http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-cbb2.html
ツイッターで教えてもらった、竹熊さんのブログ。
エントリー「竹熊君、紙はもうダメだよ…」。
竹熊さんの知り合いの編プロをやってる方から、悲鳴のような叫び。
版元から一冊200万円で丸請けしてたのが、80万円に下げられちゃった、という。
僕が仕事をさせてもらっているデジカメ関連の世界は、もうすこしだけ
状況はまだまし、という感じだが。時間の問題なのだろうか。
思うに、出版業界も、ネットの情報でたやすく置き換えられる(と思われる)
情報誌や、総合週刊誌みたいなところから、どんどんダメになっていってると
思われ。必ずしも、紙媒体としてのパッケージングが、絶対に必要不可欠じゃ
ないジャンルから。
むかし宮本輝の小説「錦繍」を読んでいて、その解説に、こうあった。
電話ってもんが出てきて、書かれる手紙というのは、手紙でなくてはならない
そういう本質的なものだけが残った、って。
いやいや、デジカメ雑誌やムックが紙媒体の本質に近いものかというと、
そんなふうには僕は全然思ってなくて、所詮は時間の問題だと思ってる。
えー、たとえていえば、太陽光発電の装置が、非常に安く設置できるようになり
各家庭や事務所、店舗、工場、公共施設なんかに幅広く置かれるようになれば
そして電力需要の大部分をまかなえるようになれば、従来からある石油発電や
原子力発電は、衰退していくことになるだろう。
それと同じことが、紙媒体の世界でも起こってるわけで。
ネットの情報を集約する機能、ユーザー間でコミュニケーションを取る機能は
スタティックな紙媒体としては、逆立ちしても勝てない。それも、ひとりひとりの
ユーザーは、自分の持ってる情報や能力や、時間や労力を、少しずつ提供
すれば、それが寄せ集まることによって、ものすごいパワーが生まれる。
出版社を去られた前編集長も、口癖のように「おぐら、紙媒体は将来がないぞ」
っていってたけど、じゃあどこへ逃げれば、あと20年くらい、生活できるのかな。
あとはAmazonや楽天にぶらさがって、アフィリエイトで小銭を稼ぐか、iPhone
あたりのアプリを作って、少額課金を積み重ねるチャレンジに進むか。
それにしても、一般ユーザーがボランティア的に参加してコンテンツを魅力ある
ものにしていくネットのあり方を考えると、いままでマスメディアの世界に籍を
置いていた人たちの再雇用の場は、たぶんネットの世界には、ないんじゃ
ないかと思われ。
とくに、情報を掻き集めたり、それを加工したりして生活の糧を得ていた編集者
という人種は、どうにも生きていく道筋は、どうにも険しいものになると思われ。
なんてことを、デザイン入れからの逃避として、だらだらと書き連ねていても
一円にもならないことは、いうまでもない。(笑)
こんにちは。少し次元の違う質問?をしてもいいですか。
デジタル化された溶媒の保存期限、dvd.cd.等は市販物
だと20年から30年と聞きました。保存状態にもよるで
しょうが、そうすると期限ごとに溶媒を入れ替えなければ
ならないということでしょうか。
再生するメディアもどんどん変わり、一般人は
そのつどそれに乗り換えなくてはなりません。
紙は、品質がよければ、千年は保存可能と聞いています。
デジタル化というのは、個人の永久保存が必要でない
ということで、利用すべきものとなりますね。
ものを残すという価値観は、個人差があると思います。
何でもかんでもデジタル化するのなら、そのサポート
とか顧客側にたった開発をして欲しいと個人的には
思っております。が、企業は金儲けしか考えてないよう
に思われます。個人文化というのは、デジタル化で
消えていくものなのでしょうか。(現時点の話し)
長文で誠にすみませんでした。
体調に気をつけて、お仕事頑張ってくださいね。
では、また。
コメントありがとうございます。
たしかにおっしゃるとおりですね。
デジタルにこだわらなくても、本当に長く残したいモノは、長く保存できる
といわれている中性紙にプリントしておくか墓に刻むか、ということに
なりましょうか。
企業に金儲けしか考えていない、というのはやや筋違いかと思います。
企業というのは本質的に、金を儲けるのが目的の組織だと
思われますので。
本当に自分の作品をデジタルで残したいと思われるのであれば、
データを多重化し、何年かごとに、最新かつ最大容量の記録メディアに
移していくのがよろしいかと存じます。
僕個人の話でいえば、自分の撮った写真を自分の死後とかも
永遠に残したいかといわれれば、疑問符が浮かびます。
そんな価値もないような気もしますし。
もとより、残るべき価値のあるものは、残るのではないでしょうか。
作品も、思想も。