映画『12人の怒れる男たち』

いままでアマプラで『12人の怒れる男たち』を見てた。不思議なもんで、映画ってそのときの自分に合ったヤツを見るようにできてて。
怖いくらいに。

テーマは、偏見かな。
偏見がいかに人の目を曇らせるか。
いったん偏見にとらわれると、そこから抜け出すのが、いかに難しいか。

名作はみんなそうだけど、テーマ、まったく古びてないよな。いまの社会にもそのまま通用する。人間ってヤツは…

ぶっちゃけたことを書くと、あまりにも有名な名作なので、ちょっと期待しすぎてたところがあったかも。

申し訳ない言い方になっちゃうかもしれないけど、みんな意外にチョロいな、と思った。

1957年、あたしが生まれる10年も前の映画だから、その当時の平均的な男たちをイメージして群像を設計したのかな。まあちょっと戯画的かなと思ってしまった。そう、劇画調というか。何人かの男の描き方がステレオタイプというか。いや、半世紀後の視聴者がエラそうに評しちゃいけないよな。監督や脚本家が当時の米国のとくに男性たちに見せたいと思って作った映画だろうから。

何にも考えずにアマプラで見始めたら、吹き替え版で。あたしは字幕が好きなんだけど、まあいいやと見始めた。悪くない。が、どうでしょう。時折、字幕版に切り替わるのよ、ほんの数秒。それが何回かあった。

それでちょっと思ったんだけど、吹き替え版の日本の声優たち、オリジナルの俳優たちより、ちょっと激昂しすぎてね? ハッスルしすぎじゃね? なんでそんなにすぐ熱くなるの? カルシウム足りてないだろ、とちょっと思った。時間があるときに、字幕版をちゃんと見てみよう。

映画『生きる』みたいに、回顧シーン?が盛りこまれるのかなと思ったら、狭い会議室のシーンに終始。それもあって1時間半と短い。

いい映画が見たいな。
死ぬまでに、あと何本見れるだろう。
いい映画って、すべからく、人間性の結露だと思うから。
いまのイスラエルのネタニヤフ政権には、いい映画は作れないだろう。日本の自公政権もそうだ。維新もそう。トランプもそう。習近平もそう。ミャンマーの軍政もそう。

まあ権力者には、無理だよな。
映画ってものすごく繊細なもんだから。
人間性、人権を蹂躙するのが得意な権力者には、クソみたいな映画しか作れないだろう。権力者の走狗もそう。

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