dawってNYの工業株価じゃないですよ。それはdow。
まあそんなことはどうでもいいのですが。
あたしの使う音楽ソフトが定まらない、という話で。最初に買った本で紹介されて他のはWindows用のdominoっていう無料ソフト。無料だし、操作はシンプルなので初心者にはバッチグーなのだが、いかんせん、音がしょぼい。というのも、Windowsに初めから搭載されている音源は、もうなんか無料でつけとくにはこのくらいでいいでしょ、という感じの、まあ言ってしまえばビープ音に毛が生えたようなくらいのヤツで。なんつーか、生音の深みとかを露ほども感じさせないというか。ちょっと言いすぎかな。笑
で。やっぱ音楽とかクリエイティブな作業をするにはMacでしょ、ということでなけなしのお金をはたいて古いMac miniを購入したわけですが、何度も言及しているとおり、Macにはgaragebandという無料の音楽ソフトがついてるわけで。けど、イヤホンで聴いてる限り、そこまでいい音という感じもしない。音源がね。
うーん、あたしは30代のころ、たぶん20年くらい前だと思うんだけど、とち狂って、音楽制作に駆け出したことがあってさ。そのころは木っ端みじんだったけど。笑
そのときに買ったのがrolandのハード音源 SC−88VLで。なんかソフトとかと一緒になったパッケージで。でかいスピーカーも一緒についてて。そこで、生音?と思えるようなハードウェア音源の深い音にいたく感動したわけでございますよ。
話、なげーな。いつもか。笑
なんの話だっけ。そうそう、それから月日は流れ、パソコンの性能は格段に向上し。むかしは外部のハードウェアでやってた作業が、いまやパソコンの内部で、ソフトとして音源を持てるようになり。とはいえ無料じゃない訳なので、いろいろと既得権益とかがやたらと絡み合い。
今回「サウンドフォント」という言葉も聞き。ずっと前からのあたしの疑問。そう、ソフト音源も、けちくさいこと言ってないで、みんなでシェアすりゃあいいじゃん。フォントみたいに、ひとつのフォルダにゴチャッと入れて、で自由に使えるようにすれば。
音楽の世界は、まだそこまではいってないようで。
こないだ5,000円も出して買ったKORGのMIDIキーボードにも、いろんなソフトがいっぱいついてきたんだけど、なんかひとつひとつがバラバラで、よーわからん。MIDIキーボード自体はUSBでPCやMacにつながらないと給電されずに音も出ないんだけど、Windows PCにつないだだけじゃ音が出ず。泣いた。で、ググった。そしたら往年のハードウェアシンセ?をシミュレートしたソフトをインストールして立ち上げたら、音が出た。まんもすらっぴぃ。で、これがめちゃめちゃいい音なのよ。どうも30年くらい前に流行ったシンセらしいんだけど。けど人類の音楽の歴史から考えたら、30年なんて刹那だよね。刹那ってたしか1/75秒くらいだって聞いたことがあるんだけど。あんまり自信ないけど。そんなことはどうでもいい。
で、さっきもblogに書いたけど、いまのDAWは高性能、多機能すぎて、なんか満漢全席って感じなのよ。最初から、そこを目指せという感じでソフトが設計されてる。
けど、僕のやりたいことは全然そうじゃない。もっとシンプルかつ本質的なこと。
いい曲を生み出したい。ただそれだけ。
こんなことをいうと罰が当たって死んでしまうかもしれないけど、一流と言われるミュージシャンでも、たいしてよくない曲も、たくさんあるわけで。それは某女性アーティストの何枚組かのCDを高津のGEOで借りてきて、毎日のようにクルマで聴いて、感じることで。
だったらおれも、死ぬまでに何曲かは、みんなの心に残る、すごくいい曲が描けるんじゃないかな、と無謀にも思ったわけですよ。
ひとついえることは、いい曲を生み出すっていうのは、発明というよりは、発見に近いんだよね。宇宙のリズムが厳然とあって、そのごくごく一部をスッと切り取るというか。
だから、いい曲というのは、知識で生み出すモノじゃない。心で描くモノだ。
なんつて。
僕は死ぬほど好きな曲がたくさんあるわけですよ。
そういう曲に、一歩でも近づきたい。
あ、YouTubeで音楽系の人を見つけて、彼の動画をいくつか見てたんだけど、なんとなくどこかに違和感。
なんだろう、とずっと考えていたんだけど、さっき気がついた。
あたしは消費される音楽を製造するつもりはない。
ずっと人の心に残る音を生み出したい。
また別の誰かがブログかなんかで、曲は有限か!?みたいな話を書いてたけど、そんなもんは無限に決まってるだろ。
ひとつ簡単な決意だけど、僕は死ぬまで、みんなの心に残るいい曲を、ひとつだけ生み出すことができたら、それは本望。まぢやで。
仏法者なんだから、この世を心地いい場所にしないとね。
香港が大変なことになってるけど、僕らは師匠から受けた薫陶を、全力で発揮していく、世の中のために使っていく、そういう責任があるよね。義務というと重たくなるけど。けどね、押しつけじゃなく、内在的な、自発的な、表出こそが、仏法者としての魂だと思うわけで。
あ、あと、コード進行は、このあとしばらくは、僕は後回しにしようと思ってる。たぶん僕の作る曲は、コード進行はあとからついてくると思われ。なんかエラそうな書き方だけど、自分の中ではきっとそうなんじゃないかな、という気がすごくしてるのよ。なので、それが完全に間違いだと判明するまでは、もがかせてくださいませ。
あしたは近所の塾のバイトが飛んだので、いよいよ新・人間革命 第30巻(上)を読み進めますよ。なんか1か月とか開いてしまいましたね。先生はけっして恨めしがることは書かれてないけど、弟子としては、40年くらい前の痛恨事を、いつまでも記憶にとどめ、二度と同じようなことを起こさせてはいけないよね。