いよいよ準備完了…

きょうは13回目の聖教新聞の代配(代理配達)だった。予報でも雨で、起きて外を見てみたら、けっこうしっかり降ってて。よし、と覚悟が決まった。2回前の代配でもけっこうな雨に降られ、でも僕はちゃんとした雨具を持ってなくて、その反省として10日前くらいにAmazonでポンチョを買った。気分はすっかりマルコかな。

聖教新聞社から支給された防水のバッグも使ってるんだけど、配る新聞を全部入れるにはちょっと小さい。なのでいままではもう何十年も使ってる肩掛けの大きなビニール?のバッグを使ってて。これだとどさっと新聞を横向きに入れても大丈夫。ただ、ぜんぜん防水じゃないので新聞を小分けにビニール袋に入れても下のほうから水が沁みちゃうことがけっこうあって。自分用の雨具は買ったのに新聞を濡らさない手だては考えてなかったと反省しながら朝の祈りを捧げていたら、閃いた。あ、たまに使う肩掛けのカメラバッグの中敷き(間仕切り)を外せばちょうどいいんじゃないか、って。ビニール製だけどカメラバッグだからそれなりに厚手の生地を使ってて、それなりに雨は防げそう。念には念を入れて、船橋市の45Lゴミ袋、そして本屋とかでもらう厚手の縦長のビニール袋も詰めて、いざ出陣。もちろん足もとはいつものサンダルじゃなくて長靴ですよ。いやサンダルでもよかったんだけど。笑

もう最高。カメラバッグのほうに聖教新聞を単独で配るヤツを数十、詰めて。例の本屋さんでもらうような縦長のビニール袋になんとか入ったので、よかった。聖教新聞と某政党の機関紙をセットで配るほうは、聖教新聞から支給された防水のバッグに詰める。こっちは配る家ごとに部数が微妙にいろいろだから、間違えちゃいけないと、同じ種類ごとに並べて、間に段ボール紙で作った間仕切りを挟み。これも何回も使ってたら、だんだんボロボロになってきちゃったので、余ってるクリアファイルに配る部数を書いた紙を挟んだヤツを来週までに作ろう。

いつものように倉庫で新聞を個別にビニール袋に詰める作業は腰が痛くなるんだけど、数を間違えないように何度も数えてしっかりバッグに詰める。ひとつひとつの作業を丁寧に行うこと、そのすべてに意味がある。

そして自転車で配達開始。雨はそんなに強くない。

いやー、気分はすっかり小学生。母さんは蛇の目でお迎えに来てくれないけど。でも楽しい。買ったばかりのポンチョ、たぶん中国製だと思うけど、雨よけのひさし?までついてて最高。これ着ていけば雨の日でも写真が撮れるな。あ、カメラが濡れるか、なんてどうでもいいことを思いながら、順調に配達を進める。あー、楽しい。たぶん聖教新聞を配達する功徳って、南無妙法蓮華経のお題目を唱える功徳の1.3倍くらい、同じ時間で考えると、功徳があると思う。これは実感。倉庫で新聞を戸別に詰めて配達して、ってトータルの時間を考えると1時間半くらいだと思うから、90×1.3≒120分! つまり2時間のお題目を唱えたのと同じだけの功徳があるということだ。すごいなあ。

僕は日曜日だけだけど、こうやって週に6日も、雨の日も風の日も文句ひとつ言わずに聖教新聞を配ってる方々が全国に無数にいらっしゃるということを考えると、本当に粛然とした気持ちになる。

話はガラッと変わるけど、昨日の夜、Amazonとメルカリからメールが届き。例のウェブカメラを発送しました~って。あと立てかけるタイプのQi充電器とね。うちにはQi充電器が山ほどあるんだけど、すべてペタッと置くタイプ。立てかけるタイプは、なんかぶつけたりするとバキッといきそうで避けてきた。だけどこれからは机に向かって仕事をすることが増えるからスマホを立てかけたまま充電する機会が多くなるだろうと。

なので今日は、ウェブカメラの導入と、あとはウェブ会議ソフトのテストを進めなくては。それからホームページのトップページを全面改装してオンライン個別補習塾の宣伝ページを作らなくては。

だれかが「ピンチはチャンス」なんて簡単に言うな!って某公共放送に怒ってたけど、気分はまったく同じだけど、ピンチをチャンスに変えるのは、誰かじゃないよね。自分だよね。もちろん都道府県でも国家でも自治会でも学校でも、どういう単位の人間の集団でもいいんだけど、でも結局はピンチをチャンスに変えるのは、個人の力というか個人の仕事だと思う。命、といってもいいかもしれない。

少し寝ようかな。といってもtwitterをやるんだけど。笑

よく幼稚園とかで歌われる「Believe」って歌があるけど、みんなの優しさで地球は回ってる、みたいな歌詞があるけど、あれホントにそうだよね。twitterは、まあいろんな人たちのエゴとか鬱憤とかもいっぱい流れてくるけど、でも根本には、みんな幸せになりたい、とか、世界が平和になればいいのに、とか、なるべくみんな死なないでね、とかそういう願いが根底に流れてる気がする。その携帯の電波の圏外になるかどうかの瀬戸際な感じ、茨城県石岡市とかでJ-WAVEが聴けるかどうかの微妙なところ、だとしても、それを仏法では仏界と呼ぶんだね。ほんのかすかなところだけど、そこを何百倍にも培養して、あるいはそこを磨いて磨いてこすってこすって増幅して、ほら、あなたにもこんなに素晴らしい生命が宿ってるんですよ、っていうのが仏法なんだと思う。

誤解を怖れずに言うけど、新型コロナウイルスだって、宇宙生命の一部なのよ。つまり仏法だし南無妙法蓮華経の一部ってこと。十界互具ってことを考えると、コロナは地獄界かもしれないけど、そのなかにも仏界が宿ってるってことだよね。ただ単独で悪ということはない。善悪一如、変毒為薬とは、このことだ。