仕事をさせてもらってる、いくつかの写真屋さんはカメラマンの専用サイトが用意されてて、自分の撮った写真のどれが売れたか、確認できるようになってる。これがものすごいモチベーションに繋がるんだよね。僕らは藝術写真家じゃないし、自己満足で写真を撮ってるわけでもないので、お客様に支持された写真の方向性を追求することでしか、生き残る道はないわけで。年末に撮ったミニバスの合宿、いま現在140枚くらい売れてて、自分のギャラ分は確保できて、あとプラスアルファ、会社の売り上げにどれだけ貢献できるだろう、と楽しみなんだけど、この撮影はカメラマン一人の現場だったから、自分の写真の売れ行きが300枚までは確認できるわけで。複数のカメラマンの現場だと、自分の写真の売れ行きは100枚までしか追尾できない。
以前、出版社の会社員として雑誌の編集をやってたとき、編集長がよく、自分の仕事をコスト換算できるようになれ、っていってたけど、そのときはまったくもってピンとこなかったなあ。だって、僕らは出版社の社員として月給をもらって仕事をしてるわけで、自分が作った特集記事が読者の支持を得られても、自分が作った機種のムック本がどれだけ売れても、給料が目に見えて増えるわけでもないもんな。雇われ根性と言われればそれまでだけど、人間のモチベーションって、目に見えるカタチで表されない限り、お腹には力が入らないと思われ。たとえば、独り身でいるときはダメ社員だった男が、妻子をもったら、彼らを養わなきゃいけないから、必死になって働くとかって、よくあることで。女性の社会進出とかは、別の問題としてね。
何が言いたいかっていうと、いま僕はいちおうフリーっていう立場で、よくも悪くも、自分の時間や体力や仕事を切り売りして生計を立ててるわけ。べつにボランティアで写真を撮ってるわけじゃないので、そのへんのコスト計算って、会社員の人たちからは想像が付かないくらい、シビアなわけで。ギャラがいくらか、交通費はしっかり出るのか、拘束時間はどれほどか、シャッターをどんだけ切るのか、などなど。人間って立場が変われば、見えてくるモノもそれだけ違ってくるってことだよね。
このあとどっちへ話を持っていこうか、すこし考えるところだけど、そうね、フリーはフリーの立場として、自分の価値や利益を最大化しようと努力しつつ、いい写真を撮ろう、多くの人に喜んでもらえる写真を一枚でも多く提供しよう、と努めるのが正しいあり方だと思われ。ウィンウィンっていうと、最近はインチキくさい呪文のように取られがちだけど、そうじゃないよね。立場の違いは立場の違いとして、その視差をプラスの価値に転じつつ、全体としての価値や利益の増大につなげていければいいんだと思う。トランプとかを見てると絶望的な気分になるけど、共産主義よりは資本主義のほうが、人間の欲望をプラスに捉える意味で、まあ人間社会のベースとしては、まともなのかな、と思う。もちろん共産主義が資本主義に与えた好影響は、まったくもって小さいものではないわけだけど、共産主義と資本主義のどっちをベースにするのが生物としての人間に取って自然かといえば、やはり資本主義のほうだよね。
要するに僕ら末端のフリーカメラマンとしては、自分の食い扶持を必死に考えて懸命に動くことが、結果的には世の中のためになってるよね、たぶん、ということなのかなと思ってる。話は元に戻るけど、バスケの写真はすごく撮ってて楽しいし、お客さんに喜んでもらえる写真がいっぱい撮れるんだとしたら、もっと撮影の機会を増やしたいなあ。どっかにギャラのいいスポーツ専門のエージェンシーはないものか。笑