写真って。。

先ほどfbで小林紀晴さんのエッセイをシェアさせていただいて、急に思いだしたこと。
ある知り合いのおじさんと初めて飲んだとき、僕が写真をやってるというと、すぐに、オグラくん、せっかくやるんだったら有名にならなきゃ、時代に名前を残さなきゃダメだよ、と言い始めた。一流を目指さなきゃ、だったかもしれない。
そういうことは露ほども考えたことがなかったから、ちょっとびっくりした。びっくりしたというか、面食らったというほうが正しいか。まあ、そんな重大な?ことを酒の席で人にえらそうに言ってしまう人っているんだ、すごいなあ、というのが率直なところ。適当に合わせてたんだけど、なかなかその話を終わらせてくれなくて。
なんかそんなことを急に思いだした。じつはこのことは、さっきじゃなくて、昨日だか一昨日だかに、急に思いだしたのだ。きっかけは忘れた。

じゃあなんでお前は写真やってるのだ、といわれたら、あんまり立派な答えは用意してないんだけど。好きだから、楽しいから、としかいいようがない。
言葉もそうだけど、言葉って日常的に誰でも使うけど、言葉を操って詩を書く人もいるし、小説を書く人もいる。写真もそう。とくにいまはデジカメとかスマホとかで誰でも目の前の人や物が簡単に撮れて簡単に公開できちゃう。
そういう時代にあえて「写真やってる」ってどういうことなんだろう。
ひとつは、それでお金を稼いでる、という意味。
もうひとつは、個人的な表現手段?としてやってるという。
まあ、もう少し平べったくいうと、趣味ってことかな。
僕は自分で芸術としての写真をやってるともちろん思わないし、
たぶん永遠にそういう道には行かないと思う。
写真ていっても、いろいろあるのだ。だから話が通じてそうで通じてないことってけっこう頻繁にあって、それはそれで疲れる。
デジカメ雑誌の編集者なんかをやってたから、人によっては写真を見る眼があるんでしょうね、って勝手に思ってくれるけど、たぶんない。(笑)
好きな写真、そうでない写真はハッキリとあるし、いい写真かそうでもない写真かを見分けることもそれなりにできると思うけど、そこにどれだけの客観性とか同時代性があるかといえば、それはまったくナッシングで。(笑)
そこまで写真を見ることに興味がないのかもしれない。
雑誌の編集者をやってたときから、写真展のパーティとかはほとんど行かなかった。どうしても義理があるとか、その写真家さんが大好きで呼ばれなくても行くっていうんじゃない限りは。基本、人の多いとこ、好きじゃないし。なんかそういう業界みたいなサロンみたいなところで表向きニコニコしながら、っていうのは得意じゃないのだ。疲れる。

話はとっちらかったけど、新しく中古でGetしたAi Nikkor 35mm F2.8SをつけたD800で、今年もハノイの秋を短い間だけど、撮ってくる。
たぶんあと5年先か10年先か、わかんないけど、母ちゃんが死ぬか、あるいはトイレに自分で行けなくなって施設に入ることになったら、僕はベトナムに移住して、なんかしながらご飯を食べ、それとは別に、ベトナムを撮るよ。ベトナムの天地を、ベトナムの雑踏を、ベトナムのじじばばを、ベトナムの子どもたちを、そしてベトナムの女の子を。
そこからオグラの第二の人生が始まると思う。
これだけ写真が好きだったら、少しくらい下手でもいいでしょ。(笑)

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