2001年5月

日記

●平成十三年

・5月1日(火)

『南京の真実』、読んでます。講談社文庫版。ずっと読みたいと思って、
ハードカバーを探していたのですが、本屋のサイトで検索したら、文庫版が
出てることを知り。何日か前から読み始めています。

ジョン・ラーベ著、エルヴィン・ヴィッケルト編、平野卿子訳。

すごく、いい、です。どうしてもっと早く出会わなかったんだろう。
すごく、後悔。

もっとね、客観的な南京大虐殺の記述がえんえん続く本だと、勝手に思って
いたのですね。でも、そうじゃなかった。ジーメンスの南京駐在員の作者が
ずっと認めていた日記をまとめたもので。だから、いたるところに、彼の
思いが述べられ。南京で日々、見聞きする、日本軍の凄惨を極める残虐行為の
描写とあわせて。

いくつか引用させてもらいますね。ひとりでも多くの人に読んでもらいたいという
願いを込めて。

(p.159)
この一週間、おびただしい数の死体を見なければならなかった。だから
こういうむごたらしい姿を見ても、もはや目をそむけはしない。クリスマス
気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。
いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為を
このまま闇に葬ってなるものか!

(p.194)
リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。うつろな目をした女性がひとり、
通りをふらふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上を話した。
十八人家族だったが、生き残ったのはこの人ひとりだという。残りの十七人は射殺
されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。
わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは
両親と三人の子どもをなくした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて
父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、これを聞きつけた
日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸を放り出したという。中国人なんかその辺に
転がしておけばいいんだ、というのが、かれらの言い分だった。

(p.233)
我々が届けを出さなかった事件の一つにこういうのがある。ある中国人が日本人の
ために一日中働き、お金の代わりに米をもらった。疲れきって家族とともに食卓に着くと、
テーブルには妻が今さっき置いたばかりの鉢がのっており、おかゆがすこし入っていた。
これが一家六人の夕食だった。そこへ通りかかった日本兵が面白がってその鉢に放尿し、
笑いながら立ち去った。彼はなんの罰も受けずに済んでしまった。

(p.276)
たった今、またもこんな知らせが舞いこんできた。一人の兵士がある家に押し入った。
天谷少将によれば、そのすばらしい軍紀によってつとに名高い日本軍の兵士が、だ。
その家には母親と二人の娘が住んでいた。娘を強姦しようとしたが抵抗され、そいつは三人を
家に閉じ込めて火をつけた。娘の一人は焼き殺され、母親は顔にひどいやけどを負った。
この件を調査しなければ。

———-

感想、とかを気軽に語る気持ちにはなれないけど、自分がそのとき日本兵として
もし南京にいたとしたら、どんなふうに振る舞っていただろう、ということは、
考える。自分と無関係な、過去の一事実、と考えると、そこで終わってしまうから。
やっぱり、戦争はよくない、とか、人のいのちは大切に、とかスローガンばっかり
叫んでも、なんにもならないと思う。その内実を埋めていく作業を、自分の立場で
いますぐに始めなければ。そして、日々の暮らしのなかで、それを継続させていく
努力を怠らないように、しなければ。

リアルタイムでは書かなかったけど、こないだ沖縄に行ったとき、「ひめゆりの塔」を訪れ。
そのとなりにある記念館で、犠牲者の女の子たちの一人ひとりの写真を見た。
彼女たちの写真の下には、名前とか出身地とかといっしょに、どんな状況で
被害にあい、亡くなったのかが、丁寧に記されていた。彼女たちの静かな表情を
ずっと見ながら、考えてたことは、みんなふつうの娘だなぁ、って。
あたりまえかもしれないけど。ごくふつうの女学生たちが、なんの罪もないのに
戦争に巻き込まれ、語ることもできないほど悲惨な状況の中、けなげに働き、
そして死んでいった、そのことは、何十年たとうと、忘れることはできない事実。

彼女たちを引率していた学校の先生の写真もあった。みんな責任感あふれる
いい顔をしてたよ。爆弾が降る戦場を、少女たちを引率して歩きながら、彼らは
いったい何を考えていたのだろう。お国のため、なんていう大義名分は、
彼らにとってはどうでもいいことだったんじゃないだろうか。きっと、どんな
悲惨な状況のなかでも、子どもたちを励まし、ときにはユーモアを交えながら、
みんなに語りかけ、でも、どうしてこんなことになってしまったんだろう、
こんな悲しい思いをするのは、自分たちで最後にしてほしい、って
ずっと強く念願してたんじゃないだろうか。

ぜんぜん違う話をしてもいい? って、いつもそうだけど。

昨日、新橋で旧友と飲んだ。高校時代の同級生。公務員をやってる女性。

うーん、むちゃくちゃ楽しかったなぁ。オヤジ好みの彼女に付き合って、
駅ビルの地下の、とても庶民的な(笑)お店に入り。あ、でも、生ビールも
つまみも、おいしかったよ。うんうん。すぐそばで飲んでたオヤジさんたちと
話も弾んで。なんか、向こうから話しかけてきてくれて。そらそうだよな、
30代の若者なんて、うちらだけだもん。(笑)
持ってたデジカメで、一緒に記念写真を撮りました。thtにも載せるので、
期待しててね。(^^;

彼女の持ってきた話題は、意外なことで。見かけよりも彼女はうんとナイーブ
(ナイーブというのは、もとの意味は、原始的という意味なので、うれしくない
といっていたが)、そ、繊細なんだなぁ、って。それを知らされた。さすがA型。

けど、繊細なのが、まわりに伝わらない、というのは、ものすごく損してる
気がするぞ。おれなんかも実は一緒だけど、ま、人に期待されているキャラクターでも
ちゃんと立ち回れるから、ふふ、いいんだけどね。(^^)

彼女はどうもそうじゃないらしい。争いごととかがあると、背中を向けちゃうんだって。
ふ~ん、もっと好戦的なのかと思ってた。私なんか、平和主義者だけど、売られたケンカは
きっちり買うけどね。そんなにケンカ、弱くないし。あ、腕力の伴うのはダメよ。そっちは
ぜんぜん苦手。笑っちゃうほど。(涙)

ああ、でも、すごく楽しく何時間かのときを過ごせました。うん。楽しかった。
こいつとサシで飲むの、何回目になるんだろう??

あ、でも、今回は殊勝にも、小倉と話してると楽しい、なんて嬉しいことを言ってくれ。
ふふ。おまえ、やっと俺のよさが分かってきたか。人生について、少しは学んだという
ことかな。な~んて、調子に乗るのも、私らしいですよね。←開き直り。

今月も、イイ月になりそうですね。(^^)

・5月8日(火)

ドメイン取った。日本語汎用ドメインの先着順申込が
開始されたのを受けて。

今日取ったのは、■■.jp。あと、念のため、■■.comと■■.netも、
押さえておいた。あ、■■は漢字ね。眠眠とかじゃないよ。(x x)☆\バキッ

たぶんだれかに取られちゃってるだろうなぁ、と思っていたので
取れたのはすごくうれしい。

これから、長大なるネットサービス展開への第一歩が始まる。
サーバーの仕組みとか、CGIとか、いろいろ勉強しないといけないなあ。

あ゛、いま「南の島の新聞記者物語」、更新してるかどうか
見てみた。4回目が載ってる! すごくうれしい。
あ、URLは、
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/syakai3/happy-minami.html ←ここです。

4回目も、いい。グングン引き込まれる。泣けちゃう。

これ、原稿書いてるの、読売の中部の記者なんだよねぇ?

こんなに、このネタにビビッドに反応できて、これだけ
読者を引き付ける文章を書ける記者が、読売の中部に
いるんだ。すげえ。この人に会いたい。

もしかして、女性なのかもね。この細やかな感性は。

・5月11日(金)

いい写真が撮りたい。いい写真が撮りたい。

例の短大生殺人事件の犯人が捕まったね。
可愛いからって、刃物を持って追い回したらいけないよね。

可愛い娘とお友だちになりたかったら、正々堂々と、写真を撮らせてもらえば
いいのに。なんていう言い方は、あるいは不謹慎なのかな。

まともに、他人とコミュニケーションを取れないヒトが、多くなってる。
これって、この国の根っこを音もなく腐らせていってるんだろうな。

どうしたら、いいんだろうね。これっていう処方箋なんて、きっと
ないんだろうけど。

いい写真が撮りたい。すてきな女の子たちの、正面の笑顔を撮って
それをホームページに載せること。これが、僕にとってのささやかな抵抗。

・5月18日(金)

熊本地裁で出た、ハンセン病訴訟の画期的な判決。

政府はまだ、控訴するかどうか、決めかねているらしい。

所管の大臣として「個人的には控訴断念すべきだと思う」と
発言した、坂口厚生労働大臣の勇気と誠意に、最大の敬意を表したい。
(党として、控訴断念すべし、という見解をまとめた公明党にも。)

坂口大臣の見解を伝えるasahi.comの記事を読んで、激怒した。
以下、引用。

===========
 厚労省内には、控訴を断念すれば、現在779人の原告数が一気に増えかねず、
賠償金が多額になることなどから、控訴すべきだとの考えが強い。しかし、坂口
厚労相は役所の考えとは別に、人道的な観点から自身の意見を主張する。ただし、
法務省内には控訴断念に対する反対論が強いため、首相の政治判断が問われるこ
とになりそうだ。
===========

……。言葉を失うというのは、こういうことじゃないんだろうか。
いろいろ行政上の、形式的な問題とかはあるだろうけど、ハンセン病の患者さんたちが
国家の名において、ほんとうに長い間、人権をぐじゃぐじゃに踏みにじられてきたことは
まぎれもない事実なんだから、それをなんとか救済しよう、というのは、
国民全体のために奉仕する立場の官僚としては、当然の責務なんじゃないの。

国民の血税を何百億円も注入されて、なおのほほんと高給を食んでいる銀行の
連中なんかに比べたら、くらべものにならないくらい、国が救いの手をさしのべる
優先順位、高いと思う。ハンセン病の患者さんたち。

今日の毎日新聞の朝刊では、首相は、世論の動向などをみたうえで(控訴するかどうか)
判断する、と書かれていた。たのむよ、日本国民の皆様、ハンセン病の患者さんたちが
人生のほとんどを、せまくてくらい「療養所」に押し込められて、どれだけつらい思いをして
生きてきたかについて、少しでもいいから考えてみてくれ。作家・北条民雄の生涯について
書かれた『火花』を読んでくれ。賠償額が多くなるから、とか、法律にそって行政を進めて
きたのに、どうして責任を問われなければいけないのか、とか、理屈はいいから、かれらの
失われた人生に、少しでも心を添わせてほしい。役人の皆さん、もういっぺん、
ご自分の体に、赤くて熱い血というものを通わせてはいかがでしょうか。やり方は簡単。
自分の目の前にある家族とか上司とか同僚とか満員電車とか家のローンとか、子どもの
教育費とか、そういうことを少し離れて、遠い隔離された療養所でひっそりと人間扱いされずに
何十年も暮らしてきた方々の思いをほんの少しだけでも感じること。自分のこととして。
そうすれば、きっと、人間の血がもういっぺんあなたの体を巡りはじめると思う。大丈夫。
まだ間に合うよ。がんばれ。

新聞には、いったん控訴をして、そのあとで、薬害エイズの裁判のときのように、
和解へ、というふうにすればいい、っていう考え方もあるって、書いてあった。
それだと、国のメンツは保てるし、賠償額はずっと低くできるんだろうな。僕のいまの考えでは
ここで国が「控訴断念」することが、長い間苦しめられてきたハンセン病の患者の方々に
対する、謝罪の第1歩になると思うので、「控訴断念」という判断がベストだと思うけど、
どうしてもそれはできん、ということならば、和解でもやむをえないかもしれない。
なんでもいいから、急げ。急げ。急げ。20世紀中に解決しておくべき問題じゃないか。
ハンセン病は隔離の必要なし、と医学的に証明されてから何十年たってると
思ってるんだ。まったくもう。

患者さんたちの残された人生を、少しでも祝福してあげたいじゃないですか。
直接の責任はないとしても、「日本人」として、彼らに対する著しい人権侵害に、
僕らは加担してきたわけだから。

・5月26日(土)

今日は一日中、寝てた。

朝帰ってきた。7時過ぎだったかな。

昨日は夕方から、ある写真家の方が非常勤講師をつとめる写真学校に、
その方のゼミの授業に顔を出すために行ってきた。

そのあと、近くの焼き肉屋でごちそうになった。

同席したのは、写真家の方(Kさん)と、去年のゼミ生のおねえさんと、
学校の近所に住んでるKさんの友人の写真家の方。楽しかったぁ。ずっと
写真の話ばっかりしてて。こんな楽しい飲みは、めったにないよ。

現代写真、というのが、具体的にどういう写真群を指すのか、僕には分からない。
焼き肉屋でいろいろな話を伺いながら、自分の写真生活について、また考えていた。

けど、僕は本当に写真のことが好きなんだなぁ。ゼミでも、つくえに学生が
撮ってきた写真をずらりと並べ。それに対して、先生のKさんが、いろいろ
アドバイスをいう。

ぼくはいままで体系的に写真を学んだことがないので、すごく見ていて
新鮮だった。できれば、毎週でもこの場所へ足を運びたいくらい。

ひとつ、すごくためになったこと。「テーマを持つ」ということ。
いままで私が撮ってきた写真で、「テーマ」ということを無理くり
付けるとしたら、モノクロの少女写真あたりかなぁ。この線で、あと20枚くらい
いい感じの写真を作ってもっていったら、写真展とか、できるのかなぁ。

問題は、どこでその写真を制作するかだよなぁ。どこで撮るか。

難しい問題だあなぁ。(笑)

写真展をやる、ということは、皆さんの話を伺っていて感じたのだが、
メルクマール、ということなのかな、と思った。句読点でもいい。自分の
写真生活の1里塚というか。ところどころでまとめてカタチにして、自分を
確認する作業。

ま、あせって写真展をやってもいいものは出来るはずはないので、
のんびりいきましょ。昨日初めてお会いした写真家のTさんは、40過ぎてから
写真を始めて、いきなり写真家になってしまったというし。

のんびり、のんびり、ね。

ここでいきなり決意表明。

macoちゃんとか、優子ちゃんとか、あとigarin、となりの編集部のKさん、
あと、こないだ結婚式の2次会でお会いした保母してるSさん、あと誰かな。
僕の大好きな女の子たちを、これからもハッセルとライカとコンタックスで
撮りまくるぞ。寝る時間を惜しんで。

写真を撮るということ。大好きな被写体にむかってレンズを向け、ピントを合わせ、
そっとシャッターを切ること。そこにしか、僕の生きてる意味はないと思うから。

この日記は何かっつーと、オカラみたいなもんかな。
引き取ってくれる人がいる限りは、供出するつもりだけど。(笑)

・5月27日(日)

こないだ深夜にお宅にお邪魔した写真家の方から、写真が届いた。

うわ。びびる、びびる、びびる。こんなに「おれ」が写ってる写真って、
いままで見たことないっす!!! すげえ、いい写真すぎ!!!

Tさん、本当にありがとうございます。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しくて
しょうがありません。(^^)

それと、なぜか私が当日に撮った写真(の一部)が、thtに載ってる。(笑)
いちおう、被写体の方には掲載に際し、丁重にお伺いをたてたのだが(断られることを前提に)、
なぜかその方は一言、「いいよ」と言ってくれ。

なんか、アラーキーと陽子さんのエピソードみたいだなぁ。(x x)☆\バキッ

最近、嬉しいことだらけだにゃあ。おれホント幸せ者。

今日、早起きして巣鴨まで行ったおかげかな?(笑)

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