GWのあいまに

早起きして肉を焼いてご飯を食べて、あさりのカップラーメンも食べて、メルカリのCDとニコンの16mm fisheyeをいつもの田喜野井のビッグエーのPUDOから出してきた。

ついでにお買い物も。ミニトマトがイヨーに安くなってて。袋に6つも7つも入って98円。これは買うしかないでしょ。トマトって小さいほうがうまみが凝縮してるよね。

あと、漬け物とか、伊藤園の濃茶とか、あ、あと、ベトナムの袋のフォーが売ってたので2種類、買ってきた。お湯で茹でるヤツじゃなく、お湯を注ぐタイプ。むかしのチキンラーメンみたいな。知らんけど。あとなんだっけ。あ、そうだ、あたしの主食のタカラcanチューハイ梅干し味500を2本。

あと、PBのヨーグルト、ブルーベリー味。これ、安くておいしい。そこはかとなく甘いし。

さんざんtwitterやfbでも書いてきたけど、ずっと手もとに置いておいたニコンFマウントのレンズをひとつずつ処分してるところ。先にマウントアダプタのFTZIIを手放して、レンズたちには背水の陣を敷き。こないだ号泣しつつも思い出がたくさん詰まったSIGMA 35mm F1.4 Artを売却。それなりにいい値段で買い手がついたので、よかった。いっときは西新宿のmap cameraに持って行こうかとも思ったけど、さすがにカメラ屋の買い取りだと、どうしても足下を見られる。時間に余裕があるのなら、メルカリでアレしたほうが絶対にいいよね。

どうも、ついてたアイコンの写真を見ると、買ってくれた人はムスリムの女性で。いや、ホントかどうか、わからないよ。でも日本語がすごく拙かったので、外国人であることは間違いないかなと。やりとりも、ものすごくまったりしてて。コンビニかATM払いを選択されたので発送を待たされたんだけど、お支払いもなかなかしていただけず。期限を過ぎたので、さすがにキャンセルしようと思ってたら、体調が悪くて支払いに行けませんでした、と。ホントかどうかはわからないけどね。彼女なりに金策に走ってたのかもしれないし。

その前に、なんだっけ、何かを売ろうと思ったとき、あ、やっぱり同じSIGMA 35mm F1.4 Artだったかな。6万5千円で売り出したら、ソッコー、これも外国の方だと思うんだけど、5万円で売ってくださいとコメントが入り。なんか出てる値段を無視して自分の都合だけで、いくらにまけてくれ、っていうクソコメントが最近多くて辟易としてたんだけど、あまりにもアレなので、聞いたの。

あなたは外国の方ですか。ご自分でこのレンズを使われるんですか。それとも転売されるのですか、って。

そしたら、自分はインドネシアの人間であると。インドネシアに店を持っていて、そこで売ろうと思う、と、正直に答えてくれた。あたしは自分が手放すレンズを、なるべくだったら、これからも大事に使ってくれる方にお譲りしたいと思う。申し訳ないけど転売ヤーには売りたくない、と。そのままコメントで書いちゃった。そしたらもうコメントは返ってこなかったけどな。

最近、海外のユーザーの代理として購入させていただきました、みたいなエージェントが買い手になることもすごく多くて。カメラとかレンズって、日本だと安く、あふれてるんだろうね。それが、日本がだんだん貧しくなると同時に、少しずつ海外に流出し。

むかし日本がバブルの絶頂期だった頃、世界中のライカを買い集めている、みたいなことをいわれてたけど。

で、Fマウントレンズは残すところ2本。SIGMA 85mm F1.4 DG HSMと、あとはニコンのAF-S 50mm F1.4G。これだけ。85mmはもう何年も使ってない。最後に使ったのはたぶん、九十九里で某女子を撮ったときかな。もう4年か5年前になるか。それからずっと防湿庫の肥やしで。ニコンの50/1.4は、たまーに仕事で使ったかなあ。よく覚えてない。記憶にない。まあ、常にバタバタしてるこの手の撮影だと、単焦点レンズって使いづらいのよ。のんびり散歩しながら、ゆったりと気に入ったモノを撮るような趣味の撮影ならいいんだけど。

で、まあ、どちらも、自宅の防湿庫で眠らせておくのも、もったいないというか申し訳ない、と心の底から思うので、そろそろ手放すことにしようかなと。

よくヨーロッパの王家に伝わる装飾品、いろんな呪いとか伝説とかに彩られてるって話をよく聞くけど、レンズもそうだと思われ。カメラよりも、レンズがそうかな。

だってレンズって、自分の体内のガラスを全力で使って、外からの光をめいっぱい取り込むんだよ。それがものすごく美しい若き女性かもしれないし、この世のモノとは思われない夕陽かもしれないし。あるいは、戦争のむごたらしい惨状かもしれない。仏法では有情(つまりは感情を持つ生命=動物ってことね)には当然のこととして、無情(無生物+感情を持たないとされる植物かな)も十界を持つと説く。つまりは生命の10段階のことね。幸せなのか、ものすごく不幸なのか。

レンズにも、それを感じる。

何が言いたいかっていうと、あたしの所有してた、そして手放しつつあるレンズたちは、みんな幸せ者だなって。だって、ものすごく美しいモノしか、美しい光しか、透過させてないもん。くまもん。

そんなところかなあ。いまになって50mmと85mm、どちらかというと85mm、手放すのが惜しくなってきて、もういっぺんマウントアダプタFTZIIを入手しようかなと考えたりもしているGWの合間の昼下がりのこと。げ、まだ7時11分だ。笑

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