高校の文化祭準備でニコンZ9+Z24-200

ということで、予告通り、きょうふたつめの現場でニコンZ9+Z24−200のコンビを初めて実戦投入してみた。ちなみにひとつめの現場は高校の文化祭の部活動の集合写真だったので、D5+AF-S24−70で。

ニコンZ9+Z24−200を初めて実戦投入したのは、某市立高校の文化祭準備。僕の担当は1、2年のスナップということだったので、これはZ9+Z24−200を試すしかない、と決意していたわけで。

いま、今日ふたつめの現場で、高校の文化祭の準備風景の撮影をやってるんだけど、さっきまではZ9+Z24-200で撮ってたんですけどね、どうもやっぱりピンとこなくて。いちばんの違和感は背面液晶。帰宅してモニターで確認したら全然OKって可能性もあるんだけど、なんとなく仕上がりに自信が持てない

twitterのツイート埋め込み機能、便利ですよね。画像も一緒に貼れるし。

それはそうとして。今日の結論にもなるんだけど、そう、背面の液晶モニターの見えが、どう考えてもニコンD5より劣化?してる気がして。シャープネスと明るさが、どうもいまひとつピンとこず。

まあ、新しいカメラと馴染んでいくとき、背面液晶モニターの見えって、けっこうな鬼門で。考えてみたら、D5の時もそうだった。それまでのD4sと比べて、なんか色が派手派手しくて、しかもどっちか方向に色が転んでると、しばらくは違和感をぬぐえなかった。もう慣れたけどね。笑

今日の撮影は、13時に現場入りして、16時まで3時間を使って1、2年生の文化祭準備を撮影せよ、ということだったので、2階の2年生から始めて、3階の1年生をAからH組までぐるっと撮る、というのを続けて。

さっき書いたZ9への違和感。これを拭い去ることが出来えず、2年生と1年生を一周した頃、仕方なく?定番のD5+24-120に変えちゃった。こっちは背面液晶の感じも知悉してるし、仕上がり結果も読める。安心感が絶対的に違う。あとEVFだとフレーミングが甘くなる気がする。こっちも慣れなんだろうけどさ。

光学ファインダーとEVFの違いは、見えの決定的な違いもそうだけど、やはりわずかな遅延があるかどうかは、いままで何十年も光学ファインダーを覗いて写真を撮ってきた者にとっては、はかりしれないほど大きい。それがわずかゼロコンマ数秒であったとしても。それがEVFのZ9だとフレーミングが甘くなる原因なのかなと。あと、24−200はふだん使ってるAF-S24−120と比べて高倍率なので、あとズームリングの重さ(回転トルク)とか太さとかにも慣れてなくてね。なんつったって初日ですから!笑

で、我慢できなくなって、雨の降る中、職員玄関の前に止めた愛車まで戻り、カメラとレンズを総チェンジ。あ、天井バウンスにして使ってたストロボSB-910と外部バッテリーは、そのまま流用。

で、ここからは、帰宅してソッコー画像整理した感想。

いま、今日、高校の文化祭準備を撮影したニコンD5とZ9の画像をPCで確認してみた。結論としてはZ9+24-200の画像、まったく問題なし。D5と比較して同じISO感度だと若干微妙?と感じるような気もするけど、実用には差はないと言える。いまのところZ9でいちばん残念なのが背面液晶の見え具合。

もしかしたら画素数が多くなったことで若干眠く見えるのかも。背面液晶の見えって、明るさ以外チューニングできるんでしたっけ。ニコンにピットインさせないとダメかな。前から言ってるけど、PCと接続してユーザー自身でチューニング、カスタマイズできればいいのに。

てことで、明日明後日の某高校の文化祭もZ9でいくぞ!両日とも1、2年生の担当なので飽きてしまうのが怖い。単焦点とかをアレすれば飽きないのになあ、と思ったりもするけど、さすがに微妙かなあw

上3つ、ツイート3連発。いやー、便利だね。笑

自分が発したツイートは「点」としてそれなりに永遠に残ると思うけど、あるていどしっかりまとまった主張?(言いたいこと)は自分のブログに「面」として残しておきたくて。そのほうが、誰か興味ある人に見てもらえる可能性はあるしね。

てことで、今回もZ9の背面モニターの見えの問題、慣れなのかな、という気がしてきた、というか、そういうことにしておきたい自分がいる。えっと、明るさはカメラの設定で変えられることがわかったのですが、あんまりこの手のパラメーターはいじりたくないの。よくいえば、カメラのデフォルト設定に、自分の目を慣らしたいというか。いじっても限界があるのを経験則でよく理解してるってことかな。笑

そう、ニコンZのレンズって、どれも鏡筒がビヨンと長くて、なんだよこれ、ってひとり静かに独り言つ(ひとりごつ)のだが、よく考えたらフランジバックが短いので、レンズ鏡筒の長さで補わなきゃいけないんだろうね。ってニコンのレンズ開発陣に対する嫌みかよ、と思われるかもしれないけど。

どういうことかっつーと、ニコンはミラーレス化により、いままでのイヨーに小さいFマウントを捨ててZマウントに華麗に転身したわけですが、レンズ開発の基本?みたいなのは、それなりに一眼レフのFマウントのものを踏襲していると思われ。ニコン独自のレンズ開発ソフト?みたいなのも含めて。

であるからして、実質的な光学系の後端とか、そういうのは、しばらくは、あるていどは一眼レフ時代のFマウントレンズを踏襲してると思われ。なので、最初期のZレンズは、デザイン面でも、カメラ寄りの数cmは、どれもこれもマウント変換アダプターFTZを内蔵してるかの趣で。笑

あと、誰かが書いてたけど、Fマウントレンズに比べて、Zレンズはレンズの前玉が小さめ、みたいな。

僕はそこまで多くのZレンズに、まだ慣れ親しんでないので断言はできないけど、それは光の直進性、テレセントリック性が確保できるから? いや、違うなあ。違わないか。よくわからん。

わかった! Z24−200の望遠端の開放F値が6.3なのに象徴されているように、一眼レフ、いやフィルムカメラ時代と比べて、光を受け取る側、いまでいう撮像素子が、光を感じる力が圧倒的に高まったことで、レンズもそんなにバカみたいに明るく設計する必要性が徐々に減ってきたというか。

たぶんニコンの高倍率ズームで望遠端の開放F値が6.3って初めてじゃないかなぁ。いや、すべてを確認したわけじゃないけど。あたしの2番目の常用レンズは28-300で、このレンズをGetしてから、70−300はソッコー手放したし、70−200もスポーツではほとんど使わなくなったよね。2倍テレコンとあわせて。どうも文化ホールとかを使ってやる発表会とかをホールの2階席とかから撮ってて、なんか70−200と2倍テレコンの相性って微妙なんじゃね?と思うことは、けっこう何度もあって。

閑話休題。

(Z9を使っていての)たぶん僕の違和感の最大は、一枚一枚、写真を撮っても、ミラーがパタパタ言わないことだし、シャッターがシャキーンって鳴らないことなんだよ。

今日の文化祭準備の撮影で、途中から慌ててD5+24−120を持ち出して、しばらくして、あれ、D5のシャッター音ってこんなだったったっけ、と早くも違和感を感じてたもん。違和感を感じるって、感の字がかぶるから、ふだんは避けてるんだけど、でもいいよね。違和感を感じるで通じるじゃん。

馬から落馬することとか人生にそうないし。でも違和感を感じることは山ほどある。

逆に、違和感を覚えることは、そうないよねぇ。違和感って漢字、書けるし。いまさら覚える必要もないしね。

要するに「覚える」って動詞の意味が、以前に比べて縮小してるんだよ。

僕はここだけの話、「明言」っていうのは名詞だと思ってるし、動詞として使うときは「言明」と言いたいわけ。でも多勢に無勢で、動詞でも「明言」を使う人が増えてる印象がある。たぶんそれは、人々が活字を読まなくなった、目で文章を読むよりも、耳で言葉を聞くことのほうがずっと多くなった、ことの表れではないかと思われ。

あと、「教授」と「教示」もそれに似てるかな。「教授」というのは、大学教授として使われることが圧倒的に多く、いうまでもなく名詞として使われることが日本語では多かったと理解してる。その動詞形が「教示」。ご教示くださってありがとうございます、みたいな。

これも数年前から「ご教授くださって…」みたいな記述が本当に増えた。むしろ「教示」のほうが少数派なくらい。自分で書いてて思うけど、「少数派なくらい」。「少数派」は明らかに名詞なので、「な」で受けるのは正しい日本語文法的にはNG。「少数派であるくらい」かな。正しくは。けど、なんとなく形容動詞っぽく使って「なくらい」で受けても、そこまでの違和感はない、よね。

なんの話だ?

明日も高校の文化祭。明日と明後日は、本番。今日とは違う、県立高校。

両日とも1、2年生の担当。カジュアルな集合写真も撮るけど、Z9+Z24−200で通すつもり。ツラくなったら自販機でポカリをガブ飲みしてハートを落ち着かせます。

死ぬまでいい写真を死ぬほどいっぱい撮るぞ。
これに尽きるかな。

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