日記
●平成十年
・3月2日(月)
弥生3月。昨日、町田さん(私の福岡の母)から電話があり、娘さんだけじゃなく
甥っ子さんも大学受かった、と。おお、よかったなぁ。私も入学式に出たいなぁ。
あとなんだろ。会社で、先週末からパソコンの調子が超・悪く、それで
Windows 95を再インストールしたんだけど、今日また調子が悪化した。
……2回も再インストールしてしまった。今日だけで。
結局、なにが悪かったのか分かんないんだけど、SCSIボードと対応HDDは
外してしまいました。なんか嫌な感じだったので。
・3月3日(火)
レ・ミゼラブル読了。……長かった。ホントに。でも、最後はものすごく感動的だった。
コゼットがマリウスと結婚して、ジャン・バルジャンも幸せになれるだろう、という
ところで、彼はまたも自分を責め始め。どこまでいったら彼の魂の安息は訪れるのだろう。
もしかしたらこのまま、寂しく独りで静かに死んでいくのだろうか、とすごく心配になった。
そしたら、テナルディエが最後に悪者らしく、落ちを付けてくれた。オセロのコマみたいに
全部裏返してくれた。意図しないかたちで、マリウスとジャン・バルジャンを結び
付けてくれた。
読み終わったばかりだから、最後にあった訳者の解説が印象に残っている。なかなか、
読んでいて納得のいくことが多い「解説」だった。こういうものも珍しい。いわく、
物語中に挿入されるパリの街の描写や隠語についての作者の独白は、考えようによっては
物語の進行を阻害しているといえなくもない。けど、実はそういうストーリーとは
少し離れたところにあるものたちが、物語をすごく豊かなものにしている、とか。
ジャヴェールが自殺するのはちょっと変だ、とか。
ジャヴェールの自殺については私も考えた。もちろん、にわかに結論は出ないけど。
ただ、言えるのは、小説の価値というのはどういう風に人を死なせるかによって
ある程度は計ることができる、と。そういう意味では、レ・ミゼラブルは、大勢の
人が死ぬけど、一人ひとり、ちゃんと死に場所を与えてもらっている、そういう
気がした。ある程度、読者が納得できるというか。ファンチーヌから、革命に散った
若者まで、それぞれの死をきちんと最後まで作者は見捨てずにしっかりと描いていた。
あと、読んでいるうちにいつしか感じていたのは、このレ・ミゼラブルという小説は
「大地」に似ているぞ、ということ。マリウスが「淵」と似ている。最後が若者の
幸せな結婚(と老人の静かな死)によって終わるところもそうだし、若い女性の
描き方も、同じタッチを感じるし。そして物語がものすごく骨太なところが
共通点として挙げられる。「大地」の作者の女性(名前失念)にレ・ミゼラブルは
意識しましたか?と聞いてみたかった。
ジャン・バルジャンが死ぬ間際に残したいくつかのセリフも味わい深いなぁ。
本当に恐れなければならないことは、死ぬことではなくて生きないことだ。とか
現状に不満があるからと言って神に不正であっていいということにはならない、とか。
記憶の中だけで書いてるのでだいぶ違うような気もするが。
彼がコゼットの小さい頃の喪服をベッドの上に並べて、その上に顔を埋めて
昔のこと、コゼットの小さな頃を思い出しながら号泣するシーンは、たまらなくたまらない。
本当の父親でないからこそ、愛情もだれよりも深かったのだろう。なにしろ、
お互いがお互いしか持たなかったのだし。
マリウスの友人たち、革命に散った若者たちの生きざまもとても強く残っている。
そしてエポニーヌの最後。主人公の男にあまり顧みられなかった女が、
主人公の男に見守られながら幸せそうに息を引き取っていく、というシーンは、
それこそ私が生まれてからこの30年、数限りなく見てきた気がするけど、その
原形をここに見た思いがした。思えば、可哀想な子だったよね。そして、最後まで陽気に
死んでいった彼女の弟と。両親があれほど悪に染まっているのに、子どもたちは
ぐちゃぐちゃのなか、それなりに健全に人として成長していたよね。幼い頃の
環境と、大きくなってからの人間性との不可思議な連関をまたも見せられた
思いがする。
思い出すときりがない。いろんな人が出てきた。最初の神父にも、また会いたい。
次に読む本を探そう(見つけよう)と思って津田沼の昭和堂に行ったけど、
見つからない。見つからないというよりは、本はそこに洪水のようにあるんだけど、
どれか一冊を手に取れと言われるとすごく難しい。ちょっと反応したのは、岩波文庫の
竹内好訳の阿Q正伝。いやいや、超大作のレ・ミゼラブルが終わったら、現代の
読みやすい日本の小説をぜひ読もうと思ってたけど、どうも同時代の(評価が定まっていない)
小説を読む気が起きない。グレート・ギャッツビーの別訳だとか、ライ麦畑でつかまえてを
再読しようかとか、それともいっそファウストをとか……。山本周五郎も読んでみたいなぁ。
でもたくさんありすぎて、どれがいいのかちいとも分からない。誰か、おすすめを教えて。
・3月×日
今日、東京都写真美術館に初めて行った。いいとこだね。
石元泰博さんの写真展。作者が若い頃、数年を過ごしたシカゴの
直線的な町並み。端正なモノクロ表現。縦位置の写真が、
とくに心に残った。写真展を記念して作成された写真集の
表紙に使われているホテルの看板が入った、縦位置の
写真。黒と白のコントラストがものすごくセクシーだと
思った。あと「シカゴ」のシリーズで好きなのは、雪が降った日の
建物2つの玄関の真ん中あたりを写した写真。あとは、
黒人の子どものアップ。すごく生き生きした表情を撮った……。
日本で撮った写真は、シカゴでの作品に比べると、なんか
詰めが甘いというか、散文的というか、技巧的にすぎると
いうか、見るべきものが少ないように思えた。
あくまでも主観的な感想に過ぎないのだが。
4Fの図書室で、端末をたたいて、東松照明さんの
「太陽の鉛筆」を検索。そうしたら、「あるけど閲覧できない
状態だよ」と表示。??と思って、受け付けの女性に
聞くと、来年の写真展に向けて学芸員が使っているのだろう、と。
また来るときにみせてもらえばいいや、と思ったんだけど、
その女性が、ちょっと待っててくださいね、といって、さがして
きてくれるそぶりを見せたので、待ってたら、学芸員らしき
男性が持ってきてくれた。で、見せてもらった。
ずっと前から見たかった写真。104番の、白い道、右手に
背の高い草が生い茂る。ひとり、道を歩く、夏のセーラーを着た
女の子。本当に白い道。どうしてこんなに白いんだろう。
強い風が吹いてる。セーラーの襟と髪の毛が風になびいて。
裏表紙のところに、「渡辺義雄氏寄贈」って書いてある。おお。
渡辺さんて、ここの館長じゃなかったっけ。うーん。古本屋でも
高いんだろうな。自分の手元に置いておきたいなぁ。
また近いうちに行こうと思う。入場料500円も、高くないよね。