イスラエルのガザでの大虐殺はどうしようもないことなのか。

タイトル通り。

先日、毎日新聞時代の写真部の先輩と飲んだ。仮にK氏とでもしておこうか。

この人とはずっと気が合って、一年に何回か飲む仲。

考え方が非常にリベラルで、共感できるところがとても多く、話していてすごく楽しい。

お店は、都営新宿線の菊川のそばの、地元の常連客が集まる居酒屋。

話したかったことをいろいろ話して。そろそろいいかな、と思って、イスラエルのガザでの大虐殺について話を振った。

そしたら、彼は、とてもその辺の状況に詳しいようで。ずっと昔、イスラエルに滞在していたこともあるという。

で、イスラエルを止めるのは、そんなに簡単なことじゃない、という。

それはそうでしょ。誰も簡単だなんて思ってないよ。

オグラくんは、いつごろからガザに興味を持ち始めたの?と聞かれた。なので、ここ数年ですよ、と答えた。それまでは?というので、よく知りませんでした、と。

向こうにはその気はないのかもしれないけど、とがめられているように感じた。こんなに世界的に重大な事案を、お前はこないだまで知らなかったのか、と。

まあ、それはいい。知らなかったのか?と尋ねられたら、知りませんでした、と答えるのが、あたしの流儀。だってウソをついたって仕方ないじゃん。

どういうことかっていうと、たとえば安土桃山時代とかに、地球の裏側で、大きな戦争が起きていて、ものすごくたくさんの人たちが殺されてしまっていたとする。でも日本に住んでる我々には、知るよしもないよね。

まあ、イスラエルがどれだけひどいことをしてきたか、それをよく知らなかった、というのの弁明としては、やや苦しいかもしれないけど。

で、K氏は、こういう。

自分でどうすることもできないことに関しては、残念ながら、どうすることもできない。

ここであたしと大きく意見が食い違うわけだよ。

よく聞く言葉に、こうあるよね。

われわれは、微力ではあるかもしれないけど、無力ではない。

とくに僕は仏法者で、創価の法華経を命の底から信じていて、祈りの持つ底知れぬパワー、そして祈りを根本にしたときの人間の言動がどれだけ世の中を揺り動かすかを知ってる。

師匠である池田先生が、その範を示してくださっている。これほどまでに、というほど。

だからあたしは、自分にほとんどどうすることができなかったとしても、声を上げないという選択肢はない。だからtwitterや、こうやってブログやfbで、読者のことをあまり顧みずに、ガンガン自分が思っていることを書き連ねている。

彼、K氏は、twitterとかをやらない。あまりSNSみたいなのが好きではないらしい。

ムダにつながるのが嫌なので、スマホのアドレス帳にも、ほとんど登録していないらしい。

いまはiPhoneを使ってるけど、数年前まではWindowsフォンを使ってた。笑

ヤバくね?笑

つい熱くなって声が大きくなったら、都営新宿線菊川駅そばの地元の常連客が集う居酒屋の隣に座ってたおっさんに、うるせえんだよ、って怒鳴られた。ちょっと横木安良夫に似てた。メガネが丸いか、つい確認しちゃったよ。笑

クールダウンする意味で、菊川駅の角のマックでお茶した。それなりに和解できたかな。

最後はいつものように握手して、ハグして別れたけど、まだまだ話すことはいっぱいある。

祈ることの意味とか。祈る対象が何であるか、とか。そして祈りの言葉? 呪文? 文字列の重要性とか。

今日は、生まれて初めて、撮影の仕事で江東区辰巳に行った。

辰巳というのは、あたしが小学校2年生の2学期まで住んでた場所だよ。

いまでもハッキリ覚えてる。85号棟、201。目の前にあった公園は、ただの空き地になってた。

よく言われることだけど、ありゃ、こんなに狭かったのね、と思った。北側の道路沿いには夾竹桃が生い茂っていたのに、影も形もなくなってた。遊具もあった気がするんだけどなあ。ブランコとか。

目の前には高層の86号棟。すごくよく覚えているんだけど、あたしが辰巳に住んでた頃、86号棟で、飛び降り自殺があったのよ。2階の西の端の我が家の窓からよく見える外階段で。

翌日の新聞には、ここからこうやって飛び降りた、という太い点線矢印つきの写真が載ってて。

それがものすごいインパクトだった。え、人って高いところから自分で飛び降りて死のうとするの? それはなんで?

もうひとつ、辰巳の子どもの頃の記憶。辰巳って埋め立て地だから、周りは全部、海というか運河というか、新木場も近いので、西側には、木材がいかだ状に、運河に浮かべてあって。

あるとき、小学校の全校集会で、校長先生が、こんなことをいう。

絶対に運河に浮かべてある木材の上に乗って遊んではいけません。もし海に落ちたら、絶対に上がってこれませんから、と。

たぶん、そうやって死んでしまった子どもが、いたんだろうね。

今日、地下鉄の駅を降りてすぐそこにある江東区立辰巳小学校の校門を写真に撮ったけど、50年前と全然変わってないのね。あたしの脳裏には、あたしの入学式での母とのツーショットが刻まれてるよ。

あの写真、誰が撮ったんだろう。たぶん父なのかな。

父は去年死んだし、母はほとんど言葉を発しないので、もはや確認するすべはないのだが。

ひとつ上の姉が、夏の日の夕方、母とケンカして、御本尊なんて、ただの紙切れじゃん!と叫んで家を飛び出していって、僕はその頃、おねえちゃん子だったから、すぐ後を追ったのだが、昔からずっとじゃじゃ馬の彼女は、夏祭り会場の手前のフェンスを意味もなく跳び越え、着地に失敗し。

そのときに、落ちてたガラスの破片が、彼女の膝に刺さり。それから半年ほど、ずっと膝でジュクジュクいってたのを記憶してる。

そんな姉も、人がいないのを憂えて、自分から手を上げて、いまや立派な東金市議ですよ。

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