東金へバスケ撮影に

昨日も東金までバスケの撮影に行ってきた。一昨日の横浜に比べたら、全然近いのね。それに東金有料道路はゆったりで、2車線路肩なし高架、の横浜への道筋に比べたら、全然ラク、全然快適。1時間もかからずに済んだ。

父の田舎がむかし九十九里にあってね。それで子どもの頃は毎年、九十九里に泳ぎに行ってた。親戚がみんな集まって。むかしは東金有料なんてないから、狭い国道をトロトロ時間をかけて行くのが常で。京葉道路が、いまの穴川の先まで延びたとき、すごく感動したのを覚えてる。

11時から20時まで、ほぼ休まずに撮影して、帰ってきた。夜はガラガラで、21時前には帰宅したんじゃないかな。いつものイオンで鍋の追加の具を買って。

これで怒濤の撮影ロードは終了。きょうは友人たちと会って、あしたは勝田台で、29日はたまった画像整理をしこしこやる。ひたすらやる。

オグラの2016年は、どんな一年だったでしょうか。基調は去年から続く、ひたすらもがく1年であったように思います。雌伏、というのに近いかも。この言葉、あるいは、いまとなっては差別用語でしょうか。それはそれとして。たとえてみたら、固体のたとえば氷が液体の水になるときに、温度上昇が止まって、そのぶん固体から液体への変化が進む、みたいな、そんな1年だったかも。今年、新しく撮影の仕事をさせてもらった写真屋さん、ちゃんと数えてないけど、10近くになるんじゃないかな。研修撮影ですべてを察してすべてが終わった写真屋も数えると。笑

そして、自分のなかで、とてつもなく大きいのは、10月か11月に、自分がこの人生のいちばんベースにしているもの、この理想のために生きようと考えているモノの意味について、自分なりに、一歩理解を深めることができたというのが、ある。これは、ここではほとんど具体的に書けないけど、いままでなんとなく、そこはかとなく、全力でアクセルを踏むことに躊躇していた部分、欠けた輪の一部、ミッシングリンク?みたいなのが、祈ってたら「あ、そうか…」と解消された、という。うまく書けないけど、本当に誇張ではなく、これはとてつもなく大きい。自分のなかでのモチベーションも千万倍向上するし、何よりも人に自信をもって語れるようになる。

そういうわけで、来年のオグラは、撮影の仕事、勝田台の塾講師の仕事をいままで以上に頑張って行きつつ、編集やライティングの仕事も積極的にやっていきたいと思ってる。来年こそは、ベトナム(かどっか)に行きたいなあ。今年は結局、行けなかったので。

年末年始は、カネもないので、ガテン系のバイトでもしようかな、と思ったけど、考えをかえて、映画鑑賞と読書三昧といこうかなと。映画のほうは、Amazonのプライムビデオを見まくる。読書のほうは『攻防900日』を読もうと思ったけど、やっぱり『法華経の智慧』を再読することにしました。最初から最後まで通読することで、みえてくるものも絶対にあると思うので。

というわけで、オグラの2017年を、生温かく見守っていただけると幸いです。

あ、そうそう、このあいだ、ものすごくお世話になった壮年の方が亡くなり、仕事で葬儀に行けなかったので、前の晩にご自宅を訪問したのね。焼香して、奥さまと娘さん、そのだんなさんにご挨拶して。ざっくばらんな語らいになったときに、奥さまが、オグラくんもそろそろいい人を見つけないとねえ、と話され。もったいないわよ、と。

このひとことに静かに感動した。たぶん、オグラのまわりの99.99%の人は、たぶんこの男は、このあともひとりで生きていくのだろう、と思ってると思うけど、このご婦人は、もったいない、とあえて言ってくださった。「もったいない」って言葉は、その時々によって、いろんなふうに響くけど、僕はなによりもありがたく受け取った。このうえない応援メッセージとして。

以下、備忘録として。
念仏と題目の違いについて。
キリスト教の自己犠牲と仏法の慈悲について。
そのうち、大論文でも書こうと思ってる。うそ。笑

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください