flickrのある時代

flickrのある時代に、僕らは生きている。もちろんYouTubeもGoogleもある。

いつもflickrに掲載された世界中のプロとアマチュアの写真愛好家の方々が撮られた
すばらしい写真作品を見ていて思うことは、どうしてこんなにすばらしい写真たちを
無料で観賞できるんだろう、ということ。

ずっと昔、94年くらい、インターネットをやり始めて、フランスかどこかのサイトで
有益な情報をダウンロードしてきて、どうしてこれが無料で手に入るんだろう?って
思ったことを、ふと思い出した。

お金を稼ぐということと、この世の中に価値をもたらすことはイコールではない。

Googleが検索エンジンを始めたとき、それまでのサイトのように、画面にベタベタと
広告を貼るのではなく、まさしく検索結果の冒頭に表示させるという、真正面からの
手法を使って、広告を取った。

自分としての絶対的な得意分野で、しっかりと稼ぐということ。
それ以外のことは、ぜんぶ無料にして、世の中の人たちに広くサービスを
提供する、というか。

MicrosoftがYahooに振られて、苦し紛れにAOLに秋波を送っているらしい。
けっこう哀れかも。いっときは栄華を極めただけに、没落するときというのは
哀れさ、もの悲しさが際立つね。パソコンのOSは、もうあんまり進化する必要が
ない。文章作成ソフトや表計算ソフトもそう。その次の価値というモノを、MSは
世の中に提供し続けることができなかった。まあけどそれは、仕方ないともいえる
わけで。恐竜は急に曲がれないしね。ひとつの会社がなんでもできるわけじゃない。

マイクロソフトの教訓を微妙に自分の人生に活かすと、っておこがましい話かも
しれないけど、一介の編集者としても、変化を(あるいは成長を)し続けないと
いけない、ということかもしれない。デジタル一眼レフの機種ムックを作るのが
得意だと言っても、何冊も世に送り出せば、みんなマネしていいモノを作って
くるし、マスターガイドだって、もう金型が擦り切れまくってるような気がするし。
まあ、お仕事と割り切れば、まだまだお金を生み出す道具としては有効性が
残ってるのかもしれないけど、ひとりのフリーランスの仕事をする満足感という
観点でいえば、または生き残るための処世としては、先に先に逃げるしかない。
ひとつはDP1みたいなヘンテコリンなカメラの本を悩みながら作ることだし、
ひとつは紙媒体ばかりじゃなく電子媒体とかにも仕事を広げることだろうし、
あとはもちろんベトナム関連コネクションを、もっともっと太くしていくことだろう。

ちょっと話が飛躍してしまったけど、うんと遠くとうんと近くのモノを代わりばんこに
見比べてみて、その親近性を感じるということはけっして無駄なことじゃなく、けっこう
意味のあることなんじゃないかなぁ、と思わないこともない。

なんで夕方からだらだら書いてるかというと、DP1本のメインたる2章、3章の
叩き台たるページ割が、あるていど決まったから。よかった。

“flickrのある時代” への1件の返信

  1. DP1本が進んでいるんですね^^
    それはぜひ参加したいですね~、お誘い待ってます♪
    すみません^^;コメントで営業活動(笑
    今回の記事を読んで考えさせられました。
    私は特にメールや電話だけのつながりで仕事をしているので
    評価やアドバイスをいただく機会がありません。
    その分余計に自分で成長していくしかないのですよね。
    今は限られた時間でできる範囲の仕事しかしていませんが
    私も一応フリーランス。
    いつかのことを考え新しい分野を切り開く準備もしていかなくてはならないのかも・・・。

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