あんまりいろいろ書くと、関係者の人に怒られちゃうけど、僕がバイトで行ってる個別指導塾で、教え子の小学生がこんなことをいう。
「ここで働き始めて、何年になるの?」
「え? どうして。うーん、6年とかかなあ」
「転勤とかないの? 辞めたりしない?」
「転勤はないよ。たぶんよっぽどおかしなことをしない限りはクビになることもない」
「そっか、よかった。楽しいから、ずっといてね」
なんか言葉を失った。
いつも若い同僚の人たちに話すんだけど、塾の先生って、学校の先生と違って、何十年後かに同窓会とかで恩師と讃えられることはないし、世間的な評価とかもほとんどないし、時間が経てば忘れられちゃう存在だけど、でも短い時間かもしれないけど彼らと一緒に勉強して彼らの脳味噌の中に増やした皺は彼らが生きてる限りずっと残る。そこに僕らの名前が書いてあるわけじゃないけど、もしかしたら一緒に刻んだ脳味噌の皺が、彼らの人生のとても大事なシーンで彼らを救うこともあるかもしれない。それを誇りにしようじゃないかって。
写真を撮ってても同じことを思うんだよねえ。
結婚式とかで、ふたりの生まれたときからの歴史をスライドショートかで振り返るじゃない?そこに出てくる1枚の写真、幼稚園の運動会とか遠足とか、もちろん撮影:●●●●なんてクレジットが華々しく出るわけじゃないけど、紛れもなく、その人の人生のかけがえのない一瞬だし、その一瞬をとらえた1枚なわけで。
なんかそういうことに、僕はとっても意義を感じるのね。
変な話だけど、僕は新聞社にいた頃から、「歴史の瞬間」みたいなのがあんまり好きじゃなかった。まあ、責任重大というのもあるんだけど。戦争終結50年とかで、いろんなところに行って写真を撮ったけど、あんまり自分の仕事って感じはしなかった。うまくいえないんですけども。オリンピックの取材とかも、当時のデスクが先輩よりも先に行かせてやろうか、みたいに思ってくれてたらしいんだけど、僕はそんなに行きたいとは思わなかったし。それよりも、市井の人たちの頑張ってる姿を撮るのが好きだったな。市井の、っていう言葉、最近はなんか上から目線ぽくて好きじゃないんだけど。まあ自分も含めたというところで。
そんなことを思いながら、淡々と過ごしております。
明日は晴れるといいな。そろそろイオンの激安甲類焼酎の紅茶割に行きます。ええ。