「生きる」黒澤明

さっきまで、黒澤明の「生きる」を見てた。Amazonで。

いやー、見たのはたぶん30年ぶり2回目。前に見たのは学生時代、先輩が貸してくれたビデオだったと思う。

30年たっても、けっこう覚えてるもんだね。もちろん、話の骨格は忘れようがないけど、けっこう細かいところまで、覚えてた。具体的なセリフとかまで。

30年ぶりに今回みて、あ、これってなんか、ベートーベンの第九と構成が似てるのかな、と思った。いくつか、「人生の楽しみ」みたいなものが提示され、そのつど否定され。

結論を先に書くと、人間はなんのために生きるのか。との問いに対する答えは、「使命を果たすため」なんだと思う。ニンジンやタマネギやトマトやブロッコリや、鮭や鯵や鯖や鰯や、豚や牛や鶏が、だれかに美味しく食べてもらう、という使命を果たすために、懸命に生きているのと同じように。

よくお父さんとかが、僕の生きがいは家族だ、みたいなことをいうけど、それはそれでいいと思うけど、でも、それだけじゃあ人間として生まれてきた使命を果たしてるとは言いがたいと思われ。なぜか。だって動物だって、家族を守るために頑張ってるじゃん。わざわざ人間として生まれてきて、家族を守るため、だけというのは、どこか寂しい。

独身で子どももいないお前が何をエラそうに、と思われる方もたくさんいらっしゃることでしょうけど、それは別にどうでもいい。

話を「生きる」に戻すけど、僕も写真を撮る人間として、すごい思うのは、この頃の映画って、当然フィルムなわけですよ。いまみたいにデジタルみたいに、なかなか簡単に撮り直しとか効かないわけで。構図とか、ピントとか、あと露出とか、まあとにかくすべて、完璧なのには本当に脱帽。どんだけ優秀なスタッフが集結してこの名作を生み出したのかということを考えると慄然とする。

僕が世界で、史上最高に好きな映画は中国映画の「芙蓉鎮」だけど、「生きる」もそれに匹敵する出来映えだと思う。

古い人間なのかもしれないけど、僕はアニメよりもやっぱり実写の映画がどうしても好きなんだけど、それは自分が写真を撮ることとおおいに関係があるんだけど、人間のあの微妙な表情ってアニメでは絶対に表現できない。AIとかがどんなに進化して、何百も何千もの表情の違いを表現できたとしても、だから何って感じ。今回思ったのは「生きる」のなかで、人の表情のアップってけっこう多用されてたように思うんだけど、それがものすごく効果的、魅力的に感じるわけですよ。とくに役所を辞める若い女の子の目の動きとか。ものすごく計算されてるし、計算を超える若い女優の演技も当然あり。アニメだと、そうはいかないよね。アニメがダメだって言ってるわけではなく。

いやー、けどこんな時代を超えた名作が、たった400円で見れるとは。デジタルってすばらしいね。

いま急に思ったけど、うちには「芙蓉鎮」のVHSビデオがあって、それをダビングしたDVDがあるので、明日はそれを見よう。「芙蓉鎮」、知らない? 謝晋監督の代表作だよ。文化大革命を正面から見据えた…。

けど、優れた映画はすべからく、普遍的なテーマを描いてるよね。人間は、いかに生くべきか。まあ、それしかないよね、わざわざ映画を撮るのに。

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