夢を見た。たぶん都心の?幼稚園。園自体は休園中のようなんだけど、園児たちがこのあとやってきて、なにかしらの集合写真を撮る、みたいな。僕はやることもなく園舎のふちにずっと座って待ってる。
すぐそばに同業者の男性がいて。もしかしたらビデオ担当の方かもしれない。ふたりで「きませんねぇ」なんていいながら、のんびりしてる。春の日差しが暖かい。
そのあと、なぜか園舎の二階へ上がるシーン。どういうわけか僕は下半身に何も身に着けていず、すっぽんぽん。いや、これが僕のデフォルトなんですよ、みたいな。夢のなかではそこまで変だなとは思わず。いま思ったけど、ここ最近、日常、マスクを着けたくないのにつけることが義務づけられてる、そんな日常に対する不満というか鬱憤がこのようなカタチで夢に出たのだろう。まだ夢だからいいけどね。
いやけど日本にヌーディストビーチがないのって、ホントに変だよね。
江戸時代までは、そのへんけっこうゆるかったっていうのに。明治政府はいろんなものを乱暴に消し去っていったよね。
愛知では学校の休校が5月いっぱいまで延期されるみたいな情報も流れてきたけど、まあ千葉もきっとそうなるんだろうけど、4月はほとんど仕事しなかったけど、さすがに5月のGW明けもこれだとまずいよな。例の10万円と、あと政府の個人事業者あての支給金をあてにしてるけど、いつになるかわからんし、後者はもし対象外とかいわれたら、目も当てられないもんな。あとずっと自宅でだらだらしてるのも精神衛生上、極めてよくないと思われ。
とはいってもカメラマンの仕事もないだろうし、在宅でライター?編集?っていっても、そんなにギャラのいい仕事は落ちてないし、学童保育のお手伝い?とかも考えないことはないけど、いずれにしてもGW明けだよね。いっそのこと毎日通ってるイオンでバイトしようかなっていうのもけっこう本気で考えてる。
いいとか悪いとかじゃなく、いまこのときは、生活に絶対に必要な仕事しか残ってないというか。学校とか幼稚園とかに行って写真を撮る、という仕事が人間が生きるために絶対に必要かっていったら、それはそうじゃないというのはわかってる。だから重要性が低いとか価値がないとかは思わないけどね。まあけどこの事態が少し長びくとしたら、しばらくカメラマンは一時的に廃業でも仕方ないよね。
もちろんアベ政権のどうしようもなさを批判するのは必要だと思うし、僕も毎日twitterでせっせとやってるけど、アベ政権を批判すればどうにかなるとも思ってない。だってここまでこのどうしようもない無能な男を総理大臣としてやらせてきたのは、紛れもなく我々日本人のひとりひとりだし。自民党に入れてない人も入れてね。なのでいまの現状は当然の報いなのかなって気がしてる。戦争の時もそうだよね。政府が勝てるわけのない戦争を始めて国民を不幸のどん底に陥れて戦後も自分たちで責任追及もできずに、連合国のやった裁判に文句だけ言って。昔から変わらないよ、この国の民衆は。本気で怒るってことが、できないんじゃないのかな。
ずっと自分の仕事をどうしようってそればっかりがアタマを占めてたけど、twitterで流れてくる惨状を見るにつけ、ああ、自分の仕事、自分のカネ回りばっかり考えてても仕方ないなと。国難、総罰だからね。自分だけじゃない。みんなと一緒に耐え忍ぶしかない。自分も苦しいからこそ、ひとを心の底から励ますことができる、ということをきょうの聖教新聞であらためて学んだ。本当に有り難いと思う。今年の1月から聖教新聞を日曜日だけ配達させてもらってるけど、仏法に偶然はない、って言葉をあらためて噛み締めてるよ。
なんか昨日までは、どんなにコロナが流行してもあたしだけは感染しない、たとえ感染したとしても軽症で済むに違いない、って思ってたけど、埼玉や神奈川で40代、50代の男性がコロナで病院にもかかれずに亡くなったというニュースを聞くと、あー、他人事じゃないのかも、とちょっと思い始めた。うーん、いま死んだら、さんざんお世話になってきた先輩方に、まったく恩返しができてないなあ。来世でいいか。(x x)☆\バキッ