感動的な卒業式

昨日の話を書く。

昨日は大阪の写真屋さんの依頼で、市原の小学校の卒業式の撮影に行ってきた。

この小学校、今年度は春先にまとめてドンと撮影の依頼をいただき、たぶん全学年の社会科見学を撮らせていただいた。6年生に関しては、春と冬の社会科見学、あと秋の箱根、小田原方面の1泊の修学旅行にも同行させていただいた。

ただ、1月に予定されてたマラソン大会の撮影は悪天候のため翌日に変更され、撮影に伺うことが出来なかった。とっても寂しい思いをした。

というわけで、しばらくぶりの訪問になったわけ。みんな元気かな、と思いながら、少し早いかな、と思いながら8時に学校に到着すると、もうみんな登校してて。晴れ着に身を包んで、思い思いに友達と談笑してる。駐車場でその姿を見ながら、荷物をまとめて職員玄関へ歩いて行くと、あ、オグラさんだ!!って20人くらいの子どもたちが口々にいう。ある男の子が、オグラさん、会いたかったですよ、なんていってくれて。オグラさんのこと好きなんです、みたいな。じゃあハグでもする?といって、犯罪にならない程度の軽いハグをした。

そのときに強く確信したのは、本当に誰かに尽くすと、ちゃんと信頼が残るんだなって。

前にも何度か書いたかもしれないけど、僕はスクールカメラマンをやってて、敬虔な仏法者、創価学会員でもある。僕は子どもたちにカメラのレンズを向けながら、シャッターボタンを押すときに、強く念じてることは、僕が写真を撮った子どもたちは、ひとり残らず幸せになるんだ。誰かを幸せにする人生を送るんだ。人を殺したり、傷つけたり、自分で自分の命を絶ったりは絶対にしないでくれ、と。

日蓮大聖人は「地獄への道を塞ぎぬ」と書かれた。これが日蓮門下の心得であるべきであると、僕はずっと思ってる。つまり、自分が縁したすべての人は、絶対に不幸にさせない。幸せになる。そう強く強く祈り、行動すると。

これも前に書いたかもしれないけど、僕の知り合いの両親が経営している保育園にこないだ久しぶりに撮影に行ったんだけど、そのときに確信したこと。人間は、というか、たぶん生き物はみんな、目から光線が出てるんだよ。ほら、照明器具にネットの信号を仕込むってヤツ、少し前に流行ったじゃん?

あんな感じ。人間の視線にはものすごくたくさんの量のデータが含まれてて、人間はそれをちゃんと受け取れる能力を持ってる。

まあ僕の場合はシンプルなんだけどね。

みんな大好きだよ。

これだけ。

だから、スガとかを見てると、あの目つきの悪さを見てると、あの笑顔の醜悪さを見てると、人間ってやっぱり生きてきたすべてが顔に出るなぁ、とくに目に出るよな、と心の底から思うわけ。スガのお友達の佐藤浩は、スガを真人間にするために、ずいぶん頑張ってるんだとは思うけど、まだまだだよねぇ。笑

なんの話だっけ。そうだ、昨日の感動的な卒業式の話だ。

えっと、あたしはフリーカメラマンをやっていて、フリーなので基本、不安定なんですよ。笑

あ、笑うところじゃなかった。笑

で、今年度1年間をかけて、市原市の小学校の撮影に何度も通い、先生方とも信頼関係を少しずつ築き、来年度はどうなるのかな、とずっと不安に思ってた。

というのも、あたしを知ってる人は知ってると思うけど、あたしは基本、エキセントリックな人間で。

エキセントリックというのは、親友のMがそういうんだけど。昔から。

どういう意味なのか、さっぱりわかんなかった。

要するに、変わってる、ってことかな。

あたしは自分で自分が「変わってる」ように振る舞ったことは人生で一度もない。常に自然体。というか、それしかできない。そんなふうに生きてきたせいで、自分がごくふつうに振る舞っているようでも、常識的な方々から、ものすごく不評を買うことって、ものすごく多かったんですよね。自分ではまったく無自覚であっても。そんなことが数限りなく繰り返されると、ああ、僕は人に嫌われるキャラクターなんだ、と、まあ子ども心に思うわけですよ。ごく最近も、ふたりの従姉が僕のSNSから静かに姿を消し。

まあ、話すとキリがないのでアレなんですけど、そんな僕でも50年も生きてきたのにね、と松任谷由実じゃなくて薬師丸ひろ子がいうと、それなりに真人間に近づいていくわけですね。未だに僕には常識というのが、よくわからないままなのですが。

なんの話でしたっけ。そうだ、昨日の感動的な卒業式。そして来年度の仕事について思い悩むひとりの孤独なフリーカメラマン。みなさん、このシチュエーション、思い出しましたね。
(お前だよ、の声、多数

朝だったか、卒業式のあとだったか、たぶん何度かに渡って言われたので、最初は朝だったのだろう。

来年度の市原市の小学校の入学式は4/11に決まりました。撮影、よろしくお願いいたします。

と、たぶんすこし偉い先生から声をかけられ。

え、あ、はい、と生返事をしながら、そっこー大阪の写真屋さんに専用のチャットアプリで報告。

ちなみにオグラはNGです、と書き添え。

何度も書くように、僕はフリーカメラマンなので、あ、フリーカメラマンというのは、いちばんわかりやすい例えでいうと、野良ネコ。エサがあったら、真っ先にガツガツ食らう。

卒業式、入学式のシーズンというのは、ありとあらゆるスクール系写真屋にとっては繁忙期なわけで、たいてい1年前には予定がfixしてしまうわけですよ。

なので、同じ先生に、卒業式のあとで、4/11の入学式、よろしくお願いします、って二度目に言われたときは、写真屋さんには伝えました、ごめんなさい、僕はすでに他の予定が入っているのです、と答えると、先生はあからさまに残念そうな表情を浮かべ。

何が言いたいかというと、そろそろ自分でやろうかなと。

ジャガバタ写真工房という屋号は、ずいぶん前から決まってる。確定申告で国税庁に出す書類にも、ずっと前から、書いたり書かなかったり。

ジャガバタというのは、僕が毎日新聞に入った頃に、いや、入る前かな、内定者拘束旅行の時だったかも。ジャガバタみたいに人の心にじわ〜っと染み込むような、そんな温かい写真が撮りたいです、っていったことから。

なんの話だっけ。忘れた。明日も早いので、そろそろ寝よう。笑

一度も読み返すこともなく、このままアップしますよ。

おかしなところがあったら、ご指摘くださいませませ。

地獄への道を塞ぎぬ。自分が縁した人はひとり残らず絶対に不幸にはしない。

これが池田門下生の生き方だと思う。そしてそれを、ことあるごとに周りの人たちに伝えていくんだよ。

いまの日本の創価学会員は全体的にあまりにも発信力が弱すぎるよね。

こないだtwitterでバイバイした愛媛の女性部の方も、匿名で、さらにtwitterアカウントにカギをかけているという。

臆病にては叶うべからず、という大聖人の御金言を、知らないのだろうか。

まあ、いいけど。

今日も印西市の山奥の小学校の卒業式の撮影に行ってきたんだけど、最後に卒業生を送り出す花道を在校生が作るわけですよ。で、すぐそばにいた5年生を意味もなく激写し。とっても人懐っこい女子がいたので、あ、と思って、血液型B型でしょ、っていったら、案の定。

これはそのうち項を変えて書こうと思うんだけど、一念三千って、なんだか知ってる?

僕は難しい仏法的な哲理についてはまったくわからないけど、信心が深まっていくと、時間的にも空間的にも融通無碍になっていくんだよ。

ひとつ言えることは、自分が今世で、昨日とか今日とか明日とかに出会う人は、初めて会うんじゃなく、昔も会ってたよね、と確信できること。もしそうなったら、誰かを傷つけたりは、絶対にできないよね。だって前世で相手が自分の大恩人だったかもしれないじゃん。

僕はよくあるサイトの、このページの内容とか目次とか、作るのあんまり好きくないので、このままアップしますよ。明日も、ずっと昔からよく知ってる方々の卒園式の写真を撮らせていただくべく、原木中山まで、出かけてきます。

そのあとは久しぶりの福岡だ〜。

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