韓国映画「クロッシング」

韓国映画の「クロッシング」、みた。
クロッシングというのは、たぶん、越える、ということ。いろんなものを。
この映画では、とくに、東アジアの国境を、いくつも、あるいは、いくつか、
越える。そして、変わらないものを、追い続ける。そのへんの日本映画
100本分の、破壊力あるいは魅力が、ある。

最初、見始めた頃には、キッツイ映画やなぁ、と思った。北朝鮮の貧しい、
そして厳しい現実をこれでもか、これでもか、と見せられるから。

そして、だんだん、これは見なければならない、もしくは、見るべき映画だと
感じ始めた。

北朝鮮の公安は、徹底して、えげつない。
たぶん、でも、この映画で描かれてる、何百倍も、何千倍も、本物の
北朝鮮の公安は、えげつないんだろうな。たぶん、間違いなく。

この映画では、希望は描かれない。だが、しかし、希望が描かれないこと自体が、
この映画では、希望そのものであり。

ちょっと分かりづらいかもしれない。希望を描かないこと自体が、この映画に
おいては、希望なのだ。

分からなければ、何度でも言おう。

希望を描かないこと。そこから生まれる、希望。