11月14日(金)つづき ルアンナムタ(ラオス)

ルアンナムタに着きました。宿に落ち着き、インターネットカフェでメールを確認し、
中華料理屋でメシを食い、博物館を見、日帰りトレッキングに申し込みに行って、
明日はないよ~、とさわやかに言われて、帰ってきました。

3日後なら予定あるけどね。ところで君、何人グループ?って聞かれて、

only me…って応えて。

あと3人集まればOKなんだけどなぁ、っていうので、

今日このあと申し込みに来たりしない?って聞いたら、
まわりにいた人たちも口を揃えて、しない、しない、って。

あ~あ、ラオスに住んでる少数民族の方々と、僕は会うことができないのか??
所詮縁がなかったということか。

どうしましょ。明日一日、ここでのんびり過ごして、それで国境を越える?

あ、いまいい考えが浮かびました。明日の早朝、市場へ出かけ、少数民族の人たちの写真を撮って
そのうえで、明日この街を離れるか、もう1日滞在するか、それを決めましょう。そうしましょう。

言葉で大事なのはリズムだよ。だって、文字が生まれるずっと前から、言葉(たとえば日本語)は、
いまのカタチを整えていたわけだから。文字面とか意味内容とかよりもずっと、リズムが大事。
歌を歌うのと、一緒なんだよ。だからきっと、歌が上手い人は、文章を書くのも上手なんじゃ
ないだろうか。って、いま急に思ったことだけど。でも、確かに、その人の歌う歌い方と、その人の
書く文章って、なんとなく、共通点があるような気がする。まぁ、同じ人の為す行為なんだから、
同じと言えば、そりゃそうなんだろうけど。

なんの話だっけ。あ、そうだ。そうそう。今日はまだ、写真はまったく撮ってません。
もうすこし日が傾いてきたら、また街に、出ましょうかね。考えてみたら、インターネットへのアップは
夜でもいいかな。

いまさっき、ネットカフェに行って、2日分のJoiのテキストと写真を、アップして
きました。なんか、一日遅れで届く離島の新聞みたいな感じですね。

明日、やっぱり午前9時のバスで国境へ向かうことにしました。
その前に、6時頃、街のはずれの市場へ、写真を撮りに行ってみようと
思います。

今日も下見に行ったのですが、うーん、どうでしょう。
朝の活気がある時間帯なら、写真を撮っていても、あんまり逆に
目立たないかな。

ルアンナムタは、想像以上に何もない街です。
少数民族の村へのトレッキングがだめってことで、かなりモチベーション
下がってます。

ホントは、ここから北西のムアンサイという街へも、出かけていこうと思っていたのですが
中国国境へ向かうのに、この街を再び経由しなければいけないということで、それはちょっと
と考え、断念しました。荷物の多さにも、すこ~しずつ、辟易しはじめています。(笑)

いま夜の7時半。寝るのには、さすがにまだ、早いですよね~。(笑)

さっき、そういえば、ネットカフェで、日本人の女性を見かけました。旅行者ですね。
研究者とかいうよりも。彼女一人で旅してるというのは、やや考えにくいので、彼氏か
誰かと一緒に旅行中で、たまたまひとりでネットカフェに来た、というところでしょう。

まぁ、私がいろいろ詮索しても、何も始まらないのですが。(笑)

今日はこれと言って、なにも写真、撮れてません。ごめんなさい。
1か月半も旅行してたら、そういう日もあっても、いいですよね。ごめんなさい。

なんかいきなりだけど、何を撮っていいのか、分からなくなってきた。
元気に遊んでる、子どもの姿? 美しい異国の美少女? めずらしい景色?
う~ん、どうなんだろう。。

やっぱ写真って、1日、2日いて、ぽん、と撮れるもんじゃないですよね。
篠山紀信さんが、いまは亡き星野道夫さんと、NHKの番組で話してた内容
僕は全部覚えてますよ。ビデオ10回以上見ましたから。

星野さんは、大学在学中、アラスカに行きたくて、ある村の村長さんに手紙を書いたんですね。
そしたら、忘れた頃に返事が来た。ぜひ来なさい、と。
そして一夏をアラスカの村で過ごして、彼はすっかりアラスカの虜になってしまった。

そして思った。アラスカに住みたい。
アラスカに住むためにはどうしたらいいか。そうだ、写真をやろう。(笑)

いや、ホントの話ですよ。

篠山さん、それを聞いて、こう言ってました。

写真を始めたことについては動機は不純だけど、
アラスカを思う気持ちは純粋だから、いいんだよね、って。

僕もそう思います。

写真家は、自分が向き合う対象を見つけたら、それこそ一生かけて
それを撮り続ければいいんです。そんな気がする。

星野さんの撮られた動物たちの写真が、ほかの動物写真家の写真にくらべて
ぜんぜん違っているのは、たぶん、アラスカ、そしてそこに住む動物たちへの
愛情が、ほかの動物写真家たちの、被写体に対するそれにくらべて、圧倒的に
大きいからなのでしょう。

そうとしか思えません。もし違っていたら、ごめんなさい。

だれかに何かを言われて始めたことでも、誰かに褒めてもらいたくて始めたことでも、
ない。自分がこれだと思って、ただひたむきに、その対象と向き合い続けた、
ただそれだけです。

そんなことを、ここルアンナムタの地で、思いました。

明日はいよいよ中国です。日本に住んでるのに、なんで雲南のいちばん下から中国入りしなけりゃ
ならないんだ、という気も若干しないこともありませんが、まぁ、それはそれとして。

景洪の町というのは、どのくらい大きな町なのでしょうか。
たまには、ホテルの部屋に電話があると、うれしいなぁ。あと、ホットシャワーとね。(笑)
風呂桶なんて、贅沢なことは言いませんので……。

でも、あと1日か2日、ビエンチャンにいてもよかったね。
そうやって考えると、旅っていうのは後戻りできないものですね。
人が人生に喩えたくなるのも、分かるような気もする。(笑)

どっちも、そんなに大袈裟なもんじゃないですけどね。

僕は、世界旅行記とか、ウェブでやってる人、どうしても馴染めないのは、
なんかとてつもない大偉業を成し遂げつつある、というふうに、彼が思ってる
んじゃないかというにおいが、なんとなく、するんですよね。英雄気取りというか。
みんながみんな、そうではないのでしょうが。

ぼくはテレビの猿岩石とか、まったく見てないので知らないんですよね。
彼らが元祖、というか、みんな彼らの真似をして、ウェブで展開してるんでしょうか。
どうなんでしょう?

いや、でも、あるライターさんも書かれていましたが、長期間の旅行をする、いわゆる
バックパッカー、ぜんぜん褒められたもんじゃないですよ。すくなくとも、その期間は
仕事をしてないわけだし。まともに会社勤めとかがつとまらないヤツに限って、旅に
出たりするわけですよ。(笑) 金満先進国のモラトリアム青年が、貧乏旅行なんて
いいながら、現地の人たちの収入の何倍ものお金を、毎日使い続けるわけじゃないですか。

ほんとにねぇ、救いがたいですよね。

いや、救いがたいというか、自分たちの存在が、どういったもんなのかを、正確に
把握しないとダメですよね。すくなくとも、あんまり人のためにはなってない、いや
逆に、むしろ、いろんな人たちにものすごく世話になってる、施される側に自分は
いるのだ、という自己認識……。

な~んて、あんまり人のことをとやかく言える立場じゃありませんが。(爆)

僕の紀行文の(究極の)お手本は、宮本輝さんの『ドナウの旅』、それから、
『ひとたびはポプラに臥す』、です。ものすごく僭越なのは、百も承知で書いてますが。

輝さんの場合は、どちらも同行者がいらっしゃって、彼らとのやりとりが、かなり
大きなウェイトを占めているように感じますが、僕の場合はひとりなので、つねに自分と
対話し続けなければなりません。なかなかつらいっす。スギちゃんでも連れてくれば
よかった。(笑) ニュースや特集に逐われていて、無理か。(爆)

まぁ、いいや。こんなことを書くと叱られますが、会社勤めをしていたのが
すごく昔のような気がします。たぶんきっと、僕は二度と通勤定期というモノを
持たないでしょう。なんかそのことが、すごくすごいことに感じています。

今月の3日あたりでしたか、定期が切れたスイカを、駅の窓口に持って行ったんです。
これ、定期ナシのスイカに変えてほしいんですけど、っていうと、窓口のおねえさん、
そのままでも、チャージしていただければ使えますよ、って曰う。なので、そのまま
使っているのですが、改札を通るたびに、定期が切れてます、ってメッセージが出るんだよね。
プーになったわたしに対しての、いやがらせのつもりか?(笑)

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