「わたしは悪くない」

昨日、夜中まで勝田台で作業して、若い仲間を二人、家まで送って、短めに祈って、男梅500+350を飲んだあとでぬるい風呂に入りながら、思った。

わたしは悪くない

この言葉って、小さな諍いから国際紛争にいたるまで、大小さまざまなトラブルの元凶だな、と思った。最近ようやく分かってきたけど、ひとってそれぞれ見えているモノ、いままで見てきたモノ、考えていること、どれもすべてばらばらで、いわゆる価値観とか、みんな違っていて、だから、何が正しいというのは、人によってみんな違うわけで。

それぞれが、わたしは悪くない、と考えるのは当然のことだけど、そこで自分の立場とか価値観を絶対視するんじゃなく、相手の立場とか考え方を想像してみるのって、とっても大切なことだよね。

もちろん、言うは安く行うは難し、なんだけど。

前にも書いたけど、最近フリーカメラマンとして、毎日違う現場に入らせてもらうんだけど、そこでいちばん大事なことは、写真の上手さとか体力とかではなくて、その場の想いを共有することだと、最近しみじみ思うのね。たとえば卒園式とかだったら、担任の先生とか保護者の方々の気持ちを想像して、寄り添って、その思いのままに写真を撮る。それが何より大切なこと。これはフリーカメラマンを何年も続けてきて、最近ようやく分かりかけてきたこと。そうすることが、結局は皆さんに喜んでいただける写真を多く残すことにつながるのね。

もちろん、簡単なことではないよ。だって、僕は幼稚園の先生でもないし、子どもを持ったこともない。

でも、だからこそ、人の気持ちに寄り添うってものすごく大事なんだな、と思う。それにはきっと、ある程度の経験みたいなもんも、必要なんだろう。いっぱいいっぱい苦労して、その結果として生まれる、心の余裕みたいなもんも、必要なのかもしれないし。

考えてみたら、オグラはいままで自分の正しさばかりを主張して、相手のことを思いやる真心が足りてなかったなあ、と思った。つい最近まで。いや、いまもか。笑

いままでわがままなオグラと仕事をしてきてくださったすべての方々に、心の底からの感謝の気持ちを伝えたい。もう会えない人もたくさんいるので、これから会う、多くの若い方々に、カタチを変えて、感謝の思いを伝えよう。

そんな気持ちが地球を回してるんだってことを、撮影で伺った卒業式や卒園式で教えてもらったんだ。

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