fbやtwitterで議員さんの活動を拝見するが、初夏と言えるこの時期でもスーツにネクタイの姿を見ると、本当に大変だな、と思わずにはいられない。
でもこれって本人たちが好きでやってるというより、われわれが無意識に求めてるってコトなんだよな。ノーネクタイ、上着なしだと、なんか真剣味が足りない、とかね。
でもそうじゃないと思うんだよね。スーツなんて、たかだか100年ちょっと前に日本にやってきて、たぶん、明治維新の喧騒のなかで、欧米のモノは理屈抜きに素晴らしい、日本古来のモノは劣ってる、みたいな機械的な価値判断で、導入されたんだと思われ。
そもそも高温多湿、亜熱帯に近い日本に、欧米風のスーツなんか合ってないよ。アラブの人たちのすごいなと思うのは、どんな立派な国際会議でも、自分たちのいでたちを崩さないでしょ。白い装束、あれものすごく涼しげだもんな。
どっかの地方議会で、和服にちょんまげで議会に出ようとした議員がいて、さすがにちょんまげは、ってなったみたいだけど、イミフメなのが、和服もNG?ってなりかけたこと。をいをい、君たちは日本の伝統的な衣装を全否定するのかよ。そりゃ、浴衣とかじゃ問題だろうけど。
僕はいわゆる和服ダイスキみたいな人とは違うけど、意味もなくスーツが立派だ、みたいな思考停止状態には、ずっと異議を唱えていきたいと思ってる。あと、革靴もね。履きたい人が履けばいいんであって、人に強要するもんじゃないよね。
洋服なんて、所詮、記号に過ぎないわけで、時代とともに、ひとの意識とともに、少しずつ変わっていくものだ。その変化のスピードが、僕には少し、もどかしいのかもしれない。
正座とかもそうかな。祈るのは正座じゃないとダメ、みたいな意識が、我々のどこかにはあって、下手したら、正座じゃないと功徳は半分以下、みたいな固定観念も、あるやに思う。
そうじゃないよね。世界はひとつの時代に、そんなことを言ってたら、教えは広まらないでしょ。
無理して正座して、痛い足を我慢してたら、本末転倒だし。
無理してヒザを壊したら、それこそまったく意味ないし。
まあ、僕がデブすぎるのがいけないんですけど。(笑)