アベという怪物の息の根を

きょうは我孫子の幼稚園で撮影。ホントは卒園前の遠足だったんだけど例のコロナの影響で園内レクに変更になり。我々としては撮影がなくならなかったことが本当に有り難いんだけど。でもこちらの園も来週からは休園になるということで。

再来週の月曜日に予定されてたインタビューの取材は来週に変更に。ホントは3/5って話だったんだけど直前に撮影が入って埋まってたのでお断りしたら、じゃあ3/4はいかがですか、って。どんなことをしてもやれ、ということなんだな。もう覚悟を決めてやるしかない。

村上も来週から2週間、お休みなんですって。もう泣きそう。春はお別れの季節なのに、その大切な3月が半分消えてしまうわけで。八千代市の小中学校も、2週間、休校なのですと。

ある中学校では急きょ、今日の午後、3年生を送る会を日程を前倒しして開催したと。なんか準備に当たってた先生方や在校生のことを考えると、けっこうじーんとくるなあ。

再来週あたりから本格化する卒業式の撮影も、いまのところなんとか予定通りありそう。いやまだわかんないけどね。でもニュースとか見てても、規模を縮小して、参列者を極力しぼって開催みたいな流れだね。いっそのこと証書授与もやめちゃえばいいのに。教室で先生から渡すとか。とかっていうのはあまりにもカメラマンに都合のいい話か。

いやけど、明日からの2週間あまり、中学生とかにとっては、なかなかチャレンジングな月日になるよね。部活もいっさいないみたいだし。何をやるかは本人次第というね。けどしかし、いまやネットとかスマホとかかなり普及してるわけで、テレワークならぬテレスクールなんて、ふつうに全然できる気がするんだけどな。このコロナをきっかけにして、そういう方面の準備というか普及が、一気に進むといいのにね。

おじさんは被写体の目の前に姿を現さないといけないから、リモートじゃなんにもできないんだけどさ。

あ、けどきょうの撮影、津田沼の土蔵から出してきた24-70をさっそく大活躍させた。たまに書いてるけど、最近あたし、室内とかでもノンストロボで撮るのがマイブームで。被写体たる子どもたちの顔にかかるうっすらとしたグラデーションが本当に美しいなあと思うわけで。

大人になったら、美しい顔とか醜い顔とか、あると思うけど、子どもの顔はみんな可愛いというか、見ていて飽きないというか。ホント天使だよね。可能性の固まりというか。人間として生まれてくるって、そういうことなんだろうなあと思う。こないだ石川と飲んだときに、シリアでは毎日のように子どもたちが殺されて、って話をしたら、どうして子どもたちにこだわるんですか?って膝かっくんな質問をされ。一瞬なんでだろ、って思ったんだけど、戦争の悲惨さを何よりも深く強く伝えるのは子どもたちの犠牲だよね。大人の場合、その戦争に何かしらの責任の一端がないとはいえないけど、子どもたちは完全に巻き添えじゃん。彼らにはなんの責任もない。それが僕が子どもたちの犠牲にとくにこだわる意味かな。まあ言葉にするととても凡庸だけどさ。

でも、こんなに狭い星で、たかだか1万キロくらいしか離れてない国で、政府軍と国連常任理事国の戦闘機に学校や病院が空爆されて、まったくなんの罪もない子どもたちが、毎日のように、それこそ虫ケラのように殺されてる状況って、いくらアタマをひねっても、誰がどう考えてもおかしい。そういう状況に少しでも慣れてしまうというのが完全に狂ってる。なんで日本人の人たちは、そんな状況を見て見ぬふりをしたり、できるんだろう。

そうだ、こないだ石川と話しててわかったことがある。それはどういうことかというと、前に横浜で写真家の方々と飲んだときにも同じことを感じたんだけど、みなさんは、自分(たち)が抗議の声を上げたところで、悲惨な状況はなにひとつ変わらない。だからそんなことをしても意味がない、と思っているようで。

僕はそれはまったく違うと思う。なぜ違うと思うかというと、それは僕が仏法者だから、そう思うんだということに、気づかされた。

自分の力はあまりにも小さいかもしれないけど、でもゼロではない。仏法というのは、ひとりの人間の生命には宇宙大のエネルギー、パワーが潜んでいると説く。それは単に気休めとかおとぎ話とかじゃない。ホントにまぢでリアルな話で。

最近あたしはそのことを思うとき、アインシュタインのE=MC2を思い出す。質量にはものすごいエネルギーが眠っているというアレだ。

人間は無力じゃないよ。人間として生まれてきたってことは、たまたま仏法を信じてるかどうかにかかわらず、ひとり残らず、ものすごい使命をもって生まれてきたんだよ。法華経に説かれる地涌の菩薩ってやつね。

法華経っていうのは釈迦が説いた経典てことになってるけど、たんなるお経じゃなくて、生命哲学だよ。生命には宇宙大のエネルギーが秘められている、という。
いまの政治、経済、その他の人間の営みを見るにつけ、人間ってなんてエゴの固まりなんだろう、って心の底から思う。でも本当は人間が人間として生を受け、この星に生まれてきたってことは、誰かのために尽くすために、生まれてきたんだよ。
ここ数年で、そのことが完璧にわかった。人生の師匠が、さまざまな比喩を用いながら、ずっと同じことを僕らに理解させようと、ものすごく心を砕きながら、数限りないスピーチをしてくださってきたことを、本当に申し訳なく思う。

何度でも書くけど、人間は無力じゃないよ。

ようやくアベという怪物の息の根を止める、あとすこしのところまできたけど、twitterっていうSNSがなければ、アベという化け物を片付けることには、もっともっと時間がかかったことだろう。ゆるく連帯しながらアベ退治のためにいっしょに戦ってきた、一度も会ったことのない多くの同志たちに感謝の気持ちを述べたいと思うし、もっと早くアベに引導を渡さなきゃいけなかった与党の一角を担う某政党の国会議員の皆様におかれては自分たちが自分たちに課された仕事をずっと放棄してきたことの責任を、しっかり取っていただきたいと思う。少なくとも僕は、あと数十年は、すっきりと選挙で支援活動ができるかといわれたら、かなり難しいものがあると思う。
まあ、30年後くらいの歴史家が厳しく断罪してくれると思うので、なんの心配もしてないんだけどさ。

おそらく、人生の師匠が、過去のさまざまな経緯をふまえて、アベが総理大臣になる際に、「安倍晋三さんを大事にしよう」とおっしゃったのだろう。おそらくは、政治に携わる弟子たちは、その言葉を後生大事にして、ずっとアベを大事にしてきた。師匠が表舞台で指揮を執られなくなったあとも、アベが暴走を始めてからもずっと。

それは僕に言わせれば、師匠に甘えすぎだと思う。師匠が亡くなったあと、荒れ狂う現実に直面しながら、師匠だったらどうされるだろうとギリギリまで呻吟するのが本当の弟子の姿ではないのか。ただ師匠の言葉を教条的に捉えて思考停止に陥るのでは、本当の弟子とはいえないのではないか。

いずれにしても、公明党の山口代表が短剣でアベの息の根を止める日は目前だと思う。

連立政権が崩壊するのを恐れているのではない
一国がみすみす滅び去るのを恐れているのだ

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