運動会撮影とか。あるいは28-300vs24-120

きょうはさっきまでK丸の結婚式の3次会?(at 船橋)に参加してきて、めちゃめちゃ飲んだ~。いつもの勝田台メンバー。今年は9月の下旬から土日ごとに運動会の撮影がびっしり入ってて、次の土曜日まで。ちなみに10/28(日)は我孫子の手賀沼マラソン。

んで、幼稚園とか保育園の運動会って、園庭とか、小学校の校庭とか、あるいは体育館とかで開催されることが多いんだけど、あたしは最近、D4s一台で撮ると決めてる。たまに、一緒に入る厳しめのカメラマン(女性であることが多い)に、カメラ一台で、っていうと、「オグラさん、急にカメラが止まったらどうするんですか!」ってすごい勢いで怒られるんだけど、そのときはそのとき。笑 ニコンのカメラが急に止まる確率よりも、50歳90kg弱のデブのおっさんがカメラ2台を肩から下げてフットワークが重くなるほうが実害は大きいと思われ。

なんの話だっけ。そうそう、もうこの手の運動会も死ぬほど撮ってて、プログラムの競技名を見るだけで、どこでどうやって撮ったらベストショットがモノにできるか、瞬時に結論が出るわけで。ストロボを焚くかどうか、というパラメーターも、けっこう重要。フォーカルプレーンシャッターを持った、いわゆる一眼レフは、ストロボを焚きながら切れるシャッター速度の限界って、多くは1/250秒だったりするわけで。あたしの使ってるニコンのD4sとD810も、その例外ではないわけで。

だらだら話が長いですね。今日書きたかったことは、僕のメインレンズたるAF-S 24-120mm F4GとAF-S28-300mm f3.5-5.6Gのどっちを使うか、競技ごとに、そのつど考えるわけで。想像通り、近場で動き回って撮る場合は断然24-120だし、遠めからバシバシ撮る場合は自然と28-300になる。ここだけの話、僕はこの2本を選択できるっていうのがニコンユーザーの至福の喜びだと思っているのだが、しばらくキヤノンユーザーやってないので、わからん。ソニーユーザーは、たぶん、この先ないと思うし。

で、非力な僕は、28-300にストロボSB-910をつけたD4sを持つのがつらい。ので、28-300を使う場合はおのずとSB-910には外れててもらうわけで。まあストロボの光はそんなに遠くまで届かないので、28-300よりは24-120とのほうが、親和性は高いと思われ。24-120とストロボSB-910をつけたD4sなら、かろうじて構えることができる。

そんなことを競技ごとの短い幕間で、考えるわけですよ。で、悩んでいるうちに、今年の秋、新しい技を編み出した。僕は小さなポーチとかを身にまとって動き回るのもとっても嫌なので、外したストロボは外部バッテリーもろともカメラバッグの周辺に片付けておくのがいままでの流儀だったんだけど、この秋、たぶん9月下旬あたりか、外部バッテリーを首から下げたまま、ケーブルをストロボと繋いだまま、カメラから外したストロボをズボン(綿パン)の左のポケットに入れておく、というワザを編み出した。へその緒のようにスパイラルなケーブルは繋がってて、けっこう邪魔になるんだけど、まあ我慢のこっち側。

さっきも書いたけど、こんどの日曜は我孫子の手賀沼マラソンで、いままではずっとゴール周辺だったけど、どういうわけか、途中のポジションに変更になったので、ひさしぶりに土蔵から出してきた200-400が火を噴くと思われ。マラソン撮影の標準レンズたる70-200は未だ幽閉中なので、200-400が長すぎると困るんだけど。笑

来年の春にはD5にチェンジしたいなあ。ニコンのフルミラ(フルサイズミラーレス)、けっこう評判いいみたいだけど、あたしはまだしばらくは、いいや。次に買うとしたらD7200だなあ。18-140mmレンズとセットで10万円とかだっけ? 安すぎだよなあ。っていうか、幼稚園の撮影とかって、これでいいよね? クソ重たいD4sとか持っていく必要なくね? いや、だれかに持って行け、と言われたわけではないのだが。

あ、そうそう。最近思ったこと。某写真屋さんの公然の秘密に、会社設立当初からやってるカメラマンは死ぬほどギャラがよくて、あとから入ったカメラマンは死ぬほどギャラが低いという、いわばダブルスタンダード(?)が、いまだに続いていて。たぶん「契約上の問題で…」みたいな誤魔化され方をするんだけど、この某写真屋に勤めてる人たちは、何も感じないんだろうか。ずっと前から疑問に思ってるし、死ぬほどギャラをもらってるカメラマンに「そんな安いギャラじゃ仕事しませんよ~」なんて嘯かれて、死ねと思いながらも、仕事、ないよりはあったほうがいいもんな、と思いながらやってるけど、こんな公然の秘密を書いてしまう僕は、いよいよ干されてしまうのでしょうか。笑 それはそれで、いいんですけどね。笑

あたしは、生まれたときからの性分として、曲がったことが大嫌い。自分のことはわかんないけどね。それこそダブルスタンダードだったら、ご指摘くださいな。

最近、村上にあんまり呼ばれなくなって、いよいよ自分で塾を立ち上げたいなあ、という欲求がムクムクと大きくなってる。こないだみた、お腹を空かせた子どもの味方のたこ焼き屋さんみたいに、お金のないご家庭の子どもは、月謝をうんと割引にしたり、なんなら無料にしたりして、勉強を教えてあげたいな。もちろん金持ちからは、ガッツリ取る。笑

僕が教えられるのは、中学校から高校に入ってすぐまでの数学と英語くらいだけど、それでも学力をうんと伸ばせば、そのあとの人生って大きく変わってくると思うし。

村上の子どもたちに、思い出したら話してるんだけど、人間は、自由になるために生まれてきたんだ。自由っていうのは、自分の思うがままに生きるっていうこと。
で、人間はなんで生まれてきたか。宇宙は、「いのちを生み出したい。いのちを育みたい。生きとし生けるものを幸せにしたい」、そればっかり考えて、存在してるんだよ。人間が、これだけ、これだけの存在で生まれてきたってことは、その宇宙の願いを、手伝え、ってことだと思われ。

ここだけの話、これが仏の悟りだと思われ。むかしの仏典には、ものすごく言葉を尽くして、いろんなことが書かれてるけど、これだけ科学や医学が発達した21世紀に生きる僕たちは、聞けば、たしかにそうだな、と思えるだけの素養を持っているわけで。

そんなことを思うと、べつにいつ死んでも、なんの後悔もないな、と心の底から思うわけで。
けど、なかなか脳内の血管、破裂しないよな。明日あたりかな。笑

お葬式は、出してくれなくてもいいです。三番瀬の沖あたりに遺体は投げ捨ててくださいな。
あ、だれかが罪に問われると困るので、サツマイモと一緒に、そのへんの落ち葉で燃やしてくれればおk

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