こないだからずっと思っていることを書く。
タイトルに書いた「いい曲ってどういうことだろう」というのは、こないだからじゃなくて、ずっと前から延々、考えてることで。いい曲ってどういうことなんだろう。まあ、自分の中でそれなりの結論は出ているんだけど、それはまた別の機会に。
今日はその一部?とも言えるようなことを書こうと思う。
クルマで聴くミュージックライブラリを充実させるために、中島みゆきのアルバムを古いヤツから順に集めており。メルカリで中古CDを購入したり、高校時代からの大親友の萩生田くんに借りたり。吸い出ししてUSBメモリに入れてクルマで聴いてる。
そうして気がついたのは、中島みゆきといえども、めちゃめちゃ名曲、という感じではない曲も、いっぱいあるんだな、ということ。まあまあかな、というか、ホンネをいうと、ややイマイチかな、という。
こないだ親友のMと会ったとき、クルマで中島みゆきの曲を聴きながら、その話をしたら、彼女は開口一番、中島みゆきは、その差が極端なんだよね、って。
うゎ、なんていうことをいうんだ、と思ったんだけど、じつはぶっちゃけ、あたしもまったく同じことを思っていたのであり。
そしてそのあと、クルマで中島みゆきの曲がかかるたびに、そのことを思い出すのであり。
でね、ずっと、断続的にそのことを考えているうちに、こんなことを思った。
けど、ものすごい名曲も、そうでもない曲も、中島みゆきが生み出した曲に違いはないんだよな、って。そこでまた、名曲って何だろう。どうやって名曲って誕生するんだろう、というテーゼに思考は戻っていったり。
リスナーとしては、中島みゆきの名曲だけをチョイスして聴くのもよし、そうじゃない曲もいっしょに聴くのもよし。聴き方はその人次第だよね。どっちじゃないとダメってことはない。
よく考えたら、大リーガーの大谷だって、すべての打席でホームランを打つわけではない。ふつうのヒットもあるし、三振だってすることもあるだろう。そういうなかでホームランがあるから、きっと価値があるんじゃないかと思ったり。
そして中島みゆきの名曲と、そうでない曲の差が極端だというのは、中島みゆきの生み出す名曲が、あまりにも名曲だからこそ、そう思えるのだ、ということにも気づいた。
こないだ、たぶんネットだったと思うけど、松任谷由実の名曲の前奏について書かれている文章を読んだ。やっぱり曲の前奏って、いわゆる編曲家が作るのね。たぶんそうだろうなあとは思ってたけど。その文章では、松任谷由実の名曲「春よ、こい」について書かれてたんだけど。その編曲を担当したのは夫の松任谷正隆で。
昔から疑問だったんだよね。名曲ってほぼ例外なく前奏もめちゃめちゃいいじゃない? なんでなんだろ、って。答えは簡単だよね。編曲家がその“名曲”を何度も聴いて、この曲に負けないだけの編曲をしなきゃ、前奏を作らなきゃ、ってものすごいプレッシャーを感じながら作るから、いい前奏ができあがるんだね。あいみょんの「マリーゴールド」とかもそうだよな。
そんなことを仕事の撮影の行き帰りのクルマの中でぼんやりと考えてたりします。
明日は八千代の保育園で、未満児(0、1、2歳児)の日常の様子。つまりフリーみたいな。
あたしがいちばん得意とするところで。
がんばろう。がんばるしかない。
今日はオンライン家庭教師で、最近始めた、中2男子の英語。めちゃめちゃ頑張ってた。
彼の英語と数学の成績をガンガンガンと上げてあげることは、つまり、彼の人生を大きく変えてあげるって事だ。1時間のギャラがいくらか、とかってことよりも、それってずっと大事なことじゃね?
サンテグジュペリがいってたように、大切なことは目に見えないんだよ。
いまのバカな政治家とかって、そのことを忘れてるよね。
