日記
●平成十一年
・7月25日(日)
いやぁ~。夏ですねっ。
今日、いつだったか。ふと思ったこと。
自分のことを他人(ヒト)に伝えるときは、控えめな言葉で語ったほうが
多くのことが伝わる、と思う。
そうだなぁ、言いたいことの3分目くらいで、
ちょうどいいんじゃないかな?
あと、とてもとても忙しかった、今日の、最後の時間に思い出したこと。
自分が傷つくことを恐れていては何もできない。そのことを思い出した。
自分が傷つくことを恐れないようになれば、なんでもできる。
それこそ、歴史に残る小説も書けるし、大犯罪者にもなれるよ。(^^)
つうことで。よろしく。
いつもどおり、まとまりがありませんが。
・7月26日(月)
昨日の補足。
自分が傷つくこと、と、ひとを傷つけること、は似てるけどやはり少し違う。
ひとを傷つけないようにしよう、として、やらないでいることの大部分は、
実は、自分が傷つきたくないから避けているだけのような気がした。
昨日、どうでもいいけど、忙しかった一日の活動の最後に、近所のカラオケ屋に
行った。試験、ご苦労様、というのと、あと、うちらのちょっとした
知り合いの女性が、結婚して隣町に越していく、送別会を兼ねて。
警備の仕事を11時過ぎに終え、帰宅の途中、携帯が鳴り。
2次会でカラオケボックスにいるから、おいでよ。と。
帰って寝ようと思ったけど、ビールも飲みたかったので、駆けつけた。
あっという間に2次会は終わってしまったんだけど、最後のほう、
私が酔っぱらって、アカペラで今日の日はさようなら、を歌ったら、
そういうことするから女の子たちに嫌われるんだよ、って言われた。
隣に座ってたM氏に。
私はこう答えた。
「別に嫌われることなんか、なんともないよ。」
M氏はビックリした様子で、
「そんなはず、ないだろう」みたいなことを言う。
私は言葉を重ねて、
「いやいや、ホントだって。積極的に嫌われたいとは思わないけど。」
私が言いたかったのは、自分を曲げてまで、人に(女に)好かれたいと思うほど、
しょぼい人間じゃない。わたしは。ということを言いたかった。
それが彼に伝わったかどうかについては、あまり自信がない。ま、これからも
彼との付き合いは長く続いていくだろうから、折々にまた、自分を理解してもらうために
汗をかこうと思う。
けどみんなが盛り上がってるのに、「今日の日はさようなら」をアカペラで
歌うことはないよね。(^^;
ま、よいけど。
今日の毎日新聞に、気になる記事が載ってた。
「21世紀への伝言」という企画記事。20世紀の大きな出来事を振り返り、
そのときの毎日新聞の報道の詳細を検証することによって、来世紀に向けての
新聞報道のありかたを考える、というような記事。
今回は「東京裁判」が扱われ。
私がいまから引用しようとしているのは、ある意味で、この記事の白眉(圧巻)とも
いうべき箇所で。
———-
社会部の記者だった安達敬吾さん(83)の証言である。
「筆が立つと評判だった先輩記者が記事を書いたんだが、デスクがあるくだりを削った。
『なぜ削る』と先輩記者は憤慨し、デスクと大げんかになってしまった」
削られたくだりは「(あおむけに寝た大川被告の上に)天井が抜けるほど高かった」という
ものだった。安達さんによると、先輩記者は「大川は日本の軍国主義をリードした男だったが、
今となってはむなしい。この裁判もむなしい。それを表現したかった」と語ったという。
———-
この話を朝食の時に母にしたら、でもやっぱり組織に属しているんだから、上の人の命令には
逆らえないんじゃないの? みたいな言い方をされた。けど、原稿の一部を削られることで、
自分が読者に伝えたかったことが台無しになってしまうのであれば、そのときは、デスクでも
なんでも、ケンカすべきだ。と私は意見を言った。組織の一員だ、サラリーマンだと言っても、
原稿を書くのは、しょせん一個人だ。毎日新聞では、そのことを確認するかのように、最近は
多くの記事に、記者の署名が入っている。形式的な責任がどこにあれ、やはり見てきたもの、
そして、それによって感じたことを書くのは、どこまでいっても個人の仕事であり、究極的には
個人の責任において、それをするのだ。と。
自分と他人(自分以外の人)。この関係をずっとずっと考えていくのが、私のライフワーク。
自分と他人は、どこがどう同じで、そして、どこがどう違うのか。なぜ同じでなぜ違うのか。
それがいつまでたっても、分からずに、人の写真を撮ってみたり、
しょうもない駄文をずらずら綴ってみたりしてる。31歳の夏。←こればっか。(^^;
・7月27日(火)
昨日の「自分と他人」の補足。このテーマ、別の言い方をすると、
普遍と個性、という切り口も、あるよね。芸術が多くの人の心を打つのは、
そこに普遍性が横たわっているからだと思うけど、でも、一流の芸術家は、
みな、いうまでもなく、とても個性的で。
このことって、すごく不思議不思議、と思うのね。
不思議不思議、と考えても、なんの結論も、出てこないのだけれども。
当たり前のことだけど、修業が足りないなぁ。滝にでも打たれるか。(もちろんウソ)
ここから夜。つうても、もう1時半だけど。(^^;
先に、今日の分の夜の修業を終わらせよう。しばしお待ちを。(誰に言ってんだか。)
続き。
今日、検見川浜に行った。クルマを浜沿いの道に止めて。
若者とか、家族連れとか、けっこう人が多かったな。
ひとりで来て、ビキニで甲羅干し?してるおねえさんとか。
しばらく気にしてたんだけど、誰も声も掛けてあげてなかった。
それはそれで、なんか寂しいよねぇ。二人連れのまだ10代?という
女の子たちも、ビキニ着て、所在なげにしてたけど、こちらにも、どこからも声が
かからず。う~む。福岡では、こんなこと、考えられない! と思うんだけど、
どうだろ。
あと、高校生くらいの、女8人くらいに男2人という、変則的なグループが
きて、洋服のまま海に入っていった。最初、男二人は荷物をまとめたところで
見てたんだけど、しばらくして、女の子たちに続いて、海へ。
男二人、最初、部活動の顧問の先生かな?と思ってたんだけどね。
遠くから見てたら、あんまり歳とか分かんなかったから。
それにしても、この子たち、ずいぶんと長く、海に入ってた。
海に行く前に、今日、近所の友だちを誘って、銭湯に夕方、行こうと思って
たのね。いろいろあって、実現しなかったんだけど。
そのときに考えてたこと。よくほら、一緒に風呂にはいるのを、裸の付き合い、
なんて言い方をするじゃない。男の場合は、持ち物を競い合ったり。(^^;
けど、一緒に風呂に入る関係って、服を脱ぐから親しくなる、というだけでは
ないように思ったのね。たとえば、アベックはなぜか海に向かうでしょう。
そして、浜辺で愛を語るのに飽きたら、ふたりで裸足になって、足を水に浸すでしょう。
これはなぜか。やはり、おなじ水に浸かるというのは、人類の原初の記憶を
呼び戻すのだと思われ。ずっと昔、人間がまだ、海中の生き物だった頃の。
そして、おなじ水に浸かると、人はどうしても、近しい関係に
ならざるを得ないのかもしれない。ほら、難破船から逃げるときに、
一緒に海を漂流した男女が、助かった後で結婚に至るという話って、
よく聞くじゃない?
……。よくもまぁ、思いつきであれこれ書けるよなぁ。
我ながら、呆れちゃうよ。ったく。
なんか、文章堅いですか? 堅いですねぇ。うむむ。日記を書くPCを
換えたからかなぁ。(^^;
キーボードが大きくなったのはいいんだけど、キータッチが少し、重く
なった。うむむ。まだ3日目だからね。そのうち慣れるでしょう。
(つうか、慣れないと困る。)
そういうわけで、私も一緒に海へ行く間柄の女の子が欲しいです。(^^;
(結論は、そこかい!!)
(中略 (^^; )
私の恩師は言った。
青年は大きすぎるくらいの大志を持つのでちょうどいい。
自分が抱いた志の10分の1くらいしか、実現しないかもしれないが。
それでも、志は大きすぎるくらいがいい。
えー、以下、いまの率直な気持ち。
むっちゃ、いい女と結婚したいわ。
その娘に、私の子を産んでほしい。
私より、数十倍まじめで、数十倍、一所懸命に人生を生きてて、
数十倍、頭が良くて、むちゃくちゃ可愛くて。むちゃくちゃオモロくて。
啄木は、こんな歌を残しているけれども。
人ひとり得るに過ぎざる事をもて
大願とせし
若きあやまち
いいんだ。今の私には、この啄木の歌さえも、力強い励ましに感じる。(^^;
・8月1日(日)
……。上に、夢みたいなこと、書いてるけど、よー考えたら、そんなこと言ってる
場合じゃなかったかも。まだまだ自分を鍛える時期だし、小倉家の経済革命も「ぜんぜん」
終わってない。千葉のこの地で、辛くて長い修業を淡々と、進めるのが私の今の仕事なのだ。
当たり前のことを、ちょっと見失ってた。
だから、もし今、むっちゃいい女がいて、こいつと結婚したい! って万が一、思っても、
実現するのは、どう短く見積もっても、2年後だね。2年じゃあ、無理かもしれない。
しっかし、そういう客観的な状況と、本人の心的状況って、必ずしも一致しないのが
常なんだよねー。「必ずしも」一致しない、というよりは、多くの場合……、だね。
結論としては、今までどおり、仕事を頑張る。自分の決めた道を突き進む。
多くの友人と交流し、理解し合う。
ということかしら。あまりにも、面白みはないけど。
つうことで。今日から8月が始まってしまいました。
ま、いろいろ、波乱含みのスタートですけど、あしたからは仕事も始まるし、
なかなか、充実した月になりそうです。日本中の小倉ファンのみなさま、
期待しててくださいねぇ~。(笑)
・8月7日(土)
仕事が、だんだん忙しくなってきた。今日も仕事。もしかしたら、泊まり?
某作家のMLと掲示板で仲良くなった人に「絶縁宣言」をもらってしまった。
人って、そんなに簡単に「絶縁」とかって宣言できるもんなの?
きっと私が、人間であることのすれすれの部分で、彼女の感情を理解することが
できなかったのであろう。それで、ついに「絶縁」ということに至った。
もちろん、100%わたしの責任ですね。ホントに言葉って難しい。
言葉が難しいというのは、心が難しいということですね。それは、
つまり、生きていくことは大変だということ。人との関係性。
仕方ない。前向きな意味で、言っているのだが。
修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ。(^^;
その前に、山積みになった仕事を片づけないと……。
あと10日かそこらで、カタが付くでしょうか。
そうだ。ひとつ自分の性格分析を。なんかしらんけど、いつのころからか私、
厳しい状況でもドキドキしなくなってた。変に図太くなってたというか。
これっていいことなのか悪いことなのか、分からん。まあ、いいことにも
悪いことにも繋がっていくんだと思うんだけど。
ずぶとくなってた、つうか、いろんなことに対して「不感症」になってた
って感じかなぁ。他人に対する感性のボリュームがゼロに著しく近かったというか。
ただ今回のことは自分の欠点を見つめるいいチャンスとして、意識して、
自己改革に挑んでいきましょうかね。
「建設は死闘。破壊は一瞬。」という言葉があって、すごく好きな言葉で、
本当にその通りだなあ、って(深いところは分かってないんだと思うけど)
感じるので、この言葉を胸に刻んで、常に口に出しながら、仕事とか、友だち関係とか、
一から建設を、再び開始することにするよ。
けど。
単なる言い訳に聞こえるかも知れないけど(だって言い訳だ。)
輝さんが前に書いてた、自分は人の幸福を素直に願える人間になってた、
っていう言葉。
あれ、私も、そうそう、って思ってたんだよね。
人の不幸を願ったことない。嫉妬とかっていう感情とも、ほとんど無縁で。
それはここで「宣言」しておこうと思う。
ただ、自分の感情の表現の仕方が、どうも一般大多数の人とは、ちょっと
(かなり)違っているようで。これも自己宣伝、自己弁護、単なる言い訳かな。
ま、いいや。
自己実現、自己確認、自己弁護、自己認識、自己宣伝、自己憐憫、自己嫌悪、自己改革……。
「ジコ」の付く言葉って、山ほどあるなぁ。
これも、私が大学時代、ある仏法系サークル??に入ってたときのこと。
ある人が、「もういっぺん自分を見つめて頑張ります」って挨拶した。
そしたら、上の先輩が、
「自分なんて見つめてる暇があったら、人の中に飛び込め」
みたいなことを言い。をを、すげぇ、と思った。
若干解説すると(ホントは言葉の解説は好きじゃない)、
「自分を見つめる」っていうのは、美しく響くじゃない。なんか、文句なしに
「正しい」みたいに。けど、自分を見つめてばっかりいても、何も始まらない
んだよね。それに、このやりとりがあったときは、大学祭が近づいてたころで、
ホントに、時間的にもぜんぜん余裕がなかったときで。
だから、先輩の「暇があったら……」という発言になったという、
部分もあるんだけどね。けど、もっと本質的な話をすると、
「自分を見つめる」っていう美名のもとに、他者と格闘することを恐れ、
自分の殻に逃げ込もうとしてた人の欠点を、先輩が鋭く指摘してくれた、
ってことだと思う。
あと、今回のことで感じたのは、人は(じゃなくて、私は、ですね。)、
どうも、自分の痛みには人一倍ビンカンなのに、他人の痛みには鈍感なところが
ある。こちらも人一倍。前に書いたこととも関連するけど、頭んなかで
「自己と他者」について、う~ん、う~ん、と頭を悩ませるよりも、
人間の中に飛び込んで、そこでぐちゃぐちゃにもまれたほうが、きっと
いいのでしょう。なので、MLにはこれからも、あくちぶに書き込みを
するつもり。
ただ、あんまりべたべたした書き込み(自分の近況ばっかりとか。)は
よして、あくまでも輝さんの作品を中心に、自分との関わりにおいて
語っていければと思う。それがMLの趣旨だと思うし。
たまたま今回、仕事でMLの小冊子を作ってたのね。そこで、MLの管理者
百数十人の人に、一言コメントをもらったんだけど、多くの管理者の人が、
本来のテーマと「雑談」の切り分けについて、いろいろ考えているように
感じた。けどそこに、○○MLという名前のメーリングリストがあり、
いろんな人がそこへ集ってくるのだから、あとは、そこにいる人たちの
総意で(総意、というほどコンセンサスのあるもんじゃないですけど。)
どう進めていくか、考えていけばいいのであって。当たり前のこと?
要するに、自然でいいんだ、つうこと。
私の好きな話があって、親と子供の話なんだけど。
子供が幅3mの道を歩いてる。10mでもいいんだけど。
子供はいろんなことに興味を持ってるから、あっちへふらふら、こっちへ
ふらふらしてる。虫を捕まえたり、急に駆け出したり。
たいていのことで親ががちゃがちゃいう必要はない。けど、
こどもが道の外へ出てしまいそうになったら、真剣に叱りなさい、って。
あんまり細かいことで、ちまちまちまちま怒ってると、こどもが
萎縮して、なんにもしない(できない)子になっちゃう。
大切なのは、人間、人生、その道幅を身をもって教えてやること
なんだ、って。
これは主に、父親向けの話なのかなぁ。
書いてたら、頭の中が整理されてきた。
私は今回、「人の道を踏み外す」ことに、近いことをしたのかもしれない。
自分にはその気はなくっても、なんか言うときには、ぴりぴりしてるであろう相手が、
どう受け取るだろうかって、念には念を押して、考えに入れる必要が
あったんではなかろうか。
うん、きっとそうだ。そうに違いない。ああ、大変済まないことをしたという
気がしてきた。
ま。ここでひとりで書いてても始まらない。やっぱり、修行でしょう。
いいことをひとつ教えてあげよう。
・自分を見つめるのも修行。
・友だちの輪の中に飛び込むのも修行。
・知らない人と会うのも修行。
・もちろん、仕事に打ち込むのも修行。
な~んだ、生活のすべてが修行なんじゃん、って思うかも知れないけど、
実はそう(笑)なんだよ。ただ、生活のすべてを修行として活かすには、
そこに確固たる生命哲学がなければいけない。方位針。羅針盤。そんなもの。
それがないと、どこまででも、流されていっちゃう。
若干追加。けど、この期に及んで自己弁護&言い訳をしてるのか!と言われると
つらいんだけど、私たぶん、今までの人生で、自分から「絶縁宣言」なんてものを
ひとにぶつけたこと、ない。どんなにひどい仕打ちを受けても。どんなに最悪な
ヤツに対しても。
ま、それほど、それほど、私の態度が彼女の逆鱗に触れたということなのでしょう。
そのことについては、今は何も言うべきことがない。
・8月8日(日)
の今、夜中2時。
さっきまで、ちょっとドライブしてた。
うちから大久保方面へ進み、東金街道を左折。千葉方面へ。
片側1車線の県道を延々と行き、15分くらい?走って、国道16号へ。
また左折で、内回り車線を、柏・八千代方面へ。16号ではみんな、飛ばしてる。
仕方がないので、端の車線をのたりのたりと。怖いこわい。このまま16号を行けば
八王子の方まで、行けるんだよなぁ、とか思いながらも、10分ぐらい行って、
国道296号(成田街道)の標識が見えたら、交差点を左折。またも、片側1車線の
狭いせまい国道を進む。見覚えのある左右の景色。八千代の牛乳工場。
自衛隊の演習場が見えたら、楽しいドライブもそろそろ終わり。演習場の角を左折して
せまいイッツウ(一方通行)の路地に入り、うちの近所のファミリーマートへ。
そこで発泡酒500ml×3本と、ポテチ、焼き鳥セット(塩)を購い、レジへ。
しめて、千円ちょっと。
何、書いてんだー。
発泡酒の流行りかた、ってなんか痛快。
ビールとそんなに製造方法とか原料とか、違わないんだけど、ちょっとした違いで
税金がうんと違うという……。お上に一泡吹かせてやった、みたいな。発泡酒だけに。(^^;
※こういうのが、うまい冗談って言うのかなぁ? らべる低いと思うんだけど。個人的には。
ま、それはそれとして。
けど、発泡酒の大流行を苦々しく思った公務員(国税庁?大蔵省?)のおやじは、
しゃーない、発泡酒の税金も上げるか、って、言ったとか言わないとか。
おめえよー、ふざけんじゃないよ。みんながない知恵を集めて、金がない人たちに
酒をちょっとでも安く提供しよう、って言ってるのに、おまえら、いったい、
何様のつもりなんだよ。ああ、耳障りだ、って言ってボリュームをちょいとつまめば
いいような、ラジオと勘違いしてんじゃないの? 税率とかいうものを。
ま、税金の率の場合は、上がる一方だけどね。(^^;
発泡酒が予想以上の売り上げを示している。そうか、みんな、こういう種類の
アルコール飲料を求めていたのか。そうか、そうか……。
そんなふうに思って、ビールそのものの税率を下げちゃう、とかっていう
発想は、公務員とか政治家の皆様には、ないのかね?
ま、お金がうなるように余ってて、500mlのビールが200円でも、300円でも、
きっと皆様には、ぜんぜん関係ないと思うけどね。それに、なんかよーわからん
必要経費とかで、みんな、領収書、切れちゃうんでしょ。なんだかよーわからんけど。
それもこれも、もとを正せば、国民の(うちらの)税金なんだけどねー。(爆)
イイケドベツニ。
ああ、私は好きな人たちとしゃべるのもむちゃくちゃ好きだけど、
自分の好き勝手なことを文章にするのも、むちゃくちゃ好きだなぁ、
なんかそれを実感した。
そのことに関連していうと、
持ち運びに便利なパソコンと、気持ちよく、ストレスなく文章が打てるパソコン
っていうのは、「絶対に」両立しないことを、今日(いま)知った。
つうことは、ノートPCを2台持て、っていうこと???(爆)
複数のPCを持つと、データの共有が、うんと面倒くさくなるんだよねー。
メールとか、自分が作った文書とか。
今でも私、会社のPC、自宅のデスクトップ、今これを書いてるThinkPad 240、
あと、会社用のノートとして、こないだまでバリバリ現役だったLet’s noteを
復活させようと考えているので、合計4台。(^^;
これらのすべてで、自分が受け取ったメールとかを、常に最新の状態に
保っておくことって、実は案外むずかしいことであると、最近痛感してる。
いったいどうすればいいのか。この難問に対するベストな解決方法を
見つけだした人は、ノーベル賞は無理かも知れないけど、億万長者くらいには
ぜんぜん簡単に、なれるだろうね。いや、まじで。
そのうち、電話料金がむちゃくちゃ安くなって、みんな自宅にサーバーとかを
持つようになれば、そこに自分の作ったデータを置いておけるようになるんだろう
けどね。まだ今は、日本では、そこまでいってない。
ADSLの本格的なサービスが長野で始まるらしいけど、
この、NTT以外によるADSLサービスが、日本の高い高い電話料金に対し
風穴を空けてくれるんではないかと、強く強く、期待してる。
ケーブルテレビ(CATV)でもいいんだけど、初期費用が、ちと高いんだよね。
ケーブルの敷設代とか。よー分からんけど。それに、うちの市のケーブルテレビ局、
インターネットサービスを、いまだに始めてない。(;_;)
隣の習志野ケーブルテレビは、とっくに始めてるのに。(;_;)
ま、いいけど。
・8月28日(土)
いろいろ疲れた。
家庭争議。詳しいことは書けない。会社の人も読んでるので。
私を知らない人には読んでほしい。昔の知り合いにも、ま、いろいろあるけど、
おぐらはとりあえず、元気そうに(^^; やってるなー、と、私の近況を知って
ほしい。けどけど。ふだん、会社で顔を合わせる人たちには、私の細かいプライベートを
知ってほしいとは思わないのね。いやいや、だれが好きとか、そういうことではなくて、
ふだん顔を合わせる人には、あんまり、ねぇ。
昨日、ある人と夜めしを食い、そのあと二人でカラオケ屋に行った。楽しかった。
3次会で朝までやってる飲み屋に行ったら、会社のエライ人がいて、おごってもらった。
らっきぃ。
以上、事実関係のみ、報告。
このあと、日記の醍醐味である詳細情報を記すと、さまざまな人の(私も含めて)の
プライバシーに触れることになるので、ここには書けないよなー。うーむ、本当に
書きたいことを書けない日記なんて、書いてる意味、まるでないよな。(笑)
今日はなんかトゲトゲしてますね。さっき酔っぱらって帰ってきた母親と、ちと
口論。いやいや、口論をすべき相手ではない、とは分かっていても、あまりにも
筋が通っていないことを言ってくるので、ついつい……。
家を出るのが一番いいのでしょうが、私が一人暮らしをして家賃を払い、そして
実家の母親にも、それなりの仕送りをする、それだけの余裕が、今の私にはない。
悲しいことではあるが。
ふー。それにしても、疲れるなぁ。これっていうのは、仕方のないことなのだろうか。
きっと私自身の宿業が表面化してきたのだろう。だとすれば、正面からぶつかって、
乗り越えるしかない。きっと自分自身の財産となって、残るに違いない。
頑張ろ。
今日みたく雨ならきっと泣けてた
とてもとても晴れた日で