画像整理が嫌いなんじゃなく

昨日の画像整理、そうだなあ、半分弱、終了。メインコンテンツが残ってるけど、明日の朝、元気なときにやることにする。締切は明日の正午。ひさしぶりに母の見舞いにも行きたいので、早めに終わらせよう。8時に起きれば、なんとかなるかな。

なんか、明日早起きして画像整理できるってことが、とてもうれしく思う。なんつーか、画像整理、嫌いなわけじゃなくて、すこしでもいい結果を残したい、いいセレクトをしたい、と思うと、すこしでも心身のすこやかなときに、やりたいわけで。決して言い訳じゃない。それほど写真が好きってことで。

写真は芸術にはしちゃダメだと思う。アートとしての写真には僕はあんまり興味がない。写真はもともと消費される性質を帯びて生まれてきてる気がする。生まれては消えていく写真、そのなかのわずかなひっかかりみたいなところに、写真の本質って宿ってる気がする。

最近、仕事の撮影現場で、撮る写真が自分で変わってきたって、思う。すこし前にInstagramに、歌うように、風のように写真を撮りたい、って書いたけど、そんな感じに。その心は、なんつーか、あんまり構図とかタイミングとかをカッチリ決めないで、流れのなかで、写真に収めるというか。

ヘタウマって、上手いように見える、下手なヤツ、だと思ってたけど、逆なのね。下手に見せて、じつはめっちゃ上手いという。僕はそういう写真に憧れる。というか、そういう写真を目指してる。すこしずつ理想に近づいてる気がする。まだ遠いけども。

あんまり関係ない話。
10L用のポカリスエットの粉を買って、2Lぶんずつ計量カップで量って作ってる。ほんの少しでも溶かす粉の量が違うと、味にしっかり反映されて、そのことをすごいなあ、って思ってたんだけど、そうじゃないと気づいた。少しの粉の量の違いで味が変わることがすごいんじゃなくて、そのわずかな味の違いに気づく人間の味覚がすごいんだと。

以上、オチなし。おやすみなさい。
 

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