生まれ変わった気分で撮影の日々

ちょっと失敗を重ねて、某写真屋さんから干されぎみであることを実感し、いろいろと自分を省みた。

自分で思いつく、干された理由は、おもにふたつ。

ひとつは、一緒になったカメラマンが、社員の方の指示に反して、勝手に3年生のクラス集合写真を撮って回ってたこと。それを文化祭2日目の最後に、僕がそのカメラマンの男に対して厳しく叱責したのを先生に目撃されて、予定されてた修学旅行の撮影から降ろされたってことがあり。

もうひとつというか、同じ流れなんだけど、ここにも書いたけど、集合写真を撮ろうとしてたら、横からアホな添乗員がまったく的外れの“アドバイス”を言ってきて。あまりにもウザいし、邪魔すぎたので、お前、うるさいんだよ、と先生方の前で怒鳴りつけたこと。

そしてもうひとつは、昨年の秋にいただいた小学生の2泊3日の宿泊行事の撮影で、子どもたちがあまりにも可愛くて、カメラマンとしての分をわきまえず、彼らとものすごく近い距離で楽しくコミュニケーションを取ってしまったこと。

これらのことについて、自分なりに、空いてる時間があったら、ずっとずっとずっと考えてた。

なにがいけなかったんだろう、と。まあ、すべてに共通して言えるのは、とくに前のふたつだけど、ちょっとどうなの、と思う相手に対して注意?するのはいいとして、場をわきまえなかったのは、よくなかったかなと。あとは言い方の問題だよね。どっちも、相手が納得するかどうかは別にして、こちらとしては、優しく諭すように話せばよかったわけで。撮影中でテンパっていたとはいえ、声を荒らげて厳しく叱責する必要はなかったかなと。

後半の子どもたちとの距離についても、いい写真を撮るために、子どもたちに嫌われないのはスクールカメラマンとしての最低条件だと思うけど、でもよくいわれるように、僕らが伺うのは、どこまでいっても教育活動の一環なのであり。カメラマンが調子に乗って子どもたちと一緒に大騒ぎして遊んじゃあ、ダメだよね。オレが先生だったら、なんなんだ、このカメラマン、写真撮影を依頼してるのに、子どもたちと一緒に遊んでるじゃないの。こんな空気を読まないヤツは、次からは要らないよ、って思われても仕方がない。当然だと思われ。

なぜか、これらの「事件」は、同じ写真屋さんから依頼された撮影案件で発生したわけで。
自分でも不思議なんだけど。たぶん、たくさん撮影案件をいただいていたので、オレは仕事ができるカメラマンなんだ、って勝手に増長してたんだと思う。知らず知らずのうちに、傲慢になってた。

それを、新年度にパタリと撮影案件がいただけなくなって、前の年度に何度も行かせていただいていた学校現場に入れていただけなくなり、さすがに鈍感で空気を読まないあたしでも、遅ればせながら気づいたわけで。

写真屋さんの担当の方が、ものすごく気を遣う、いい方で、カメラマンに対しても、あんまり厳しいことを言わない方なんだと思う。あたしはバカだし単純なので、そのつど、言葉で言ってもらったほうがありがたいんだけどね。たぶん、担当者の方からしたら、こんなことは外注カメラマンとして常識中の常識。そんなこともわかってないヤツは、あたしの持ってる学校案件には、怖くて入れてやれないよ、って心の底から思われたんだと思う。

で、まあ、そこまでひどい問題を起こしてない別の写真屋さんからは、淡々と日々の撮影案件をいただいているわけで。そこでは、こちらの写真屋さんでの反省を活かして、ほかのカメラマンとか添乗員とか、あとは子どもたちとの距離を、見直す、考え直す、ことにしてるわけで。

自分では、こんな風に思うことにしてる。いままでが100だとしたら、これからは85くらいでいこう、と。つまり15%くらいパワーダウンして、撮影に臨んでみようかなと。

ものすごーく自分に都合のいい解釈だというのはわかってるんだけど、上の「事件」たち、自分としては、少しでもいい写真が撮りたい、と思うあまりに起こした事件なわけで。

どういうことか。

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