地獄への道をふさぎぬ。

そうだ、大事なことを書くの忘れてた
昨日、近所の写真屋さんの方から電話があり、あした某中学校の個人写真、全校9クラス分の撮影をお願いします、と。

40×9=360

うわ、360人も撮るのか、独りで、と絶望的な気分になった。ふだんだったらカメラマン2人の現場じゃね?と思ったけど、学校が再開して、たぶん撮影が重なってるんだろうな。

twitterにも書いたけど、あたしはこの個人証明写真の撮影が大の苦手で。撮影に限らず、決められたことを決められたとおりにキチンとずっと続ける、ということが根本的にできない人間なのだ。

(個人証明写真の撮影の難しさを、あとでここに追加)

そのあと同じ写真屋さんの別の方から電話。明日の午後、追加で別の現場もお願いしたいと。

千葉市内の某県立高校の1年生の個人証明写真。笑
こっちはカメラマン2人の現場。軽く調べたら1学年8クラスなので、ひとりあたり4クラス。つまり160人。

午前中360人、午後160人、合計520人。
気の遠くなるような数字。

もうひとつ余計なことを書くと、この写真屋さん、1日にふたつ以上の現場で撮影することを「渡り」と呼んで、ふたつめのギャラは全額支給されない。どういうわけか。なんかオマケ程度のギャラになっちゃう。これって根本的に間違ってる気がするのだが、仕事が来なくなると困るので文句は言えない。笑

で、昨日の夜、嫌だなぁ、と思いながら祈ってたら、ふと思った。

500人だかの撮影を束にして考えるから気が重くなるのではないか。目の前にいるひとりをしっかりキチンと撮ってあげようと思えばいいのではないか。

そうか!これが「ひとりを大切にする」ってことなんだな。ようやくこの言葉の意味がわかった気がする。とともに、師匠が生涯を通じて続けられてきたことって、これに尽きるんだなと。目の前の相手が一国の大統領だろうと無名の庶民のおばあちゃんであろうと、師匠の目線はまったく変わらない。相手がどうしたら幸せになれるか、つまりこの仏法に縁し、正しく理解し、今世の使命を果たしていけるか、それをわからせてあげたいと全力で尽くす。

師匠の真似をすればいいんだ。そう思ったら、急に気持ちが軽くなった。僕は人の写真を撮るということは、その人の幸せを命の底から祈る、ということだと思っている。そうじゃなかったら、写真なんか撮らないよ。

そうやって一念を転換して臨んだ今日の撮影、いままででいちばん上手に撮れた気がする。なんか出来すぎた話に聞こえるかもしれないけど。宿命転換とか人間革命とかって、とても困難な道程のように聞こえるけど、でもきっと、こういう小さな発見と小さな成長を繰り返していくなかにしか、ないんだろうなと実感した。

あしたは撮影もオンライン塾もないので、例のワールドセイキョウを、なるべく多くの友人に送ってあげようと思う。

大切な友人に仏法を語るということは、その友人を心の底から尊敬しているということだし、生まれ変わっても、また会いたいと強く望んでいるということだ。

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