たぶん、3日くらい前だと思うんだけど、朝の敬虔な祈りを捧げた直後に、ひらめいた。
あ、他人は他人じゃないんだ。他人は、自分なんだ。
ここにくるまでに、どれだけの時間がかかったことだろう。折しも、オグラの人生、ちょうど半世紀を過ぎたあたりで。
ずっと疑問に思ってた。だいぶ、人生の謎、疑問は、解けてきたけど、人は大きな宇宙生命の一部で、他者に奉仕することが、われわれ人間に課せられた使命なのだ、だから、だれかの幸せのために、一生懸命に頑張っていくことで、残りの僕の人生をめいっぱい埋めていこうと決意は、とっくにできてる。
でも、
なんで他人のために頑張らなきゃいけないんだろう、っていう微妙な問いが、微妙に残っており。
その答えが、上に書いたヤツ。他人は他人じゃない。他人は、自分。
まあ、いわれてみれば、そのとおりだし、なーんだ、っていってしまえば、それまで。でも、自分で気がついた、それも朝の敬虔な祈りのあとで、というところに、自分を褒めてあげたい。
僕の愛読書の『法華経の智慧』に、こんな内容がある。人間も含めた生き物の個々の生命と、そのおおもとである宇宙生命との関係は、というような話。
何人かの方が、木々と葉っぱ、みたいなことをいうんだけど、師匠は、そうじゃないんじゃないかな、とやんわりと否定し。大海原と波がしらみたいなもんじゃないかな、と言う。
なんでそんなに、木々と葉っぱの喩えを否定するのかな、とずっと疑問に思ってた。この20年くらい。
その疑問が、3日くらい前に、やっと解けたのよ。うれしくて。
そういえば、先週の土曜日、某私立高校の文化祭に行ってきたんだけど、というのが、バンドをやるから写真を撮れ、と命じられており、11/25だっていうから、あ、その日はずっと前から撮影の仕事が入ってるから無理~、って答えたんだけど、最後のバンドだから、写真を撮ってほしい、と言われて、けどいまさら撮影を断るわけにはいかぬ、と思ってたら、なんかあとから聞いたら11/18だっていうじゃん。Googleカレンダーを見たら、幸か不幸か、まだ空いてて。
で、仕方がないので、行きましたよ。愛機のD810とAF-S NIKKOR 28-300mm f3.5-5.6VRをいつものカバンに仕込んで。
長くなりそうなので、続きは、いつか。笑