アベ「会見」に念う

今日は、8回目か9回目かの聖教新聞代配。1/11土曜日からスタートして、それからずっと日曜日に配って、いっぺん遠方の撮影のためにお休みして、今日が3/1なので、たぶん8回目か9回目(すみません、あとで数え直したら7回目でした)。

で、今回がいちばんよかった気がする。なにが?と聞かれるとうまく言えないんだけど、なんとなく。笑

たぶん全部で60軒くらい配ると思うんだけど、全体の2/3くらいを配り終えた頃に、思った。最近ずっと頭を悩ませてることに、どうして神=人格神じゃダメなんだろう、ってことがあり。いきなりなんの話かわかんないですよね。笑

そのときに気がついた。そんな限界があるんじゃダメなんだ、そんな制限があるんじゃダメなんだ、だっけか。ありゃ、もうとっくに脳味噌から消え失せてる。

なんでひらめいたかというと、簡単。東の空がしらじらと明けてきてたから。

日本人なら、群青色って知ってますよね。まさに群青色の東の空。いままさに明けようとする。藍色と群青色って例の16進の6桁の表記では、どのくらい違うんだろう。

それはそれとして。僕が写真を始めた頃のことを、思い出してた。

人間が作り出せる色っていうのは、限りがある。自然が生み出す色は、それこそ無限だ。であるならば、僕は自然が生み出す色を、できるかぎり記録する仕事に就きたい。それでさんざん悩んだ挙げ句、写真記者(カメラマン)として新聞社を受けることにした。大学5年の6月、青田買いセミナーで朝日と毎日と日経を受けて、毎日と日経に受かった。朝日は1次面接で落ちたけど、来たかったら秋の試験を受けてね、って言われたけど、秋の試験の当日、毎日の拘束旅行で、朝日の人からは試験を受けなくてもOKっていわれてたけど、もういいや、毎日に決めた、って思って。その裏には、内定者どうしのやり取りで仲良くなった女子の存在が大きかったんだけど。

彼女も検事のセクハラで、すぐに新聞記者を辞めちゃったけど。

それはそれとして。全然関係ない話でしたね。

さっきの「人格神じゃダメな訳」だけど、思い出した。新聞配達の2/3を過ぎた頃、人格神だと、どうしても放射状になる。天井に灯りがポカンとあって、そこから部屋全体を照らすイメージ。でもそれが「法」だと、地球を太陽が照らしてるのといっしょで、平行光線になるよね。「法」の場合は、太陽みたいに横幅があるんじゃなくて、どこまでいっても平行。完全平行。無始無終。なんなんだろう、宇宙って。どうして僕は今ここにいるんだろう、って。

あ゛~、昨日のアベ会見のどうしようもなさについて書こうと思ったんだけど、twitterのほうでさんざんいろんな人たちとやり取りしてたら、こっちはどうでもよくなった。もしよろしければ、twitterのほうをご覧くださいね。@oguray でやってます。http://twitter.com/oguray/ こちらでございます。

昨日の夕方、近所の愛するイオン東習志野に行ったら、すぐに異変に気がついた。

野菜売り場はまだしも、食材の売り場が、全体的に、スカスカな状態で。とくに冷凍食品とか、空っぽ。そして、念のため、と思って覗いたトイレットペーパーとかの棚は、すっからかん。笑っちゃったよ。

だれかがデマを流したらしいね。けどそのデマを鵜呑みにして買い占めに走るって、なんか無惨だよなあ。どういう人たちが、そういう行動に走ってるんだろ。文化人類学的な興味関心があるよ。

まあけど、人間、生きてて誰しも不安を感じない人はいない。だからこそ、そういう不安を払拭すべく、生命哲学が必要なんだと思う。

人間はなんのために生きているのか。

結論から言うと、だれかを幸せにするため。

それを説明するには、15分~30分くらいの時間が必要。最低限でも。

アベの会見は、冒頭、用意してきた原稿を読むのに20分?

そしてそのあと、事前に用意させてた質問に答えるのに15分?

けどこれだけの茶番劇を演じるのだって、公明党の首脳がさんざんアベをせっついて、何度もやるように促して、それでようやく実現したんだからね。

たぶん、というか間違いなくそうなんだけど、公明党本部には、連日連夜、全国の日本のこれからを憂える真剣な支援者から、アベをどうにかしろ、っていう電話が殺到してるんだと思う。僕はまだそこまでじゃないけど(いろんな意味で)、でももしそのときがきたら、命を捨てる覚悟はあるよ。

人間はなんのために生きているのか

こんな劇的な場面は、なかなかないじゃん。笑

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