こないだまで50人くらいだったのに、今日、何人か増えて、いま現在で115人まで増えた。
とてもうれしい。
何をやってるかっていうと、仕事の前にコンビニでこんなもんを買って食ったよ、とか、そんなささいなこと。でも、なんとなくだけど、コツがわかってきた。
「表現力」っていえばいいのかな。ちょっと大げさな気もするけど。実感、てごたえ、っていってもいいかもしれない。
こないだ、たぶんインスタの宣伝でみかけて、近所のウエルシアで買ってみて、Amazonで別の味のヤツをまとめ買いした、UHA味覚糖の「満腹バー」、すっかりハマってるんだけど、YouTubeでこの商品を紹介してる人がそれなりにいるんだけど、みんなただきれいにまとめてるだけで、おもしろみがない。表面的なんだよ。ほとんどの人は顔も出さず、音声も電子だったりして。つまんねーんだよ。
それに比べて、あたしの動画は、手作り感満載。つたないけど、実感がこもってる。それがいまの時代、必要とされてることなんじゃないのかな。曲作りもすっかりAIが流行って、なんかそれなりに聴けるような曲が簡単に作れちゃったりする時代だからこそ、人間が苦労して作った曲が人の心を打つ。
まあ、簡単なことなんだけどね。原点に帰れというか。
テレビのワイドショートかで芸能人がくっついたとか別れたとかのネタがみんな大好物なように、人間ってやっぱり原初的な欲望とかに目がないというか、そういうのに興味関心が集まるわけね。
「食べる」っていうのはいちばん基本的な欲望だもんな。
みんな意識しなくても、そういうネタには目が向いてしまうわけですね。
今年中に登録者1,000人を目指すよ。というか、必ず達成できると思う。
60歳までに5,000人までいけないかな。あと1年半だけど。
登録者が2万人くらいまで増えたらYouTubeで生活できるのかな。そんなに甘くないかな。
カメラとクルマと、あとコンビニとかの食べ物、それからもっとなんか。ネタは無限にある。
大切なのは、自分らしさ、かな。まあ意識して他者との差別化、とかって頑張らなくても、自然体でいけばいいんじゃないかな。58年も生きてきて、そのへんはたっぷり磨きをかけてきたから。笑
あ、そうだ。これはどうしても書いておきたい。
昨日の夜から今朝にかけて、ずっと好きだった女が夢に出てきた。
30代から40代にかけて、10年くらいずっと好きだった人。
なぜかバスケのプロ選手?という設定で。実際は小学校の先生なんだけどね。
いっぺんだけ、仕事で会った気がする。撮影の仕事で、彼女の勤める小学校を訪問して。
だけど、そのときは気がつかなかった。あとから、あ、もしかして、と気づき。
あたしもアホだよね。
まあ、いいや。明日も5時半か6時に起きて小岩まで行く。
明後日は熊谷ですよ、奥さん! どうも電車だと始発に乗っても間に合いそうにないのでクルマで行きますよ。その次の日も同じ熊谷の会場なので、宿を取って中泊します。
月曜日はオフ。という名の画像整理三昧の日ですね。笑
けど、おもしろいんだけど、iPhoneで撮った、YouTubeの縦位置のショート動画、PCでみても、なんかちっともピンとこないのよね。やっぱりスマホの縦長の液晶画面で見ないと、なんかしっくりこない。おもしろいね。人間はスマホを家来として扱おうと性能を向上させてきたけど、気がついたら、すっかりスマホの奴隷になってたってわけで。もちろん僕もそのひとりなわけですが。
最近、UHA味覚糖の「満腹バー」にハマって、「もち麦」という穀物の存在を知った。
正確には「もち大麦」なんだって。いわゆる雑穀の一種ね。
考えてみたら、雑穀というのも失礼な話だよね。
満腹バーでもち麦を知り、すごいわかったんだけど、われわれ現代の日本人は主食として毎日、当たり前のように白米を食べてるでしょ。むかしは貴族とかしか、白米って食えなかったらしいね。庶民はみんな雑穀を食ってた。それが、稲作の機械化とか品種改良とか、関係者の方々のさまざまな努力などによって、われわれ庶民が毎日、口にできるような値段で白米が手に入れられるようになり。まあ、最近高いけどな。だけど、白米だけ食べてたら、どっかにしわ寄せがくる。有名な話だよね、日本陸軍が白米ばっかり食ってたら脚気になったって。
もうすぐ桜の季節だけど、桜並木にも同じことを感じる。いまや日本全国、ソメイヨシノばっかりだけど、あ、沖縄は例外なのかな、むかしはそうじゃなかった。山桜とか八重桜とか、いろんな種類の桜が咲き競ってた。だけど日本人の好みに合ったのかな、ソメイヨシノばっかりが植樹され、桜と言えばソメイヨシノといわれるように。
けど、ソメイヨシノって病気に弱いし、寿命があるって話も。
ソメイヨシノが悪いわけじゃない。ソメイヨシノばっかり、というのがよくないわけで。
白米もそう。白米は栄養満点だし、おいしいし、いいことばっかりなんだけど、でも白米ばっかり食ってるとカロリー過多に簡単になるし、足りない栄養素もいろいろ出てくる。
同じことを、スマホとかにも思うんだよねえ。アニメやマンガを例に挙げてもいい。
それ自体が悪というわけではない。そればっかり、というのがよくないわけで。
なにごとも、バランスだよねえ。もちろん、それが簡単じゃないわけだが。
こないだふと思ったんだけど、白内障の手術、効き目である右目だけ先にやることはできないのかなあ、って。左目は緑内障もあって、ほとんど見えておらず。ほとんど見えてないは言い過ぎだとしても、右目の補助的な役割しか担ってない。なので、6万円も出して手術で眼内レンズを入れることにあまり意味は見いだせない。右目はそうじゃない。撮影の仕事を生業にしてるわけで、いますぐにでもメガネなしのクリアな視界を手に入れたい。
前から何度も言ってるけど、仕方ないとはいえ、メガネのプラスチックレンズを介した視界って、白っぽくて本当に嫌。たまにメガネを外して裸眼で世界を眺めてみるけど、もちろんピントは合ってないんだけど、色がビビッドで、存在感が、まるで違う。まあ、手術で眼内にしこむレンズもアクリルだっていうから大差ないのかもしれないけど、サイズは小さいし、網膜のすぐ前だから、たぶんメガネのプラスチックレンズと比べたら光の乱反射や拡散も少なく、そのぶんクリアランスが段違いにすばらしいんじゃないかと皮算用してみちゃったりするわけで。6万円なら、なんとかどうにかなる金額だと思われ。
たしかこんどは4月のアタマだったかに地元の眼科に行くので、そのときに相談してみよう。
右目だけ、いますぐにでも眼内レンズの手術をしたいんですけど、片方だけでも、ありですか、って。
あらかじめ軽くググったら、全然ありだよ、という結論を与えられており。
あとは、右目だけ眼内レンズを入れて、メガネなしで遠くがハッキリ見えなくなったときにやってくる悲喜劇をどう前もってシミュレーションできるか、だな。
あたしはいまはスマホの画面をメガネなしで近くで見ることが多い。ベッドで横になってるときは100%メガネはかけないし、ふだんもスマホの画面はメガネを外して見てる。それが眼内レンズを入れて遠くばっかりよく見えるようになったら、どうなるか。近場を見るのに、新しいレンズが必要になりますよね。それはそれなりに煩わしく感じるんだろうけど、我慢できるかな。っていうか、我慢しないと仕方ないんだけどね。
あたしはずっと前から裸眼で世界を見つめて、撮りたいモノを見つけて、被写体をまっすぐに見つけて、シャッターを静かに切る、ということに、すごく憧れてる。メガネをかけてると、そうだなあ、メガネという障害物のせいで、写欲の70%は、そがれると思われ。だから本当に裸眼で写真を撮ってる人が本当にうらやましい。
なんか話がアレだけど、このへんでおしまいにしとくかな。いま21:30か。もう一本飲むか。
サントリーのタコハイを、今日ビッグエーで買ってきたのだ。こういうこともあろうかと思って。
しかし、あと何年生きられるかわかんないけど、人生って死に向かって、どんどん開けていくね。
あたしは日々、発見の連続だし、驚きの連続だし、日々月々に成長を続けている。だからそれをなるべく多くの人たちに伝えるべく、いろんなカタチでもがいてるのであり。
あともうすこしもがいたら、本道である仏法について語り始めようかなと思ってる。
ずっと読めずにいる、池田先生の『御義口伝講義』も読まなきゃなあ、と思ってるし。
それが、自分では絶対に読まないのに、いつか息子が読むであろうと信じて若い頃、カネもないのに買っておいてくれた母に対する、せめてもの恩返しかな。
たぶんだけど、池田先生の若き頃の『御義口伝講義』の超ダイジェスト版が、あたしの愛読書である『法華経の智慧』なのだろうと思われ。ダイジェストでもあるし、先生の思索の深まりをも反映しているであろうし。両方を照らし合わせながら読むと、より一層、法華経や日蓮仏法、創価の生命哲学に対する理解が深まることは間違いないと思う。
