1997年7月

 

日記

●平成九年

・7月27日(日)

ああ、月日がたつのが異常に早い。嫌になるよ。もう7月も終わってしまう。ああ。
今日は、やたら充実した日だった。いろんな人と電話で話したし、いろんなところへ行った。
髪の毛もばっさり切ったし、新しいスニーカーだって買った。
明日から、また、締め切りに向けて仕事だ。楽しみだ。
たまには早く寝て、早く起きよう。(希望的観測)
 
 
・7月26日(土)
 
ディケンズのコパーフィールド読んでる。1巻の半分くらいは行ったのかなぁ。
ちょっと疲れたので(酔ってたし)、解説を読んでみた。どの優れた作家も
そうなんだけど、ものすごく多面性を持った人みたいだな。なんちゅうか、
癒やされないというか、いつも欠落感を抱えているというか。そう、なにかの
代償として、書かずには居られないから、書くみたいな。そういえば、
「ノルウェイの森」の「永沢さん」が言ってたと思うけど、つねに渇きを
感じているというか。
 
 
・7月25日(金)
 
今日、新しめのシングルCDを借りてきたんだけど、ちなみに、
ル・クプルの「ひだまりの詩」、吉村由美の「VACATION」、
広末某の「大スキ!」(^^;(^^;、そして偶然目にとまった沢田知可子の「幸せになろう」。
この歌、私の友人の結婚式で、友達何人かでコーラスして。(私は歌ってないけど)
それがすごく良かった。曲もイイし、歌詞もイイ、感情こもってたし。みんな
歌うまい。私の時も歌ってほしいなぁって、今日、すごくそう思った。
 
ところで、広末涼子ちゃんの「大スキ!」、1曲目に比べると楽しそうだし、
すごくいいと思うんだけど、でもこのCD、この曲しか入ってない。
sun-deck versionつうのと、CM version、original karaokeも入ってるけど。
ま、1曲だけ入れて、500円とかで売るという商売も有りだよなぁ、と思って
値段を見たら、1020円(税抜価格971円)。驚いた。アコギな商売しないで
ほしいなぁ。楽曲が岡本真夜作詞・作曲の、なかなかポップなイイ曲だったので、
すごく残念。
 
ついでに、前作の「マジで恋する5秒前」(だっけ?)のことも書くけど、あれは
ちょっと酷かったと思う。竹内まりや作詞・作曲だったけど。いやいや、この人
アーティストとしてはすごいと思うし、彼女の曲で好きな曲って結構あるんだけど、
彼女がアイドルに提供した曲って、どうもあんまりイイ印象を持たないなぁ。
むかし(ずっと昔)、河合奈保子の「ケンカをやめて」とか、そうだったと思うけど。
「INVITATION」もそうだったかな?
 
特に歌詞が気に入らないんだけど、なんか必要以上にメルヘンチックというか、現実
ばなれしてるというか、無理があるというか。すごい違和感を感じた。
今回の広末の曲もそう。たとえば、タイトルからしてそうなんだけど、なに?
「マジで恋する5秒前」って。あんまりじゃない? 確か、一番最後の歌詞って
「マジで今夜眠れない、真夜中の5秒前」っていうんだけど、ナニコレ状態。
真夜中の5秒前、という歌詞にどれだけの意味内容が含まれているというのか。
ただ、5秒前という決まり文句を引っ張ってくるだけの枕詞に過ぎないと思うな。
あと、「子供じみた趣味だとあなたはからかうけど」っていう歌詞も相当に
変だよ。同世代の男の子が、ガールフレンドが一緒にプリクラを撮りたがるのを
「子供じみた趣味」なんて言わんだろう。「じみた」なんて言わないよ。いまの
若者は。この台詞一つを取ってみても、「マジ恋援助説」(マジで恋する5秒前
援助交際説)が成り立つのではないか。そうすると、渋谷が苦手なのも分かると
いうもの。彼女のテリトリーは池袋なのだ。(これはちょっと失言ですね)
この「渋谷はちょっと苦手」という歌詞もあざといと思うなぁ。「あざとい」とまで
いってしまうのは私が千葉県民で、昔から「東京西南部東急沿線ブルジョワ文化」を
毛嫌いしてるからかも知れないけど。でも、「渋谷はちょっと苦手」なんて歌詞は
よくないよ。だって、「京葉京成沿線寅さんもしくは金八先生文化」族が同じ
こと言ったら、「上野はちょっと苦手」とか「鶯谷はスキじゃない」とか、ぜんぜん
洒落にならないじゃない。洒落になるかならないかは、この際どうでもいいんだけど。
広末の曲のことだけで、よくこれだけ書けるな。我ながら、驚いている。やっぱり
朝のビールは効きますな。はっはっは。
 
でも、「マジ恋援助説」は、信憑性ない訳じゃない。だって、次の曲では「2回目の
ドライブ」に行くのだから。
勝手に書いてなさいという感じだが、初めて読んだ人、これみんな冗談ですからね。
広末の事務所に言いつけて怖い人を派遣したりしないで下さい。m(_._)m
↑これももちろん冗談です。(^^;(^^;
 
 
・7月24日(木)
 
今日、あるゲーム会社の新作発表会があり、出席した。新宿の超高層ビルの
39Fで。そのあとの懇親会で、ちょっとお酒が入った。ちょうど夕暮れ時で、都庁のビルが
うっすらとオレンジ色に染まっていて。下の方に見える、クルマの列や、家路を急ぐ
人たちや、たくさん立ち並ぶ小さな家々を、しばらくひとりで見ていた。
考えてみると、私は高いところが好きみたいだ。前の仕事でも、ヘリコプターに
乗るのが、異常に好きだった。ヘリの上では、もう、いつ落ちて死んでもイイ、と半分以上、
本気で思ってた。空から見える九州の大地は、ホントにホントに素晴らしかった。
なんだか、空の上って、すごく静かなのね。もちろん、ヘリコプターの音は、
もうどうにでもなれ、ってくらいうるさいんだけど、そうじゃなくて、
地上の音が伝わってこず、なんだかシンとしているのだな。あれがなんだかすごく
不思議に思えた。田んぼの中の道を、軽トラックがブーーーン、て(実際は、音は聞こえない
んだけどね)進んでいく様子なんかが、とてもいとおしく思えた。
 
ちと、だいぶ話がそれてしまったけど。
 
って何を書こうとしてたか忘れた。(笑)
 
 
 
 
・7月22日(火)
 
今朝買った「村上朝日堂の逆襲」を読み終わってしまい、次は、と思って
帰宅途中に昭和堂で買ったのは、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」。
朝日堂でも出てきたし、池澤夏樹さんの「タマリンドの木」でも、イイとこに出てくる。
それで。読むしかないと思って、さがしたら、新潮文庫に見つけた。‥‥全4巻。
さすがに躊躇したけどねぇ。それでも、仕方がない、読むぞ、と思って、第1巻を
手にレジへ向かった。読み始めるのは明日。どうでしょう。「大地」の時みたいに
うんと楽しんで読めるでしょうか。
 
会社でなにげなく見たら、私の大好きなAKIKOちゃんのページが更新されてて。
日記のコーナー。相変わらず、とがってる。いいなぁ、とがれて。?
歳をとると、あんまりカリカリ出来なくなるもんなぁ。イイか悪いか、分かんないけど。
ありがちかな、とは思うけど、彼女に、神戸の事件のことに関して、なにか考えを
聞きたい。
 
今日、日本信販から、7月の支払いの明細が届いた。はぁ。まだまだ、つらい日々は
続くのですね。(^^;
 
それから、CPUの買い換えだけど、MMX Pentium 233MHzが3万円切ったら、買いましょう。
(完全に独り言モード)
 
 
・7月21日(月)
 
声のことを書こうと思う。声の善し悪しにすごくこだわる。私。
特に女性の声には、すごくうるさい。どんな声が好きかと言えば、
落ち着いた、低めの、ちょっとかすれた声。知性を感じさせるような。
どんなに可愛くても美人でも、声を聞いてがっかりすることは多い。
でも、じつはだいたい、顔と声って関係が深いし、顔を見たらどういう
声なのかとか、どんな風なしゃべり方をするのか、ってだいたい分かる。
のっぺりしてて、薄っぺらい顔をしている人は(って、物理的な意味じゃ
ないんだけど)、やっぱりそういう声をしてる。いかにも重みのない、
発した先から消えていくような、あまり聞く耳をもてない、そういう声。
そうじゃなく、表情が立体的で、いろんな顔を持っている、目が涼しげで
とても知的な匂いのする人は、やっぱりそのひとなりの、イイ声を持っている。
男は40になったら自分の顔に自信を持て、って言ったのはリンカーンだったと思うけど、
女は25になったら、自分の声に自信を持て(るようにしろ)、と言いたい。いやいや、男も
同んなじだと思うんだけど。
最近、特に企業の広報の女性の方と電話で話をさせてもらう機会が多いので、
そんなことを考えたりする。
 
でも、声って大事なのよん。その人の本質が出るんだよ。あんまり、そういうことを
言う人って聞かないけど。私が知ってるのでは、宮本輝の「錦繍」の中に、出てくる
かな。声の善し悪しに触れた部分が。女性の主人公とその父親との会話
だったと思うけど。
 
ノルウェイの森、下巻も読み終わった。昨日の夜中と、今日の昼と。
なんでしょう。感想。死の象徴の直子と、生の象徴の緑と。その中間にいる
レイコさん。
でも、前も書いたと思うけど、この小説、あんなに(ってよく知らないんだけど)
売れてしまったことは大きな悲劇のような気がする。ベストセラー小説ってみんな
そうなのかも知れないけど、それほど(うんと売れたほど)、多くの読者の心の
なかにまで、届くようなものって持ってないと思われ。いやいや、優れているとか
そうでないとか、っていう問題でなく、作者の問題意識って、数百万の読者の
全員に伝わるような普遍性を持っているとは、とても思えない、少なくとも、
この「ノルウェイの森」に関しては、そう感じた。狭いというのが悪口でないと
いう前提のもとに書くんだけど、この小説、そんなに広い小説じゃないと思う。
どちらかというと、すごく狭い小説だと思うな。狭いというのがなんなら、
尖っていると言えばいいか。
 
さあ、次に何を読むか。いよいよ難しくなってきた。
 
 
・7月20日(日)
 
ヘミングウェイ・ショックから立ち上がれずに(笑)、仕方なく「ノルウェイの森」を
読んでる。上巻、読み終わった。さささっと。緑との交感も、あんまりしっくりこないし、
直子やレイコさんとのやりとりも、どうもピンとこない。急いで読み過ぎなのかな。
ただ、最初の古井戸の話。これは涙が出るほど、つらく沁みた。よくよくよくよく、分かった。
「運命」とか、もう少し濃いい言葉でいうと、「宿業」とかいうものというのは、どんなに
どんなに人が努力しても、他人と寄り添うことは出来ないということ。人の宿業を半分、肩代わり
することは、どんなに愛していても(通常は)不可能であるということ。そう「作者が感じている」ことを、
強く理解した。ヘミングウェイにもあい通ずる諦観だ。歴史も住む国も、違うのに。このようなことを
大勢の読者に知らしめるために、彼らは小説を書いたのだろうか。なんということだ。
 
 
・7月19日(土)
 
そういえば、ヘミングウェイの「武器よさらば」の感想書いてなかった。
最後まで、救いようのない話なんだよね。戦争を自分で終わらせて(兵隊を抜け出して)、
すきな女とスイスに逃げる。ふたりで幸せそうに暮らしてるんだけど、
子供を産むときに、彼女も、赤ちゃんも死んでしまう。それで、ジ・エンド。
ナニコレ、と思った。解説を読んだら、ヘミングウェイの一貫した主題、人間の
努力とは無関係におそってくる運命的な不条理、だったかな。そんなことが書かれてた。
ふーん。なんだか釈然としない。釈然としないから、「誰が為に鐘は鳴る」も
読んでみようかと思っている。これがダメだったら、私にとってのヘミングウェイは
おしまいだ。
 
 
・7月17日(木)
 
神戸の事件に関連して、灰谷健次郎さんがが新潮社から版権を引き揚げるらしい。
立派だと思う。生活の糧を失うかもしれないことを決断した彼をたたえたい。
なにがなんでも彼を守るぞ。それから、毎日新聞に載ってた、吉岡某さんと、
辺見庸さんの記事、すごく得心がいった。切り抜きを忘れずにしよう。
 
毎日のように、いろんな読者のコメントが載ってるけど、私、短めのコメントは信じない。
信じないというか、聞く意味を持たない。その発言をしている人の人生観とか、人間観とか、
死生観とか、どうしてそういう発言をするに至ったかを突き止めないと、あまり意見を
並べても意味がないように思う。とことん話し合う必要がある事柄だ。朝まで生テレビで
やってくれるかな。
 
「春の夢」を読み終わって、さて、次はなに?
うーん。ちょっと思案中。今日も何も買わなかった。マシアスギリの失脚を、文庫も出たこと
だし、読み返してみようという気持ちが少し、それから、赤と黒か、アンナ・カレーニナか。
偉大なるギャッツビーを別の訳で読み返してみようか。
 
・7月16(水)
 
宮本輝の「春の夢」を読んだ。ずっとむかし読んだことがある。学生時代。
こんなに長い話だという記憶はなかった。もっとずっと短かったと
思ってた。蜥蜴を釘で刺してしまって、それがずっと話の中心に
なっていくのだけ、記憶にあり、可愛い恋人の陽子ちゃんとのこととか、
すっかり忘れてた。なんか外人が出てきたなぁということはうっすらと
覚えてたけど。ホテルマンの磯貝とか。
それでも、釘を刺された蜥蜴がずっと生きている気持ちの悪い話、という
片づけ方をしてた。自分のなかで。読み返してみて、いろんなことに気が
ついた。「気がつく」なんて言い方はアホみたいなんだけど、釘で刺し抜かれ
ているのは、蜥蜴だけじゃないんだ、とか(……それは主題だっつうの)。
千代乃ばあさんのひどい死に顔とか。ホテル内の権力争いとか。陽子との
日々とか。母親の生活とか、借金取りのあこぎなやり方とか。
 
それでも、読後感は決してよくなかったなぁ。なぜでしょ。陽子の相手、
自分の恋敵のデザイナーと会ったときに哲之のセリフとか。必死だったとは
いえ、ちょっとみっともない。好きになれない。少なくとも、私は自分を
あそこまで捨てられない。2人のことを邪推する彼を見ていて、小さなことに
こだわりすぎじゃあないの、と思う。
若いから、かもしれないけど。
 
ホテルの権力争いの渦中にいた?百合子とかいう女も哀れだった。
すごい顔をして死んだ千代乃とか。ちょっと、悪いやつがたくさん出て来すぎる
かな。
 
優駿のような、あらゆるもくろみが成功する小説というのは、本当に少ない、
難しいのだろう。彼ほどの小説家にしても。次は何を読むか。
「アンナ・カレーニナ」にいくか、それとも宮本文学をもうひとつ楽しむか。
「避暑地の猫」も、そろそろ読んでもいいかなぁと思うんだけど。読めば気持ちが
悪くなることは自明の理だから、ちょっとねぇ。よっぽど自分が満ち足りた精神
状態でなければ、「彼女は14歳で腰の使い方を知ってた」なんていう文章を読むと
やりきれなくなる。いや、ホントに。
 
それにしても、春の夢、最初は棲息というタイトルだったというのが、ものすごく
興味深い。「棲息」から「春の夢」へ。ある大きなひとつの事柄を反対側から
見たような、2つのタイトルだなぁと思う。
 
 
・7月13日(日)
 
ソフトで大事なことは、操作画面に清潔感があるかどうか。とふと、そんなことを思った。
「清潔感」というのは、やや独特な響きがあるが、なんというか、ぱっと見の画面が整って
いるということは、それだけで、ソフトの出来ばえを期待できる。そのへん、Mac出身の
ソフトは、画面に清潔感を漂わせているものが多いように思う。最近、体験版を使わせて
もらってる「クラリスホームページ」もそう。Netscapeもそう。Photoshopもそうかなぁ。
Windows版の、日本のソフトで、画面に清潔感があるのは、うーん、にわかには思い出せない
けど、秀丸とか、イイ線いってると思うな。たとえばツールバーの絵の表示の形とか、色使い
とか、日本製のソフトって涙が出るくらい、気を使ってないものが多いように思われ。
ぱっと見の印象なんてどうでもいいと思われるかも知れないけど、それは、ソフトの
機能面での充実とかより、じつは前に来るものではないのか。
 
寝ぼけた頭で、ちょっとそんなことを考えた。
 
 
・7月12日(土)
 
うーん、久しぶり。「大地」のあとに手にしたのは、ヘミングウェイの「武器よさらば」。
最初の方の書き出しが、感じが良くて、それで読んでみようと思ったのだが、前半は退屈で。
何度も電車の中で読むのを中断して寝てしまったり。大地を読んでた頃には、考えられない
ことだ。けど、後半、急展開する。病院から戦場に戻り、部隊の撤退が始まるところから。
面白くなってきた。これから彼はどうなっちゃうんだろ。あと2/5。
今日も明日も仕事。今月の締め切りが過ぎる頃には、梅雨も明けてるでしょうか。??
今年はどんな夏になるのでしょう、ってあんまり期待してないけど。(^^;(^^;
 
 
・7月7日(月)
 
「大地」読み終わった。今日、会社に行く電車の中で。最後は、王淵が美齢と、やっと心を通わせ
合うところで終わる。父である王虎が死ぬときに。彼、王淵には、すごく共感を持てた。まわりの
人たちのように、熱中できるものをハッキリと見つけられずに、青春時代を悶々と過ごす。そのくせ、
漠然とした正義感は人一倍持ち、また、異性との関係に関しても、固すぎるくらいで。彼の名前を
「淵」と表記してあって、たまに「ユアン」ってフリガナが振ってあるんだけど、私は彼のこと、
親しみを込めて、フチって呼んでた。彼って、時代を超えた、ある意味では典型的な青年像だと
思う。自分に近い部分をたくさん持っている。
 
「大地」。あと、感じた部分を列挙しようか。とにかく、訳がいい。敬意を込めて、ここに、
新潮文庫版の翻訳者を記しておこう。新居 格訳、中野好夫補訳、となっている。うーん、私が
なかなか翻訳物になじめない(なじめなかった)大きな理由として、文章の中で、必ず、何カ所か
日本語として破綻している部分があるからであり。具体例を挙げるのは、どうかとも思うけど、
こないだ読んだ「偉大なギャッツビー」(集英社文庫)は、けっこう、キてた。最後まで読み通すのが
つらかった。
 
「大地」の話に戻るけど、話したいことがたくさんある。子どもというのは、いつの時代にも、親の
期待どおりには育たないものなんだな、とか、「母祖」って言葉はないけど、母祖とも言うべき、奴隷
出身の阿蘭という女性は、生涯、けっして幸福ではなかったかも知れないけど、誰がなんと言っても
立派な人生だったし、最後までだれも褒めてはくれなかったけど、なんだろう、彼女が彼女のあの人生を
生ききったということ、そのこと自体に「生きる」ということすべての価値がふくまれているのだろうとか、
そんなことを考えた。
 
あまりにも当たり前のことなのかも知れないけど、人の人生の価値というのは、誰かに褒めてもらったとか、
こんなに大きな勲章をもらったとかじゃあ絶対になく、どこまでも、死ぬときのその人の満足感だと
思われ。死ぬときだけは、だれでも、ちょっと真剣に、冷静に、それまでの自分の人生を振り返ることが出来るのだろうし。
その意味で、今まで以上に私は、自分が思ったとおりに、自分のやりたいことをのびのびとやろうと思うし、
そのなかで、ほかの人が少しでも幸せをつかむような、そんなきっかけを紡いでいけたら、どれだけ幸せか分からない。
 
ホントにホントに、といくつ「ホント」を綴っても、気が済まないくらい、「大地」を読めてよかった。
ホントに良かった。きっとしばらくしてから、必ず読み返すと思う。読み返さずにはいられなくなるときが、
きっとくると思う。
 
今月の20日過ぎから夏休みをとって、福岡に里帰りしたいと思うのだが、いかんせん、金がない。
昔から思ってたことだが、金がねぇ!! って、面白くないですか? え? おもしろくない?
あ、そう。
 
まちがえた。昔から思ってたことだが、じゃなく、かねがね、金がねぇ。
 
(^^;
 
 
・7月5日(土)
 
「大地」第4巻、あと少しで終わる。とても悲しい。この小説と出会ってから、まだ1ヶ月も
たっていないけど、この小説の中の登場人物を知り、しばしの時間をともに過ごせたことは、私の
生涯にわたる財産といえるのではないだろうか。
 
思いついたことを、あげる。優れた小説の常だが、「大地」にも、素晴らしい女性が数多く登場する。
美しい、と一言でまとめてしまうにはあまりにも惜しい、さまざまなタイプの女性が登場し。阿蘭、
蓮華、梨花、愛蘭、美齢、メアリー、そして名前のない革命党員の女、愛蘭の母。
 
また、この「大地」は、時代を描く大河小説であり、父子の物語であり、青春小説であり、そして
さまざまな人々の人生を描いている。
 
 
・7月2日(水)
 
というわけで、彼の写真の載った写真週刊誌が発売され、キヨスクやコンビニ、ホテルの
売店などで販売拒否の動きが広まった。
 
会社では、何人かの人たちが、彼の顔写真をすごく見たがっており。「あちこちさがしたけど
見つからなかった」という声も聞かれ。
 
正直言うと、わたしも最初、あ、見たいな、と思った。けど、それじゃあ、例の人権無視を
繰り返す出版社の手にまんまと乗せられてしまうことになるので、グッとこらえた。
 
横浜あたりで電車の女子高生が、でも、もし彼が犯人じゃなかったらどうするんだろう。
取り返しがつかないよね、って言ってた。感動して、握手したくなった。君みたいな子が、
法律を学んで、犯罪に巻き込まれた弱い人たちをどこまでも守る、法律家になってほしいな。
オジサンは一週間で挫折したけど。(^^;(^^;(^^;
 
昨日の日記。消そうかと思ったけど、残す。ビール350mm缶1本モードだったけど、
かなりイケてるね。ってじぶんで言うなよ。でも、そう。今日あたりから、少し元気、
出てきた。わたしには東京三菱銀行がついてる!って意味不明。いやいや、この家を
追い出されたら、銀行に金借りて、津田沼駅前にでもアパート借りよう。で、可愛い彼女をつくって
(大学2年生くらい)、半同棲生活を送るのさ。反動・性生活じゃないよ。(^^;(^^; どんな
性生活だっつうの。(^^;(^^;
 
ま、冗談はさておき。って、冗談以外なにがあるんだ、この日記には!というご立腹は、
もっともでして‥‥。ははは。今日は無意味に明るいなぁ。あちこちダニに?刺されていると
いうのに。
 
 
・7月1日(火)
 
 
今日。東京三菱銀行市ヶ谷支店の窓口で、日本育英会第2種の奨学金返済金を支払った。
14万3千円余。2回目の督促状の締め切りの次の日に。すこしほっとした。ところで、
今月わたし、どうやって生活したらいいんだろう。(^^;(^^;
 
徐々に締め切りが(仕事の)近づいてきて、うーん、だんだんと閉塞感にさいなまれる頃。週刊誌の編集者の
人たちって、どうしてるんだろう??? 週ごとに、こんな気分を味わっているのだろうか。うーん。
 
私の実の父親(55歳)は、人格的にもまったく尊敬に値しない人間なので、ホントは一緒に住みたくない。
しかも、彼は何を考えているのか、妻(私の母親)に生活費をずっと渡していないので、妻(私の母親)は
いろいろ使うお金に困って、サラ金などに200万円の借金をしていた。月々の返済額は15万円に達して
おり。去年の末、うすうすそれに気がついた私は、なんとかしなくては、と思い、実家に帰ってきた。‥‥実家に帰って
きた理由は、もちろん、転職をしたことが一番大きな理由なのだが、そういう実家の事情も大きく影響して
いたと思われ。私の実の父親は、あまり大きな声では言えないのだが、外国人の彼女がいる。ハイカラな
男である。なんでも、彼女と結婚生活を営んでいるようなふりをして、彼女の日本での生活を助けている
らしい。とても人道的な、男らしい、尊敬すべき振る舞いである。私もこの、私の実の父親のような、
立派な大人になりたい。
 
それはそうと。よくわからないのだが、この、私の実の父親は、このあいだ、いろんな荷物を実家に
持ち帰ってきた。全自動洗濯機(中古)、新しめの簀の子(でも中古)、布団(中古)、その他いろいろ。
全自動洗濯機は、当然のように、それまでの二層式洗濯機を追い出し、洗面所の一角を占め、その日から
フル回転を始めた。なぜか簀の子(中古)も、それまでのボロボロの簀の子にかわって、風呂場のタイルの
上に敷かれた。布団のことは私はよく知らない。
 
が。
 
数日あと、簀の子はなぜか、元のボロボロのものに戻ってしまった。布団も、私の実の父親が、自分の
乗用車で、どこかへ持っていったらしい。さすがに全自動洗濯機だけは、実家に居座っている。
 
私は、寡聞にして、いったい何が起こったのか知らない。しかし、居候の目から見ても、何か不自然な
物体の移動が数日の間に起こったということくらいは、分かる。それが何を原因にして起こったのかまでは
とても理解が及ばない。ただ、大人はいろいろ大変だな、と感心したり、気の毒がったり、軽蔑したり、
そのくらいである。居候の身なので、何が起ころうと、じっと耐えているしかないのだ。
 
わたしの今の一番の願いは、早くこの家を出ていくこと、わたしの実の父親が滅び去るのを、
淡々と見つめること。
 

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