矛先の向かうべき先

朝日新聞の粗粒子に死に神って書かれて法相がタコ怒りしてるっていう記事。

率直に感想をいうと、朝日の粗粒子を書いてる記者、文句を言う相手が完全に
間違ってるよね。たしかに、いままでに比べたら、いまの法相の鳩山になってから
死刑執行のスピード、回数が、段違いに多くなってるけど、だからといって法相を
安っぽい言葉で揶揄すれば済むってもんじゃないでしょ。

記者が命の底から死刑を廃止にしたいと思うのならば、まずは社内の論調をまとめて
で、新聞社の社運を懸けて、死刑反対のキャンペーンを張ればいいんじゃん?
読者の、いな、日本国民の良心を揺さぶるような、死刑反対の論陣を、死刑がこの
日本で廃止されるその日まで、張り続ければ。

そんな勇気もなく、売り言葉に買い言葉、みたいなんじゃあ、あまりにも
不毛だよね。

けど、ここからは僕自身の興味関心事なんだけど、僕個人は死刑反対論者なんだ
けど、どうして世界の国がどんどん死刑を廃止しているのに、日本ではいまだに
死刑賛成の国民が大多数を占めてるんだ??

もしかして、日本人って血が混ざらなすぎて、人類の知性の進歩から
どんどん遅れてる?

なんか、ふとそんな気がしてきた。

この「粗粒子」、ずっと昔に自宅で朝日新聞を購読してたとき、ちょっと笑ったことが
あった。たぶん、いまと違う記者だと思うけど。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」っていう
寺山修司の有名な歌を引いて、

そんなもの ありはしない

って書いてて。

この記者、本当に(ほんっっとうに)バカだな、

と思った。

そんな、お前ごときの一言で片付けられるなら
寺山は歌なんか詠んでないって。

いっこ前の日記でも書いたけど、なんで一流(?)マスコミの社員になると、
みんなバカになっちゃうのかな。あ、みんなというのは語弊があるかな。
ほとんど大部分は、と訂正いたします。(笑)

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