コアキナイ

Facebookで、ある著名写真家の方が、三脚につけた超望遠レンズとカメラの写真を
アップされ、舞台撮影、最近こんな小商いしかない、みたいなことをボヤかれてて。

これ、関係者が見てたら大丈夫かなぁ、と心配になりつつも、まあ、苦笑い。
その方のキャラクターを知ってるから。

と同時に、あんな著名写真家の方でも、最近は小商いばかりなのか、
やっぱり不況なんだなあ。自分も頑張ろう、となんだかすがすがしい
気持ちになった。ふっきれたといえばいいのか。

どんなに小さな仕事でも疎かにせず、コツコツと信頼を勝ち取っていけば、
きっといいほうに進んでいける、なんだか最近そんなことを確信しつつある。

なんども書いているように、個人(リテール)の分野での商業写真?の需要
というのは、これから順調に市場が拡大していくと思うから、そのあたりを
じわじわと攻めていこうと思ってる。

今日は友人が勤める会社を訪問して、何人かの方の名刺用、
ホームページ用の写真を撮らせてもらってきた。

たのしかった。人の写真を撮るのは、問答無用で、楽しいですよ。
その原点を、絶対に忘れないこと。

ネット写真添削

ネット写真添削、というサービスを思いついた。

詳しくは、後ほど。

何人かの方にご説明申し上げた。そのうちのおひとかたは、とても気に入ってくださり、
その方のお勤めになっている会社の社長に掛け合ってくださった。

けど、残念ながら、その会社は、「写真」「ネット」ということを前面に出した
会社ではなかったので、事業化は難しいという結論になったとご連絡をいただいた。

以下次号。

カメラマンと被写体マッチングSYSTEM、その後。

昨日の日記の続きだけど、備忘録がわりに、させてくださいね。

●キタムラのメリットとしては、
・ずばり「プリント注文が増える」。
・新しい顧客を、開拓できる。

●個人カメラマンのメリットとしては、
・写真を撮ってお金をいただける。
・新しい魅力的な被写体と出会える。
・とにかく人の写真を撮れる。

●被写体のメリットとしては、
・自分のすてきな表情を発見できる。
・自分の写ってるプロの撮ったいい写真が、いっぱい手に入る。
・写真を撮る手間が、省ける。(笑)

と、いいことずくめ、なのですよ。

●想定されうる問題点としては、
・やばめのカメラマンに、変な写真を撮られる可能性がゼロではない、
・撮られた顔写真をアイコラとかされて、おかしな目的に使われることがゼロではない、
・自分の気に入らない表情の写真が、永久にこの世に残る可能性がゼロではない、
・被写体自身が、自分で写真を撮る楽しさを味わえない。(笑)
・個室に二人っきりになって(以下、自主規制)

くらいでしょうか。

なかなか文字ばかりだと、ハッキリ理解していただきづらいと思うので、
明日あたり、PowerPointのプレゼン資料、作ってみようかなぁ。。

—————————

最近よく書くけど、もうすこしシステムの整備が進めば、個人のカメラマンと、写真を
撮ってほしい人とのマッチングがネット上で行えるようになると思うんだよね。いまより
もっとカジュアルに、もっとフレンドリーに。

ネットとかで、写真を撮ってほしい人はカメラマンに呼びかける。イメージとしては
少年スポーツの団体とか、スポーツの競技会の主催者とか、学校とか、習い事の
集団とか、あとは法事とか? 参加者があるていどたくさんいて、たくさんの写真が
購入されるような行事などがイメージされるかな。

カメラマンのほうも、呼びかけに応じるとともに、自らも活動エリアや得意分野、
過去の作品、プリントの値段などをネットに記載する。

で、撮る側と撮られる側のニーズが合ったら、いざ撮影になるわけ。

撮影したあとは以下のように進む。
カメラマンはidとpwdを伝えて、撮った写真をネットにアップする。撮られた人は、それを
みて、写真を注文する。注文された写真は、希望に応じてラボなどでプリントされ、
写真の受け取りもネット経由あるいは自宅の近所のラボやコンビニなどでOK。
プリント代にカメラマンの撮影料が載せてあって、カメラマンはあとからラボ&システム
経由で撮影料を受け取れる。
そう、カメラマンへの謝礼は、前もって金額を決めるんじゃなく、注文された
写真の枚数による、完全出来高制というのがミソ。まあ、あまりにも写真注文が
少ないとカメラマンもつらいので、場合によっては最低保証額みたいなのを
設定することも可、かもしれない。

いいと思わん? おれはいいと思うのだが。
このシステムの、いま欠けている大きなピースを埋めるのは、じつはカメラのキタムラ
じゃないかとにらんでる。全国津々浦々にショップ展開してるカメラのキタムラをおいて
このカメラマンと写真を撮ってほしい人のマッチングシステムを完成させる術はない!
ま、もう一枚、ヤフーあたりが勘定系、マッチング系に絡んでくれると、完璧なんだけど
なあ。

ということで、小倉の妄想、終わり!
もちろん人と人とが出会うことだから、いろいろ問題もないわけじゃないだろうけど、
でもそれよりもこのシステムが生み出すメリットのほうが、はるかに大きいと僕は
にらんでる。

あと何年後かな、実現するのは。。

ゆめのしま。あるいは写真を撮る/撮られるマッチング

今日はマラソン(駅伝)の写真を撮りに、京葉線にゆられて夢の島まで行ってきた。
新木場の駅は乗り換えではよく利用するけど、降り立ったのは、もしかして初めてかも。

まったくなんの自慢でもないが、じつは僕は小学校2年生の冬休みまで、夢の島と
運河をはさんだ埋め立て地にある団地に住んでた。

荷物を少しでも軽くするために、ストロボはもたず、望遠ズームとテレコン、あとは
念のための標準ズームとカメラボディ。一脚と折りたたみのイス。日曜日は電車が
空いてて助かる。

向こうから走ってくるランナーにAF-Cでピントを合わせて次々とシャッターを切る。
撮影場所を決めたら、あとはピントをカメラに合わせさせて、フレームを決め、
ばしばしシャッターを切るだけ。まあ、カメラマンというよりもシャッターマンに近い
かな。動き回って構図を決めたり、被写体に話しかけて笑顔を引き出したりする
わけではないので、ものすごくストレスがたまる。まあ、人によっては、いちいち
コミュニケーションを取らなくてもいいからラク、と考える人も、いるのかもしれない
けど。

でもまあ、生活のためだから、あまり贅沢は言っていられない。通り過ぎていくランナーの
方々、必死に走ってるだけあってみんないい表情をしてるし、レンズを向けられてるのに
気がつくと、笑顔でピースしたり、ポーズを取ってくれたりする人も、少なくない。
そういう人には、なるべく、ファインダーから目を離して、顔を向けて、会釈するようにした。

最近よく書くけど、もうすこしシステムの整備が進めば、個人のカメラマンと、写真を
撮ってほしい人とのマッチングがネット上で行えるようになると思うんだよね。いまより
もっとカジュアルに、もっとフレンドリーに。

ネットとかで、写真を撮ってほしい人はカメラマンに呼びかける。イメージとしては
少年スポーツの団体とか、スポーツの競技会の主催者とか、学校とか、習い事の
集団とか、あとは法事とか? 参加者があるていどたくさんいて、たくさんの写真が
購入されるような行事などがイメージされるかな。

カメラマンのほうも、呼びかけに応じるとともに、自らも活動エリアや得意分野、
過去の作品、プリントの値段などをネットに記載する。

で、撮る側と撮られる側のニーズが合ったら、いざ撮影になるわけ。

撮影したあとは以下のように進む。
カメラマンはidとpwdを伝えて、撮った写真をネットにアップする。撮られた人は、それを
みて、写真を注文する。注文された写真は、希望に応じてラボなどでプリントされ、
写真の受け取りもネット経由あるいは自宅の近所のラボやコンビニなどでOK。
プリント代にカメラマンの撮影料が載せてあって、カメラマンはあとからラボ&システム
経由で撮影料を受け取れる。
そう、カメラマンへの謝礼は、前もって金額を決めるんじゃなく、注文された
写真の枚数による、完全出来高制というのがミソ。まあ、あまりにも写真注文が
少ないとカメラマンもつらいので、場合によっては最低保証額みたいなのを
設定することも可、かもしれない。

いいと思わん? おれはいいと思うのだが。
このシステムの、いま欠けている大きなピースを埋めるのは、じつはカメラのキタムラ
じゃないかとにらんでる。全国津々浦々にショップ展開してるカメラのキタムラをおいて
このカメラマンと写真を撮ってほしい人のマッチングシステムを完成させる術はない!
ま、もう一枚、ヤフーあたりが勘定系、マッチング系に絡んでくれると、完璧なんだけど
なあ。

ということで、小倉の妄想、終わり!
もちろん人と人とが出会うことだから、いろいろ問題もないわけじゃないだろうけど、
でもそれよりもこのシステムが生み出すメリットのほうが、はるかに大きいと僕は
にらんでる。

あと何年後かな、実現するのは。。

映画「闇の列車、光の旅」

みた。

中米のホンジュラスから豊かな生活を求めて米国に向かう少女と、
ギャングの親分を殺してしまい、追われる身となった青年との
逃避行の物語。

ひたすら苦い。

ギャング団は徹底して血も涙もないし、列車の屋根に乗って米国を
目指す旅はどこまでも厳しい。

って、映画の感想を述べるときに、過不足なくストーリーを紹介するのが
この男は大の苦手。(笑)
みなさん、とっくにご存じでしょうけど。

ストーリーじゃなくて、感じたことをそのまま書きたいから。

いい映画だと思う。監督は日系3世か4世の米国人。実際に移民たちと
列車の屋根に乗り旅をしながら、映画の構想を煮詰めていったとか。

静かだけど意志の強そうなヒロインがとにかくいい。
追われる青年も、正義感の強そうな瞳がいい。ギャングなのに
正義感が強い、っていうのも変だけど。

ロードムービーというのは、目的地に向かって進むというシナリオから
逃れることができないから、ある意味、大きな制限が課せられていると
いえる。そして、組織から追われる彼が、無事に国境を越えて、彼女と
米国で幸せに暮らしましたとさ、という結末なんか訪れるわけはないと
いうのも、火を見るより明らかで。

まあ、ベタといえばベタだが、ベタにもいいベタと悪いベタがある。
ベタの中身が大事といえばいいか。ベタというのは、ほぼ予定調和
という言葉と同義ですね。

映画なんてある意味、予定調和の固まりなのであり。
でもそのなかで、どう味をつけて個性的な魅力を生み出して
いくか、だよね。

しりとりのように、見た映画のなかに、次に見るべき映画の糸口を
見つけようとしてる私。たぶん次は、前から見たいと思っていた、
「フローズンリバー」かな、という気がする。移民つながりで。

越える、というのは、映画の大きなテーマのひとつだよね。
越えるものは国境だったり、身分や民族の壁だったり、いろいろ
だけど。

そういう意味では、日本の映画が内省的にならざるを得ないのも
わかる気がする。日本の我々がいま越えるべきものって、ものすごく
見えにくくなってると思うから。

いや、映画っていいなあ。
中南米には僕は行ったことがないし、このあと行く予定もないけど
350円、2時間で、中南米に行った気になれるもんな。

時間があるうちに、徹底して映画を見ておこうという気になった。
あ、書物もね。
布団に横になって、だらだらtwitterばかりやってても、しょうがないという
ことに、ようやく気づいたから。

この「闇の列車、光の旅」、ひたすら苦いんだけど、でもその苦さの先に
ほんのりと甘みを感じるのは、なぜだろう。

映画「シリアスマン」

先日、友人と見に行ったが、正直言ってあまり楽しめなかった。

目の前の映画館の大きなスクリーンに映し出される場面は、何が起こってるのかは
観れば理解できるのだが、監督が意図する本当の意味というのは、ちとわかりづらい
気がした。

先日は「トゥルー・グリット」を観たのだが、こちらのほうがまだわかりやすかった。

2作品を観て感じていることは、このコーエン兄弟という監督が撮る作品は、良くも悪くも
アメリカ人社会に向けてのものではないか、ということ。視聴者として、標準的な
アメリカ人にかなり特化した内容、ストーリーのような気がする。映画の外にある
共通認識を当然のことにしてるというか。

それが欠けている日本人が観ても、なんか分かるような気もするんだけど、
ぶっちゃけ一体何がおもしろいのか、微妙にストレスがたまるというか。

アメリカ人の映画監督でも、もっと日本人にも理解できる映画を撮る人は、
たくさんいると思う。いいとか悪いとかじゃなく、それが彼らの持ち味なので、
僕らはそのことをふまえて、彼らの作品を観るか観ないか、決めればいいわけで。

まあ、ひらたくいうと、あんまり僕は好きではない映画でした。

最後のシーン、地下室の鍵をガチャガチャいわせてる男に対して、
なにやってんだよ、どうせ演技だろ、さっさと開けろよ、と毒づいてしまった僕は、
この映画の視聴者としては失格なのでしょうね。(笑)

あと、コーエン兄弟って、兄弟で一緒に監督をやってるんだと思うんだけど、
なんだろうな、それ、と思わないでもない。完全に想像だけど、作品ごとに
どちらかが主体になって、やってるんだと思う。藤子不二雄みたいに。
それならちゃんと個人の名前で監督を張ったほうがすっきりするんじゃね、
と思ってしまうのだが。なにか共同でやらなければいけない特殊事情が
あるのかもしれないけど。

ちょっと気になるので、調べてみようかな。

映画「パリ20区、僕たちのクラス」

パリ20区、僕たちのクラス パリ20区、僕たちのクラス (2008)

【監督】ローラン・カンテ
【出演】フランソワ・ベゴドー


★★★★ [80点]「見て損はない、佳作。」

パリの20区って、まったく知らないけど、中心部ではなく、どちらかというと周辺部に近いところなのだと思う。東京でいうと、足立区とか荒川区といったイメージかな。

移民の子どもたちがものすごく多い学校で。アフリカ系、アラブ系、そしてアジア系。

担任でもある国語(フランス語)担当の熱血教師が、彼らと激論を交わしながらもなんとか教室運営に奮闘していくさまをドキュメンタリータッチで描いている。

しかし、なんというか、移民の子どもたちも弁が立つというか、まあ屁理屈ばっかりなんだけど、自分たちの権利を思いっきり主張することに余念がなく。このあたりは日本の中学生とは、まったく違うよね。文化の違いというのを、まざまざと見せつけられた。教師たちの会議も、基本的には意見をガッツリとぶつけ合う。校長が言うから、納得できなくても従う、みたいなあり方は、少なくともここでは、一般的ではないみたいだな。

映画は淡々と進む。とくべつドラマチックな出来事が次々に起こるようなこともない。このへんは、同じような題材を扱った「フリーダムライターズ」に比べると地味というか、サービス精神が足りてないというか、まあドキュメンタリータッチなのです。最初、ホントにドキュメンタリーなんじゃないかと思った。ちょっと乱暴な感じの映像の撮り方とか。

ときどき、生徒たちが中庭でスポーツに興じたり、下校していく様子が描かれる。校舎の3階か4階あたりから、斜めに見下ろしたアングルで。それが何度も続く。ああ、これってわざとだよなあ、と思ってみてたら、案の定、最後のほう、もう終わりが近いというシーンでは、教師たちも生徒たちに混じって、サッカーを楽しんでる。このシーンは、彼らのなかにカメラは入っていき、近い場所から彼らの動きを追う。それまで対立していた教師と生徒たちが、一応の和解をみせたとでもいうように。

ものすごい感動巨編とかじゃないと思うけど、見終わって心がしんとするいい映画、佳作だと思います。

見て損はないかな。僕はそう思います。

とくに、教育に携わる人にとっては。

Posted by oguray on 2011/05/20 with ぴあ映画生活

シリアスマン

シリアスマン (2009)

【監督】ジョエル・コーエン / イーサン・コーエン
【出演】マイケル・スタールバーグ / リチャード・カインド / フレッド・メラメッド / アーロン・ウルフ


★★★ [60点]「アメリカ人向け?」

先日、友人と見に行ったが、正直言ってあまり楽しめなかった。

目の前の映画館の大きなスクリーンに映し出される場面は、何が起こってるのかは観れば理解できるのだが、監督が意図する本当の意味というのは、ちとわかりづらい気がした。

先日は「トゥルー・グリット」を観たのだが、こちらのほうがまだわかりやすかった。

2作品を観て感じていることは、このコーエン兄弟という監督が撮る作品は、良くも悪くもアメリカ人社会に向けてのものではないか、ということ。視聴者として、標準的なアメリカ人にかなり特化した内容、ストーリーのような気がする。映画の外にある共通認識を当然のことにしてるというか。

それが欠けている日本人が観ても、なんか分かるような気もするんだけど、ぶっちゃけ一体何がおもしろいのか、微妙にストレスがたまるというか。

アメリカ人の映画監督でも、もっと日本人にも理解できる映画を撮る人は、たくさんいると思う。いいとか悪いとかじゃなく、それが彼らの持ち味なので、僕らはそのことをふまえて、彼らの作品を観るか観ないか、決めればいいわけで。

まあ、ひらたくいうと、あんまり僕は好きではない映画でした。

最後のシーン、地下室の鍵をガチャガチャいわせてる男に対して、なにやってんだよ、どうせ演技だろ、さっさと開けろよ、と毒づいてしまった僕は、この映画の視聴者としては失格なのでしょうね。(笑)

Posted by oguray on 2011/05/20 with ぴあ映画生活

近況。

いろいろありました。

このご時世なので、デジカメ関連ムックの刊行計画は、どこも厳しそうで。
勝田台の某個別指導塾は、いまガンガン成長中。僕個人としても、テコ入れ中。

学校写真、学校アルバムの葛飾M写真館の仕事は絶賛受け中。

高校生の遠足の写真を撮るのは、死ぬほど楽しい。。
中学生も、小学生も、幼稚園児も、保育園児も。

とにかくこの男は、人を撮るのが、好きみたい。

もう少しいうと、人の笑顔をずっと見ていたいと思ってるみたい。

人の笑顔を引き出すのがもっと上手になるといいな、とずっと祈ってる。

ディズニーランドをなぜ楽しめないのか。

みんな書いてるけど。(ドコモとtwitter提携につマイミクの棒振りさん、しんたさんからコメントをいただき、ちょっと考えて
みました。
なぜ僕は、ディズニーランドを楽しいと思わないのか。

今日、クルマを運転してて、狭い路地を走っていて、気づいたことがあります。
僕はマニュアルミッションのクルマに乗っているのですが、狭い路地とかで、
ほかのクルマと譲り合いながらトロトロ走るとき、半クラッチというのがすごく
役に立つ。交差点を低速で曲がるときとか。

で、考えたのは、ディズニーランドって、まさにオートマ車だな、と。
楽しさ、夢や冒険や魔法は、向こうから与えられる。僕らはそれを
有り難くいただくのみだ。

そういうモノの関係性に、納得いかない、というより満足できない
人って、少なくないと思うのですよ。

たとえば、こないだ僕はtwitterで、ディズニーランドはハノイ中秋節だ、
って書いた。女の子がアタマにかぶりものをしてるし、って。

けど、ディズニーランドとハノイ旧市街の中秋節が明らかに異なるのは、
ハノイ中秋節では、こちらから誰かに対してアクションを起こさなければ
なにも始まらない、ということ。ディズニーランドの場合は、同じような
ところもあるけど、でも根本的には、サービスはあらかじめ用意されて
いる。満面の笑顔とともに。

それがなんというか、物足りないのだな。
スリルがないというか、予定調和というか。

って、ダラダラ書いててもしょうがない気がしてきた。(笑)

べつに、これっぽっちも、ディズニーランドが好きな人たちのことを
否定するつもりは、まったくない。人それぞれだから。
僕には合わないと思うだけで。

あと、これも批判じゃないけど、ディズニーランドって中高生が遠足で行くには
金がかかりすぎませんか。
変なかぶりものが2500円とか、プラスチックの容器入りのポップコーンが
1500円とか。
僕は貧乏な家庭で育ったので、え、貧しい家庭の子どもはどうするんでぃ、
悲しい思いをしないといいな、とかつい思っちゃうんだけど、時代は変わった
のかな。
わからんけど。
米国からの巨大な文明押しつけ&収奪装置じゃないかとも思うけど、
そんなことはどうでもいいか。

出銭~ランドともいいますよね。
まあ、夢の王国ですからね。(いみふめ)

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0712/251049.htm
「ディズニーランドが苦手な私」(発言小町)