今日の午後にもApple F氏から再度電話があった。
Appleのエンジニアがいう、Qi不具合の回避方法?
設定のバッテリーで、バッテリーの状態から「バッテリー充電の最適化」を選び、再起動。それでどうなるか?
いまこの段階。
それがダメなら、電池が切れるまで使い切り、ケーブル経由で充電して、様子を見ろ?だっけな。
それを電話口で話すわけ。こっちとしてはメモするのも面倒くさいし、テキストでくれませんか?と正当な要求をつきつけたところ、テキストで伝えることはNGである、と。
は? バカなの?
その瞬間に、自分のなかでナニカが切れた。
あ、Appleって、そういう会社に成り果ててしまったのね。
一事が万事。
昨日、怒りに満ちてAmazonで購入したAnkerのQi充電器2つは届いたので、いままでずっと使ってたQi充電器と交換。USBのACアダプターも2Aの高出力のモノにひとつずつ交換していく。
で、たぶんそのうち、iOSもちょっとずつバグ出しに精を出して、前から何度も言ってるとおり、15.6あたりで僕が嘆き苦しんでる再起動から10日ちょっと過ぎるとすべてのQi充電器を拒否る症状、きっと解消される気がするので、あるいは永遠に解消されないとしたら明らかにiPhone12に欠陥があるということなので、残債をサクッと払って次のiPhone13にいくゎ。キリスト教圏なので13を飛ばして14にいくかもしれないけど。まあそんなのはどうでもいい。
僕の属する団体での今回のゴタゴタでも改めて学んだ。
「伝え方」というのは「伝える内容」と同じくらい大事なのだ、と。
ずっと昔から、映画の例を挙げて、数限りなく指摘してきたよね。まあ、自分のことは自分がいちばんわからないというのも真実であり。あと、映画と違って、特定の相手に伝える場合は、とくにその相手に特化して伝える(伝わってもらってほしい)努力をふだんの何千倍もして、そのうえでやっと言葉を発しなければいけないということを痛いほど学んだ。
ほら、あたしって独り身のいつポックリ逝ってもおかしくない初老の男だし、どういう言葉を使えば女性にうまく思いを伝えられるかって、まったくわからんのよね。
あ、愛の言葉とかじゃないよ。そんな楽しい話じゃない。笑
まあいいや。このへんは時間をかけてじっくりと熟成させていきましょうかねぇ。
どうでもいいけど飲み過ぎだろ。
肝硬変から肝臓ガンへの黄金コースまっしぐらだろ。
そろそろ遺言状を書こうかな。
とかいってて、万が一、長生きしすぎても嫌なんだよなぁ。
遺言状に書いた、全財産を●●に贈る、の●●から、まだ死なないの?とは言われてもイヤだし。笑
なんの話だっけ。
ひとことでいうと、「戦えや」ってことかな。
われわれは、戦うためにこの世に生まれてきたんだよ。
なんに向かって戦うかって?
そんなの自分で考えろや。わかんなかったら聞いておいで。10分5000円から受け付けますゎ。笑
あしたは市内の幼稚園で、卒園アルバムの個人撮影。超緊張する。相手がどんな子どもであっても、命と命のぶつかり合いなんだよ。ま、そんな大げさな話じゃないかもしれないけど。でも。