御義口伝講義』、分厚い上下二冊、ずっと読みたいと思っていて、なかなか読めないでいるので、読み始めたいと思っているのですが。若い頃の母が、いつか息子が読むだろうと思って、お金もないなか、買っておいてくれたものなので(だって、あの人が自分で読むはずがない!)、母の思いをくんで、そのうち読破しなくてはならないと思ってます。本当は20代、30代のうちに、読んでおくべきなんですけどね。

以下、業務連絡(?)
やっぱ撮影の仕事だけだとカラダが悲鳴を上げるので、テキスト系の仕事を本格的に再開しようと思う。このご時世、やっぱウェブ系ってことになるのかな。ちゃんと稼ぐためには在宅だけじゃなく、通いも多少は必要になってくるようだ。ま、週に1、2回はしゃーないな。こっちの都合も聞いてくれるでしょ。って、まだ確定したわけじゃないけど、仕事はいくらでもありそう。あとはこっちのスキルというか、モチベーションのベクトルとどれだけ合うか、っていうのが肝心かな。ま、仕事なので、そんなに好きなことばっかりも、やってはいられないんだけどね。

あ、今日は朝3時に起きて、鹿嶋まで行って少年サッカーの撮影をしてきたんだけど、鹿嶋って鹿島アントラーズのお膝元だけあって、なんというか、サッカー少年の「裾野が広い」というか。それって層の厚さにつながるわけで。プロのサッカーチームを地域で育てるって、こういうことなんだなあ、って、初めて思った。たぶんきょう僕が撮った少年たちのなかから、オリンピックに出たり、海外のチームで活躍する選手が出てくるんだろうなあと思う。サインもらっておけばよかったw

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