荒涼たる校了

某写真雑誌、というかCAPA12月号で担当させていただいた特集の一部の
記事制作がようやく終わりつつあり。

さっき、1時間ほどかけて、後半ページのカメラの説明文とキャッチ、本文の
小見出し、それからページの大キャッチを考えてた。

この作業、けっこう好き。

前にも書いたと思うけど、僕が毎日新聞を辞めたのは、写真と文章と、
両方できる人間になりたいと思ったから。文章の修行のつもりで出版社に
入社したら、ホントは2年くらいで足を洗うつもりだったんだけど、なんか
不思議に居心地が良くて、それからずっとこの稼業に勤しんでる。

まあ、いまから思えば、新聞社の写真部に籍を置いていても、文章の腕を
磨いていくことは、できたんだろうけど。というか、よく考えてみたら、写真を
中心にしたフォトジャーナリストみたいな存在を目指すなら、あのままあと
5年くらい新聞社に在籍してたほうが、早道だったのかも知れないなあと
思わないでもない。あのころは、そのころ付き合っていたおねえさんと
別れることになり、実家のほうもいろいろバタバタしていて、なんというか
福岡を逃げ出したくて仕方がない心境だったのですね。ぶっちゃけていうと。

まあ、そんな昔の話をぐだぐだ書いてても、しかたないですね。
けど、僕がどんなに写真が下手でも、たぶん死ぬまで写真とかカメラって
もんにはずっと縁を保って生きていくんだろうな。なんかそんな予感がある。

すみません、今日の作業の余韻を味わっているだけでございます。

考えてみたら、いまの時間って、朝刊の締切が過ぎて、仕事場で酒盛りを
始める時間じゃなかったかな。楽しかったなぁ。夜な夜な繰り広げられる
デスクと記者ふたりとの宴会。いろんなことを教えてもらった気がする。
焼酎のお湯割りの作り方から始まって、本当にいろんなことを。

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