人生に辛いことが多いわけ

昨日の朝だったか。
昨日も撮影で遠くまで行くので起きたのは5時半。
眠い目をこすりながら、シャワーを浴び、凍えそうになりながら服を着て、朝の祈りを捧げ、出かけたんだけど。

いつも思うことなんだけど、なんで人生って、辛いことが多いんだろ、って。

むかし戸田城聖先生は、スイカに塩をかけると甘さが引き立つ。みなさんはいささか塩が多すぎるようだが、といって呵々大笑されていたそうだが。

クルマのなかで、最近の自分のマイブームを思い出した。去年くらいまでは、幼稚園とかの室内の撮影では、ストロボを天井に向けて、いわゆる天井バウンスで撮影することがほとんどだった。天井全体が光源となり、フラットな光で被写体を照らせるから、とても仕上がりが安定する。被写体たる園児たちの顔がしっかり明るく写るのでスクールフォトには絶対に欠かせないテクニックなのであり。

それはいいんだけど、この手の撮影を長く続けるなかで、この天井バウンスの撮影、どうもつまらないな、と感じることも多くなり。ストロボの発光部を被写体に向けて直接ストロボの光を当てる、いわゆるモロ焚きに比べたら、ずっとナチュラルなんだけど、それでも被写体の顔に均一にストロボの光が当たって、ややフラットな印象になる。

いままではそんなこと、ほとんど気にならなかったんだけど、なんかの拍子に疑問を持つようになり。

あるとき、ストロボを焚かずに、窓からのやわらかい外光をたよりにノンストロボで撮ってみた。

そしたら被写体たる園児たちの顔に、なんとも言えないしっとりとしたグラデーションが現れ。

うわ、なんて美しいんだろう。この自然光に比べたら、天井バウンスのライティングって、なんと平板でつまらないことだろう。

それから、余裕があるときは、積極的に自然光での撮影を好むようになった。外で撮るときもそうかな。多少、光がキツくても、顔にできる影が気になっても、あえて日中シンクロで顔を起こしすぎずに、自然にできた影を尊重するというか。

ああ、これが人生に辛いことがある理由なんだなと納得がいった。いいことばっかりじゃ、感動的な写真にならないし、感動的な人生は訪れない。

ああ、そうか。そうだよな。
なるほど。

昨日は飲み友だちの女子(29)と錦糸町のいつもの店で懇談。めちゃめちゃ楽しかった。前回、懸命に仏法の話をしたら、趣味の話を聞かされてるみたいだ、と言われ、静かに落ち込んだが、しっかり祈って臨んだ昨日の懇談では、僕のいいたいことが徐々に伝わっていると実感。体が震えるほどの感動を覚えた。

3月中旬までは、コロナの影響で時間に余裕ができるので、全力で対話に挑戦しますよ。

だって、僕の人生はすべて、この仏法を弘めることに捧げると、とうの昔から決意してるから。

そう考えたら、人の一生ってびっくりするくらい短いよね。

僕は長生きせずに生まれ変わって、来世はたっぷりJKと楽しくお付き合いするんだ!と心の底から誓ってるけど、それでも残された今世の数年を懸命に生きるよ。ええ。

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