2001年9月

日記

●平成十三年

・9月1日(土)

昨日の新宿の火災は、会社に行くとき、キヨスクの夕刊紙の見出しで知った。

新聞社のウェブの「亡くなった方々」のページを見ながら、一人一人のお名前を
心の中で、何度も声を出して読んでた。

・9月2日(日)

昨日は仕事が遅くなり、同僚のS女史と深夜にタクシーで帰宅。
そのときに、彼女がふと言った言葉。「○○さん、彼氏いますよ」。

そうなんだ。なるほど。それからS女史を作草部のサイゼリヤに拉致し
2時間あまりにわたって周辺取材を敢行。

そっかあ。金曜日も休んでたみたいだもんなー。彼氏と中伊豆あたりに
お泊まりで旅行かしら。夏の終わりを惜しむように。

それとも、仕事のしすぎで体調をくずしてしまったのかなぁ。
大好きなグレープフルーツで元気になってくれるなら、何百個でも送るのになあ。

っつーか、おれがグレープフルーツになりたい。(x x)☆\バキッ

ノートの調子がいちじるしく悪い、っていう話、書きましたっけ?

だもんで、何年かぶりに、デスクトップが私のファーストマシン?の座を
奪還してる状態。2年ぶり、かな。ThinkPadを買って、ちょうど2年に
なるから。前に母と二人で住んでた、3DKのアパート、フローリングの部屋で
尻を冷たくしながらネットしてたのを思い出す。ちょうどKwonちゃんに
初めて会いに行ったころだね。2年前の冬。あれ?3年前になるのかな。わからん。

最近の私のbgmは、ずっとキロロのアルバム「好きな人」。表面が金色の
書き込み可能なCDディスクが、AIWAの安いCDラジカセで鳴ってる。

キロロ、いいよなあ。ホント、この人たち、いいっす。

こないだ養老渓谷で撮った、某F市立高校1年の恵ちゃんの写真を
写真雑誌の読者コンテストに投稿しようと思い立ち、被写体である
某F市立高校1年の恵ちゃんに、メールでお伺いを立てた。

いい?って聞いたら、べつにいいけど……、って。

それはいいんだけど、写真送ってくれるって言ってたけど、ぜんぜん届かないんだけど……。
ケイタイからの短いメールの文章で、彼女の静かな怒気が伝わる。

うわ、まずい。すっかり忘れてた……。やべえ、やべえ。。。

いや、ホントは忘れてた訳じゃないんだけど、いろいろあって、送るのを先延ばし
してたの。ま、これ以上アレしててもアレなので、さくっと送りましょ。

投稿するカットを選ぶついでに、彼女に送る写真もセレクトして、サービスで付いてくる
コンタクトプリントのコマの下に、マジックで黒丸をつけて。

明日あたり、郵便局へ持っていきましょう。遅くなってゴメンね~。

そだ、昨日野田ちんのホームページを見たら、テキストが1か月ぶりに更新されてた。
文字もうんと小さくなって、いっぱい書いてあった。最近見た映画の感想。そうそう、
もっとがんがん字を書いたほうがいいよ。そうして言葉の限界に突き当たれば、自ずと
写真への愛も高まるから。……ホントかな?

新しく編集部にきた女性の、お父様の遺作の写真集も、みせてもらった。私は知らなかったんだけど
けっこう有名な人だったらしい。巻頭言を、なんと植田正治さんが書かれており。ぶっとんだ。
植田さんも、亡くなってしまったもんなあ。

アサカメで子供の写真の特集をしてたから、何か月かぶりに、自分で買ってしまった。
やっぱり、井上孝治さんの写真は、いいなぁ。

話がソれまくってますね。いまトイレに2分25秒くらい入ってて、そこにあった
アサカメ9月号をぱらぱら見てて思ったのですが、この夏、私の写真に一大改革が
起こったんですよね。具体的にどうこう、という話は、いまはしないけど。
それはどうしてかというと、いろんなおねえさんを少しずつではあっても撮らせてもらった
こととか、ハッセルを夏の小川で泳がせてあげたこととか、そういうことひとつひとつに
つながっていると思われ。

いまほしいのは、CONTAXかライカM型のマウントの28mmレンズかなぁ。
ずっと使ってるコダックのデジカメが、そのくらいの焦点距離からのズームを積んでて。
すっかりこの画角のとりこになってしまった。とりこというのは大げさかなぁ。
いやでも、私の常用画角の35mmとはまるで違う広角表現。人とまわりの風景との
バランスが、35mmと28mmじゃあ、まるで違うんだよねぇ。私にとって35mmは
目の延長上、標準レンズの趣だけど、28mmは、しっかりした広角、という感じかな。
28mmの単焦点レンズって持ったことがない。むかし、南房総に住んでるカメラマンの
Oさんが、ツァイスの(CONTAX用の)28mm F2.8は、いいレンズですよ~、
っておっしゃっていたのを、ずっと覚えてて。いつか買おうと思ってる。

 ご本人からのメールによると、南房総のOさんのお気に入りは28mmではなく
 25mmだそうです。関係各位にご迷惑をお掛けいたしました。謹んでお詫びいたします。(笑)

あと、そうだ、キヤノンの50mm F1.8も、買わんといかんなぁ。どうもうちの編集部、
キヤノンの最新型デジタル一眼レフが、私に使われるのを待って、ずっと棚の中で
スタンバってるらしく。

なので、50mmレンズでもつけて、街ゆくお姉さんをがんがん激写しちゃおうかなぁ、
なんて。ズームはキライ。新聞社にいた5年間のあいだに、一生分のズームは、使い果たして
しまった気がする。いま一眼レフでズームレンズを使うのは、1年にいっぺんくらいかなぁ。
結婚式くらいしか、ズームを使わずに済ませられないシチュエーションを、僕は思いつかないよ。

あ、上に書いたのは一眼レフの話ね。デジカメだと、ズーム付きでも、ま、いっか~、という
気持ちになるんだよね。ズームがついてても邪魔にならないし。ま、使ってるのは電源を入れた
直後にセットされる広角端ばっかり、という噂もあるけど。親指操作のズームレバーは、
タルいだけです。タルすぎます。

なんの話でしたっけ。「のど自慢」見てました。(笑)

そろそろ起きようかなぁ。なんか今日もハッキリしない天気ですね。ふー。

・9月4日(火)

今日はこれから、新宿へ行って牛腸の「Self and Others」と、
ハッセルの80mm用のフードを買ってこようと思っている。

あ、会社へも、行きますよ。そのあとね。今日は会議があるから、休むわけには
いかない。新しい企画をいっぱい通さないとね。(^^)

こないだ書いた、撮影ネガに写る派手な斜め線、あれはいわゆるひとつの
「内面反射」ではないか、という(仮の)結論に達し。

で、フードを買うことにしました。そんなに高いもんじゃないしね。

あ、あと、牛腸のSelf and Othersは、3月に沖縄に行ったときに
優子ちゃんにプレゼントしてしまったので、てもとにない。のね。

巻末の(たしか巻末だったと思うけど)、政治学者のフロム(だったっけ?)の
引用が、最近とても気になりだしはじめ。←意味カブってる?

たしか、もう一人の人間の存在ほど……、っていう。

しゃしんをやる人、これからもやり続けようと思っている人にとっては
ものすごく示唆的な台詞。いままではあんまり気にも止めてなかったんだけど
この夏、いろんなことがあって、もういっぺん正確になんて書いてあったか
確かめたくなったの。

牛腸のSelf and Othersを買うのには、もう一つ、理由がある。

ほら、急に写真集をあげたくなる相手が出てきたとしても、てもとにないと
あげれないでしょ?(笑)

そういう相手がいまいるかどうかは、別問題
だけどねぇ。(涙)

・9月5日(水)

リンク集というものを作らない。という話は、前にしたことがあると思うけど……。

リンク集って好きじゃない。だって、何十もサイトをピックアップして、そのすべての今後に
私、悪いけど、まったく責任を取れない。自分がいいな、と思えるように、そのサイトが発展して
いくとは、とても思えない。

だから、リンク集というものを作っている人を、すごいなぁ~、というか、う~ん、オレには
でけへん(ばたっ)、という感じで、尊敬のまなざしで、見てた。いや、ホント。

でも、最近、少し考え方を変えたのね。というのは、どういう訳か、私のこのホームページ、
写真家の方とか、写真学校のゼミとか、デジタル散歩写真家の第一人者の方とか、今後を期待される
横浜在住の女流デジタル写真家とか、さまざまな方々のサイトから、リンクしていただいており。
本当にありがたいことであるのだが。m(_._)m

そういう方々のページのリンクを辿って、僕のページに来てくれる人たちも、アクセスログを
見る限り、ずいぶんと増えてきており。

リンクしてもらって、こちらからリンクしかえ(?)さないのは、あるいはマナー違反なのかな、
ってずっと思ってた。けど、うちのサイトにはリンク集ないし~、なんてごまかして、なんとか
やってきた。どうするのが、一番いい形なのかなぁ~、と、いちおう、私なりに、ない知恵を絞って
考えてみたり、したり、するわけで。

結論としては、時限リンク集。そういうことにしました。リンク集、ただし、毎月更新、みたいな。(笑)
更新、というより、刷新、一新、こっちだね。先月リンクしてたからって、今月リンクしてるとは限らないよ、
お互い、恨みっこなしで行きましょうぜ、という感じかな。ウェブって、もともと、そういうモンでしょ?

場所としては、う~ん、月々の日記のトップあたりが、適切なのかなぁ? あるいは、リンク集という
ページを作って、毎月ばっさり新しいファイルに更新するか。そっちがいいか。

なんか、今月の日記は、小倉の試行錯誤の遍歴を、読者の皆様に開陳するカタチに、結果的に
なっていますねー。(笑)

わろーてるばあいじゃないっっ。今日も南新宿へは行けなかった。牛腸の『Self and Others』
買えなかった。(涙) せっかく、写真集をあげよっかなぁ、と思ってる、第一候補のおねえさんと
会社のエレベーターで、ばったり会ったのに。

この人とは、実は、エレベーターでばったり会うことが多い。運命的なものを感じざるを
得ないのだが。(x x)☆\バキッ

今日も小倉は、少し遅れて出社。いつものように2Fでおいしくないキリンの『聞茶』(ききちゃ)を
Getしてから、もういっぺんエレベーターに乗って4Fに向かう。4Fに着いた瞬間、勢いよく
エレベーターの箱を飛び出したら、見たことがあるおねえさんがそこには立っており。

ありり??? はてなマークをいくつか連ねた頃、もしかして、ここは3Fなのではないか?という
仮説を打ち立てることに成功し。その仮説は、ほぼ真実であるのであろう、という最終結論を
導き出すには、そう時間は掛からず。

なんの話でしたっけ?

忘れた。あ、そうそう。4Fだとおもっていたら、3Fだった、という話ですね。

あわてて、エレベーターの箱に戻り、息を整え。

元気ですか? あ、そうですか? どうして上に向かっているのですか? あ、身体検査ですか。
え? 身体検査を7Fで行うのですか? あ、なるほど、7Fの同僚と一緒に身体検査会場へ
向かうのですね。ここまで会話を交わし、僕が胸囲を測ってあげましょうか、というギャグを、
のどちんこのすぐ手前で、あわてて飲み込んだ。巻き尺持ってなかったし。

少し痩せたんじゃないですか? その台詞を僕が吐いたとき、自分のなかにどれだけの計算が
あったのだろう。
どうだろう。自分でも、わかんないや。(笑)

え、そんなことないですよー、というまっとうな答えを引き出し、じゃあ、また、という
彼女のA型チックな最後の台詞を後にしながら、今日の戦場に突入していった、私。

・9月6日(木)

さみっ。もう冬だねぇ~。マキハラを思い出すね。

そんなことはどうでもいいのだが。

5日の私は、起きたら風邪ぎみで。そらそーだよな、寒い和室で、Tシャツとトランクスで
ひたすらパソコンに向かってるんだもん。ビールを1Lくらい飲んで。(笑)

で、ちと休んでから、一念発起して、布団を抜け出し。愛機のハッセル君と1日だけの恋人(笑)
C-3040ZOOM君を携えて、新宿へ向かった。

最初の目的地は、京王百貨店。中古カメラ市の最終日。去年、私が先代の(笑)ハッセル、
503CXを買ったところ。今回は、500C/M君についてるC80mm F2.8の
フードを見つけてあげようと思って。いくつか目に付いたんだけど、値段高すぎ。晋作。
たかがフードに、なんで2万円も払わないかんのよ?? あほかっつーの。自作するか。(笑)

で、京王百貨店7Fの催事場をさっさと後にし、次はヨドバシカメラのパソコン館?へ
向かった。階段を2Fへ上がり、プリンタ用紙コーナーへ。今回の特集で使う用紙の
パッケージを、撮影用に購入。6種類。なんか、用紙コーナーとかって、ちゃんと足を踏み入れたの
初めてかも知れないけど、なんともいえない雰囲気が、あるね。だいいち、あんなにいろんな
プリンタ用紙があるの、私知らなかった。かなりカルチャーショックを受けた。それも、お客さんが
いっぱいいてさ、ざくざく用紙を買っていってる。かなりびびった。

その次の目的地は、マップカメラの中古を扱ってるお店。地下1Fのビンテージカメラ売り場?へ
足を運ぶ。結構、ここ、最近通ってるかも。もちろん、ハッセルのフードを探しに行ったのだが。
あんまりいいのがなくて、すぐに退散。

そのあと、南口の交差点を過ぎ、新南口を通って、紀伊國屋の南新宿店(だっけ?)に向かう。
途中、3040でアベックなんかを激写しながら。高島屋は本日全館休館です、なんて看板を
横目に見ながら、ずんずん歩いていった。

そしたらさー、紀伊國屋も、休みでやんの。ショックで毛~。??? そうそう、鳥肌が立つほどの
ショックを受けた、という意味ですね。ショックで毛~。これいいな、はやらせよう。

それはそれとして。

えっと、明日、南新宿の紀伊國屋で購入を予定している写真集一覧。

・牛腸茂雄著 「Self and others」
・横木安良夫著 「サイゴンの昼下がり」
・齋藤亮一著 「ゆるやかなとき」
・ミーヨン著 「I was born ソウル・パリ・東京」

あとなんだろ。気になったモノ、数冊。

あ、すべて仕事がらみです。僕の写真生活、プライベートはありません。(笑)

今日、会社に来る途中だったか、NHKのFMから、ぺドロ・アンド・カプリシャスの
「ジョニーへの伝言」が流れてきて。歌詞をかみしめながら聞いてたら、これって
いい曲だよねぇ。さっそく会社で算段をつけて、ずっとパソコンで聴いてた。

歌詞がさぁ、大人だよね。阿久悠やっぱ、いいよ。一時代を築いた人だけあるね。うん。

そのあと、「五番街のマリー」も算段つけて聴いてたんだけど、こっちもいいっす。
曲もいいけど、やっぱり歌詞がいいよねぇ~。なんだっけ。

マリーという娘と 遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街でうわさをきいて もしも嫁に行って
今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい

じーんと、くるよね。阿久さんも、きっと、遠い昔に、ある娘と一緒に暮らして
きっと悲しい思いをさせてしまったんだね。なんか、痛いほど、わかる。
分かる気がする。

ジョニーへの伝言、にも、こうある。

ジョニーが来たなら 伝えてよ
二時間待ってたと
わりと元気よく 出て行ったよと
お酒のついでに 話してよ
友だちなら そこのところ
うまく伝えて

すごいよね。なにもいうことなし!(野田ちゃん調)って感じでしょ。
2時間待ってたと、っていうのが、単に語呂合わせだけじゃない、2時間、っていう
絶妙なリアリティが、ぐっとくる。友だちなら そこのところ うまく伝えて
っていう、ちょっと姉御調の言い回しも、すごくすごく、効果的だと思う。
きっぱりした物言いが、さびしさの裏返しとして。

なんで歌の歌詞をかみしめて、いろいろ書いてるんだろ。

・9月6日(木)

締切が近くなり、今月初めてのお泊まり。♪嬉し恥ずかし朝帰りっ、もできない。(涙)

今日はいろいろいろと、落ち込むことが多かったので、啄木の「秋の風吹く」で
終わる歌をいくつか紹介して、それで日記に替えよう(笑)と思っていたのだが、
ある友達からケイタイに掛かってきた電話で救われた。ありがと。

引用しようと思ってた啄木の歌。せっかくだから、載せておきます。

「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答

わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ

実務には役に立たざるうた人と
我を見る人に
金借りにけり

みんな好き。こうやって、自分のもやもやした感情を31音という
形式に押し込めることによって、自分をうんと客観化できたんだろうな。
だって、声に出して読むだけでも、気分がすっとするもん。何十年を
経たあとでも。ありがと、啄木さん。

その人に、ホームページに写真を載せたよ、って言ったら、うそでしょ!?
サイアク~、っていきなり電話口で怒られた。えー、時期が来たら載せてもいいって
言ってたじゃん、っていうと、そんなこと言ってませんよー、って。

うわ、ショック。うーん、最近の超人気コンテンツだったのになー。

でも、あとからメールが来てね。
ホームページ、見てくれたみたい。メールの最後には、

いいですよ。載せたままで

って書いてあった。

この人からプライベート(仕事以外)でメールをもらうのって、
もしかして、初めてかも。予想どおり、いい文章を書くなぁ。ふふ、やっぱ
人柄って文章に思いっきり表れるもんだね。

この人とは、私の遅めの夏休みに、一緒に写真を撮りに行く約束をしてる。

すっごく楽しみ。ひさびさに、プラナーの85mmちゃんとか、
ハッセル用の80mmくんとかが火を噴くのだなぁ。ふふふのふ。

前向きなこと、明るいこと、いいことばっかりを見るようにして
悲しいこと、つらいこと、さびしいことは見ないようにして、そうして
しばらくは過ごしていこうと思う。

なんつったって、僕は実務には役に立たざる撮り人だもんなあ。(笑)

あ、今日、南新宿の紀伊国屋に行って、予告どおり、
横木さんと齋藤さんと牛腸さんの写真集(横木さんのはフォトエッセイ集)を
買ってきた。横木さんと齋藤さんのは、期待に違わず、すばらしいもので。
牛腸の「Self and Others」は5か月ぶりに手もとに来た。
気になっていた最後のページの言葉、フロムじゃないよ。
政治学者のね、Erving Goffmanさん、

ある人間にとって世界を生き生きとしたものにするために、あるいは、
人がそこに身を寄せている現実を一瞥で、一つの身振りで、一つの言葉で
味気ないものにしてしまうために、もう一人の人間ほど効果的な作因
は存在しないように思われる。--『経験の政治学』(みすず書房)より

でした。ちなみに『経験の政治学』の著者は、イギリスの精神医学者
R.D.レインだそうです。

「Self and Others」のページを繰ると、懐かしい人たちが
おんなじ笑顔で僕を迎えてくれた。みんな、ひさしぶり。元気だった?
そんなふうに心の中で話しかけてた。

齋藤亮一さんのホームページ(http://www.saitoryoichi.com/)によると、
「ゆるやかなとき」は、なかなか置いてくれる本屋さんが増えなくて、苦労しているみたいだなぁ。

ったく、こんなすばらしい写真集を、何十万人、何百万人の人たちが
諸手をあげて祝福しないなんて、日本っていう国は、どうかしてるぜ、まったく。

僕も彼のように、田舎の国へ行って、出会った人たちとふつうに話をして、
ふつうに写真を撮ってきたいなあ。

人間が何千年、何万年もの間、そうやってふつうに生きてきたように。

特集の作業が一段落したので、また会社で、書いてます。
おはようございます。

齋藤亮一さんの「ゆるやかなとき」を、また見てました。

こんな光は日本にはない、こんな穏やかな笑顔との出会いは、日本ではあり得ない、と
何度も何度も心の中で反芻してた。ちくしょー、ちくしょー、って。

何度か書いたと思うけど、私の中で、中央アジアへの憧れは、いつのころからか
カタチを持たぬまま、ずっとずっと膨らみ続け。

そうだ。中1のとき、そのころ大好きだった船沢優子ちゃんとかと、地図帳を開いて
よく地名探しをした。たぶん、そのころから、どういうわけか、「ソ連」の真ん中の
下のほうにある小さな国々に、わけもなく憧れてた。タシケントとかサマルカンドとかって
地名を口にしながら、遠い遠い、どんなところか想像もつかない異国の街に、思いをはせてた。

市ノ瀬泰三がなんでアンコールワットを目指したのか、まるでわからん、って、
どこかの映画の感想を書くサイトにあった。「地雷を踏んだらサヨウナラ」の感想。
まぢょ?って、かなりびびった。そんなの、行きたかったから、に決まってるでしょ。
なんで行きたかったのか、って? そりゃああんた、昔々、その場所ですてきな思い出を
たくさんたくさん作ったからでしょ。いろんなおねえさんと恋に落ちて、ときには
おねえさんをひどく傷つけたりして。おれはそう思うね。市ノ瀬の気持ちが、おれには
痛いほどわかる、気がする。

ゆるやかなとき、版型が前の写真集より大きくなって嬉しい。モノクロ写真のすばらしさを、
胸いっぱいに呼吸させてもらった。ひさしぶりに。この人たしか、中判のカメラを使ってるんだよね。
なんだっけ、ペンタックスの6×7あたりだったかな。

うちの雑誌にも登場してもらいたいのは山々なんだけど、デジカメはいかがですか?って
聞くのがはばかられる。

そうだ。アラーキーがさ、9月号の「子どもの写真」特集でインタビューを受けてたね。
やっぱり彼、いいこと言ってた。いわく、

最近は写真家で女撮ってないヤツはだめだって言ってんだけど。なんでこんなすばらしいものを撮らないか。
若いやつなんて、半歩下がって風景ばっか撮ってるでしょう。「これで君、快楽ある?」って聞きたいよ。
「写真は快楽だろう」って。生きる喜びでしょう。それがないんだよねえ。

もうひとつ、

井上孝治さんの写真もすばらしいねえ。ろうあの人なんだろう?(中略)やっぱり子どもの写真は
子ども心、純真な気持ちを失ってるやつには写らないね。子どもに見抜かれちゃうんじゃないの。
世の中とか子どもに対しての打算とかをさ。根本は愛ですよ。

「井上孝治さんの写真もすばらしいねえ」っていう言い方が、涙が出るほど、うれしい。
そう。写真っていうのは、普通の写真があって、ふつうにいい写真があって、そのうえに、
すばらしい写真っていうのがあるんだよね。それらを隔てるものは、やっぱり含有されてる
愛の量なんだろうな。

そうそ。もうひとつ、いい話があってね。今日、会社でのことなんだけど。

私があるおねえさんをもう撮らないだろう、っていう話を、私の秘書兼愚痴聞き役兼女友達の
S女史にしたら、即座に一言。

「おぐらさんは写真を撮る人でしょ」

って。打ちのめされた。負うた子に教えられ、っていうのは、ちょっと失礼かな。

けど、あ゛~、まさにこの人の言うとおりだ、と思った。

その台詞を浴びた瞬間、ビチアス海淵よりも深く、それよりもさらに深いチャレンジャー海淵よりも
深くふかく、我が身を恥じたのね。

けど、根っからお笑い芸人のオグちゃんとしては、やっぱ、なんか言い返さないと
くやしいので、

けど、おれは写真を撮る以前に、男だも~ん、人間だも~ん、

とおちゃらけてみたのでありました。どうだ。勝ったぞ。(^^)v

なんの話だっけ。あ、アラーキーね。彼もそのうち、うちの雑誌に引きずり込もうと固く固く
鉄よりも、ダイヤモンドよりも固く、決意しているのでありました。ふぁい。

・9月7日(金)

なんかオレの日記はアツイそうだ。いかがなものか、と間接的に抗議?お小言?をもらった。

ただ私、この、いかがなものか? っていう言い方、好きじゃない。

なんで好きじゃないかっつーと、意味がよく分からない。

なんだか他人事みたいな、自分を高みに置いてるみたいな、そういう冷たさを感じる。

いかがなものか? って、なんか、遺憾、とかに通ずる、慇懃無礼なニオイがすごくする。

ま、それはいいんだけど。

そういえば、今日、どっかの人から英語のメールが来た。おめえのこんな最悪のページは
見たくないから、とっとと失せろ!みたいな。すぐにゴミ箱に捨てたから、よく覚えて
ないんだけど。世の中には暇な人が多いよなぁ、というのが私のいまの公式見解。

いかがなものか、っていう日記だとか、とっとと失せろ(わかんないけど)とかって
感じるホームページを見てる時間があったら、もっと別のことに使えばいいのに。

おれ、興味ないものには、とことん興味ない。

読んでつまんないページは、絶対に読まないし。
どんな知り合いのページでも。ダメかしら、こういうのって。

読むに値する文章って、ホントに少ないと思う。

こういう、だれでもが好き勝手に自分の思いを世界に伝えるすべを手に入れられる時代、
玉石混淆であるからこそ、価値のあるものと、まるで無価値なものを、きっちり分ける必要が
あるのだろう。

もちろん、人によって、価値の置き方は、まったく違うけどね。

ある人にとって、ものすごく価値があるホームページが、別の人にとっては
一顧だにする必要のないページであったり。こういうことは、あまりにも当たり前のこと。

だから、ずっと前にも同じことを書いたと思うんだけど、別にこの私のページに
共感してくれないような人がいたら、ぜんぜん来てほしくないなあ。逆に、なんで
あなたはこのページにアクセスしてるんですか? って真顔で聞きたい。それこそ、
なにも興味もないページに来て、いかがなものかと思うよ。よー、わからんけど。

なんべんも言ってんだけど、イヤなら来なきゃいいんだよ。

ホームページってさぁ、見たい人だけ見れる、見たくないヤツは絶対に見なくていい、
そういった空間じゃないの??? 俺はそう思って、好き勝手なことを、ずらずら書いてるよ。
いつもいつもいつもいつも。違うの? もちろん、法律に思いっきり触れちゃったりしたら、
そら、すこ~しまづいんじゃないの~?とか、いちおう俺も常識人だし社会人だから、
そのへんはいろいろ、考えたりするよ。自分なりに、ないアタマで。

だからさー、なんべんも言ってるんだけど、イヤなら見るなよなー。

たのむよ。いや、まぢで。

いやなページをなんべんも繰り返し、見て、それで君の人生、荘厳できるの?
できないでしょ、じゃあ、来なきゃいいじゃん。(笑)

お願いだよ。俺、こう見えても、けっこう傷つきやすいのよ。(爆)

ま、それはそれとして。

今月はいまのところ、不調だなぁ。朝も全然起きれないし。このへんでネジをうんと
巻き直して、9月の後半には、好調の波を呼び戻さないとなぁ。このままのダメダメな
状態で、2001年を終わらせるわけには、いかんもんなあ。

あ、書くの忘れてたこと。こないだ南新宿の紀伊國屋に行ったって書いたけど
あのとき、もう一冊、小説を買ったの。「隊長ブーリバ」。いくつかの文庫を
当たったけど、見あたらなかったので、店内の情報端末で調べたら「外国文学2」の
コーナーにあるよ、って。行ってみたら、あるある。。。前からさがしてた、
辻昶さんの訳した「レ・ミゼラブル」とかも見つけて、かなりうれしい。
すごい純度の高い金鉱脈を掘り当てた感じ。

けど、最近若い人と話して思うけど、ホント、言葉をうまく操れない人が
増えたよねえ。驚くべきこと。人間はやっぱり言葉を使ってコミュニケーションを
取る生き物だから、言葉がうまく操れない人が増えてくると、国全体に、
コミュニケーション不全の危機が、訪れるよなあ。うーん、どうしたら、いいのかねえ。

しょうがないことなのかしら。もっと本を読んだり、友達と熱く対話したり口論したり
文章を戦わせたり、すればいいのに。まずは、うすっぺらい雑誌なんか読んでないで、
分厚い名作小説を読みましょう。

なんつーか、年齢的に大人になって何年もたつ人々に、それこそ日本語のいろはを
教えるという作業は、非常に徒労を覚える。むなしいというか。砂漠に、コップ一杯しか
ない水を撒くのに、似てるかな。

むなしさを覚えるページにはアクセスしない。それが基本的な鉄則やね。お互いに。(笑)

・9月8日(土)

例の、関西の高速道路で女子中学生が死んだ事件の犯人(容疑者)が捕まった。
どっかの中学校の社会科の先生だった。

・9月9日(日)

いろいろあるけど、頑張ろ。ね。(^^)

んと。明日から、10月号の総仕上げの一週間が、始まります。頑張ろ。

それが終わったら、遅めの夏休み。ぜんぶで10日くらい休めるのかな。前後の
週末も含めて。

どこ行こうかなぁ~。できれば、遠くへ、行きたいなぁ。外国とか。

いろんな女の子の写真も、いっぱい撮りたい。今年の秋は、撮影の秋、写真の秋、
ポートレートの秋、とシャレこみたいところですな。(^^)

っつーか、かならず、そうしてみせますことよ。

昨日の深夜、自宅のPCにWindows 2000をインストールしてるときに、
親友のマキからひさびさに電話があり。親戚のオバちゃんのひっでぇ話を聞いた。
傲慢なる者を力強く軽蔑せよ、だっけ。そんなふざけたヤツに、負けちゃダメだよ!
いざとなったら、俺が神奈川まで出向いて、直接、そのおばちゃんに話をしちゃるよ。
うん。

ここまで書いて、気がついたら、布団の上で気絶してた。

窓も開けっ放しで。台風15号の雨が、ときどき強くなったり、少しやんだりしてた。
その雨音を、意識の片隅で楽しんでた。雨が地面を叩く音って、いいなぁ。

「タマリンドの木」の主人公たちが、人間関係で悩んでいたのを思い出す。
男性の主人公のタカシ(だっけ?)は、一歩前に出なければいけないときでも、
なかなか積極的になれないのが自分の欠点だ、って感じているし、女性の主人公の
修子は、東京だと、前に進むべきか、引くべきか、その判断ができなくなってしまう、って
言ってた。どちらも、よくわかる、と思う。

僕個人のメンタリティとして、自分に興味を持ってくれる人には、僕も興味をうんと
持ちたいと思っている。こんな有り難いことは、地球誕生以来、ないことだし。ふふ。
けど、自分(わたし)にまるっきり興味を持ってくれない人、前には興味を持って
くれてたけど、すでに興味を失ってしまった人、飽きちゃった人、もしくは、過ぎて
しまった人(←このニュアンスは、ほぼ、飽きちゃった人、と同等だけどね)、などに
対して、僕のことをもっと思ってくれ!とか、僕はこんな楽しい男なんだよ、ほら、
とか、彼女たちの興味を引くことをしない。まるでしない。する必要を、どうしても
感じられないのね。それはなんでなんだろう。自分に自信があるから? いや、まるっきり
ないから、じゃないのかなぁ。

わかんないや。

こないだ月島でもんじゃを食べたとき、いつも非常にお世話になってる(よいしょっ!)
モデルの安藤さん、じゃなかった、ライターのOさんが、こんなことを言ってた。

小倉さんはよく、メル友に会いに行きますよね~。(この「よく」というのは、
頻繁に、という意味ではなく、大したもんだ、というニュアンス)

勇気ありますよね。僕は自分に自信がないから、自分では行かないで、来てもらいますよ、って。

ああ、そういう考え方もあるのね、と思った。

僕はどっちかというとせっかちだから、自分のできること、持ち玉をぜんぶ先に
出しちゃって、財布を空っぽにしちゃって、あとはどうぞ、ご自由に、って、
相手にぜんぶ任せちゃう。そのほうがワタシ的には、楽なので。

ダメならダメで、いいじゃん。

僕はよく、酔っぱらったときとかに、男と女は所詮、駆け引きだ、ということを
よく言う。これはまあ、誤解されたらいやなんだけど、でも、なんつーか、世界中の
男も女も、やっぱり少しでも自分に合った、そして、少しでも優れた異性をGet
したいと思ってる、っていうのは、事実だと思うのね。

ただ、ホンネの部分では、駆け引きを超えた、何かが、きっと男と女の間には
横たわっているんだろうなぁ、というのも、じつは感じてたりするわけで。

なにをだらだら、書いてるのかしらね。あ、もう8時半だ。そろそろ会社に行く
準備をしなきゃ。

あ、そうそう。こないだ沖縄のメル友に、9月に遊びに行ってもいいかなぁ?って
メールでお伺いをたてたら、なんか都合悪いみたい。来てくれるな、っていう
お返事が届いた。そっか。しかたないね。夏の沖縄の海を、見てみたかったんだけど。
しかたない。ひとにはそれぞれ都合ってもんが、あるだろうし。あるいは、
公開日記でおねえちゃんの話ばっかり書いてる私に、愛想を尽かしたというのも、
あるんだろうな、きっと。俺だったら、愛想尽かすもん。(笑)

そんなことで、こちらから短めのお返事を出した。

ひとにはそれぞれ、都合ってもんが、あるもんな。

それはいいとか悪いとかじゃない。しかたのないこと、かな。

僕は自分が歓迎されるところなら、どこへでも行くよ。
写真家の小林さんが、ギャラそっちのけで、プリント作業、少々自腹切っても
セミパラチンスクでの写真展を成功させたい、って思っていらっしゃるように。

あ゛? セミパラチンスクじゃない? どこでしたっけ。イルクーツク。ちがう?

えっと……。あ、ノボシビルスクだ。そうそう。ノボシビルスク。いま地図帳を
持ってきた。えと、あ、あった。西シベリア低地の南東。カザフのそばなんだね。
近くにはクズネツク炭田とか、ケメロボとか、あるね。きっと北朝鮮の彼は、
このあたりもゆったり通過していったんだろうねえ。インターネットに夢中だという
彼、もしかしてjagabata.comにアクセスしてた、頃かもね。ふふ。

前にも書いたこと、あるかもしれないけど、わたし、自分の身のまわりに、辞書と
地図帳は、ぜったい置いておくことにしてる。そうね、2分以内に手にできる場所に
ないと、かなり気分が悪くなる。文章書いてるとき、この言葉の使い方は、これで
合ってるのかな?って確認したり、あるいは、何かの(ラジオとかね)話に
地名が出てきて、それはどこなんだろう、って思ったりときに、すぐに
調べられないと、死ぬほどいやなのね。

えと、なんの話だっけ?

あ、そうそう。いままでいろいろ、
どうもありがとうございました、ってことかな。

誰に言ってるのか、って? もちろん、沖縄の優子ちゃんに対して、だよ。(^^)

ほんとに楽しかったよ。うん。

雨が降る日はハッセルはお留守番。

雨音を、小さなバッグのなかで耳をそばだてながら、どんな気持ちで
彼は聞いてるんだろう。また外に出してもらって、美しい光を、胸いっぱいに
吸い込める日を、いつかいつかと、待ち望んでるんだろうな。いや、ふて寝してる
ころかな。三脚立てて、レリーズつけて、なにを撮らせてもらえるんだろうな、って
期待してたら、酔っぱらって寝っ転がる、ご主人様の赤い顔、ばっかり撮らされて。

かなり怒ってると思うよ。ごめんねー。(笑)

さ、いろんなことを、はじめよう

・9月11日(火)

そんなことをして、世の中が変えられると思ったら、大違いだよ。
世界貿易センタービルに突っ込んだテロリストのやつら。

ほんとバカ。バカとしか、言いようがない。頭に来て、頭に来て、
仕事が手につかないよ。

おらぁ、絶対に、お前らのことを、許さないぞ。死ぬまで、
お前らみたいなヤツらを殲滅するために、そのためだけに死に物狂いで戦うぞ。
ちきしょう。ばかやろー。

今回の無差別テロの犠牲となったすべての方々に対し、心の底からの哀悼の意を
表します。あなた方の死を、決して無にしませんから。絶対に、絶対に。

・9月14日(金)

隊長ブーリバ、読み終わった。

ストーリーは、聞いて知ってた。

コサックの隊長と、二人の息子のドラマ。長男と、次男と。

(この項、続く)

・9月16日(日)

オグラ的には、夏休みモード。明日は会社に行くけど。

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、途中まで見てました。

あのあと、いろいろ考えてたんだけど。

過剰な報復はいけない。その前に、報復という言葉がいけない、と思う。

左の頬を打たれたら、右の頬を差し出せ、なんて偽善的なことは言いたくない。
最悪のテロリストを許すことは、絶対によくない。

かといって、怒りにまかせて、無関係な「敵の市民」まで巻き込んだら
それこそ自分がテロリストに、なっちゃう。

なにを書こうと思っていたのか、すっかり忘れた。

(この項、後ほど。)

昨日だったか、一昨日だったか、クルマを運転してたら、ケイタイが、「ぴぴっ」と
短く鳴り。なんじゃろ、と思って、クルマを止めて、ケイタイを確認したら、留守電の
メッセージが入っており。会社の同僚のある女性からで。

で、彼女のケイタイにかけ直したら、ひとつ、お願いがある……、と。
それを聞いて、ピンときた。

案の定、小倉のホームページにある写真を、
一時的に見えないようにしてくれ、という……。

そっか。やっぱりなぁ。

話を聞いたら、ある同僚と飲んでたら、小倉のホームページの彼女の写真のことを
彼が言い始め。それを聞いて、ぶっとんだ、と。

なんか今日、うまく書けないね。ビール飲み過ぎか?(笑)

けど、あなた、写真って、そういうものよ。

永久に削除せよ、って言われるかと思ったんだけど、一時的にリンクを外してくれ、
っていうようなリクエストが来た。それでいいの? ほとぼりがさめた頃に、リンクを
復活させても、いいのかしら。

テロの次の日。夕方、会社のエレベーターホールに立ったら、南の空が
淡いサーモン色に染まってた。持ってたデジカメで、何枚か激写。

そのあと、メシを買いに外へ出たときに考えてたこと。

テロリストの奴らへ。おまえら、アメリカの政治と経済の中枢を崩壊させて
さぞかし気持ちのいいことだろうよ。けど、けど、けど、おまえらがどんなに
がんばっても、夕焼けのあのオレンジ色を消すことはできないし、それから、
人間の体を流れる真っ赤な血の色を、青とか緑に変えることもできないだろう。
ばかめ。

深呼吸しながら、13世紀の日本の大聖哲の言葉を思い出してた。いわく、

「大悪おこれば大善きたる」。

そうだ。史上最悪のテロがアメリカの中心部を襲ったからには、アメリカは、
そして世界は、善へと、恒久平和へと、歩み始めるに決まってる。いな、
そうさせないと、ならないんだ。

テロの起こる何日か前に、現代社会の最高峰の哲学者が、自由とは……、という
話をしていたことを知った。サンマリノ共和国の古い言葉を紹介して。

「自由とは何者をも恐れぬことだ」

かなりズドンときた。そうか。自由とは、何者をも恐れぬこと、なのか。

なるほど。いわれてみれば、そのとおりだ。

そうか。そうか、そうだったのか。

すごく目の前がグンと開けた気がした。

よぉし、明日からの一週間は、写真週間に勝手に決めた。毎日カメラを持って
いろんな街をぐるぐるぐるぐる歩くのだ。ふふふ。

・9月18日(火)

朝、7時半に起きた。すぐにパソコンを付けて、asahi.comの
天気予報を確認。うーん、やっぱりイマイチか。。。

せっかくの休みだから、カメラをもって、どっかへ出かけよう、って
思ってたのですね。どこへか、っていうと、思いついたのが、奥只見。

いつの頃からか、奥只見、の3文字が、僕の脳髄を支配し。寝ても覚めても
奥只見。昔、そんな流行り歌がありましたね。寝ても覚めても奥只見。

ま、それはそれとして。

そそ。奥只見に行きたかったんです。ローカル線に乗って。仕事の合間とかに
googleとかで、奥只見、温泉、なんてキーワードを入れて、いろいろ
検索してみてた。そしたらますます行きたくなって。けど、どこからどうやって
行けばいいんだか、ちーとも分からず。なんとなく新潟と福島の間くらいにある
というのは分かるのだが、東北本線のどこから支線が出てるのか、とか、
そういう具体的なこと。ちょっと調べてみたら、郡山からなのね。会津若松を
通って、さらに支線に乗り換えて……。で、上越線の小出とかいう駅に出る、と。
1泊か2泊あれば、じゅうぶん行って来れるよねぇ。うん、行きたいなぁ。行こう。
と行くことは決まったのですが、まぁ、お天気写真家の私としては、わざわざ天気が
悪いときにいって、どんよりした緑を撮ってもつまりませんし。なので、一昨日くらい
から、天気予報をずっと気にしてて。

火曜日も水曜日も晴れないなぁ、やっぱりやめよう、という結論に傾きかけたのですが
今朝の9時ごろ、千葉県北西部にはぴかーっと日が差し。を、これは小倉行け、という
神の思し召しか!?とかってに善意解釈し、自分で自分の背中をどんと押した。

カメラはなにを持っていこうかなぁ、というのも難問中の難問、だったのですが、
無難に、コダックのデジカメとCONTAXのST(レンズ2本)という、超オーソドックス、
正攻法コンビにすんなりまとまりました。ライカもいいけど、最短撮影距離が長いから
車内とかだと不利だし、ハッセルは重いし、盗まれたりしたら、立ち上がれないし。
ということで、いつもの相棒ふたり、いわば、助さん、角さんみたいなもんですね、
そのあたりに落ち着きました。え? 八兵衛はどうしたのか、って? 八兵衛ってったって、
う~ん、むりやりこじつけると、ちょっと借りてるデジタル一眼レフあたりかなぁ。
(あえて機種は書かない。(^^; )
けど、あいつはレンズは50mm F1.8だけなので、表参道とかで一日中、おねえさん
ポートレートとかスナップとかを撮ってる、っていう日にはいいかもしれないけど、何が
起こるかわからない、というか、万能性を問われるこういった取材には、やっぱ向かないなぁ。
ん?これは取材だったのか?(笑)

奥只見は遠いので、郡山で一泊しよう、というのも、比較的すんなり決まった。
僕はあまり温泉フリークとかではないので、温泉地を通ったとしても、どうしても
服を脱いで温泉に身を浸さないと気が済まない、という鶴見の根本みたいなメンタリチイは
持ち合わせてない。したがって、明日、奥只見を通過したとしても、途中下車とかしたり
せずに、たぶんほんとに通り過ぎるだけなんじゃないかな。嗚呼、奥只見、奥只見、とか
口ずさみながら。うん。

明日は8時半すぎの電車で、磐越西線を行き、会津若松を通って
只見線へ向かいます。はやく寝よっと。ナニナニ、衛星放送のAV、10分100円。。。
ずいぶん高いなぁ。せちがらい世の中だ。。。ビールの自販機、ないのかなぁ?

後世の歴史家のためにあえて書き残しておくのだが、今日は上野から宇都宮行きの
快速に乗って、宇都宮から黒磯行き、黒磯から郡山行き、だったかな。郡山行きでは
ちょうど高校生の下校時間と重なって、東北の純朴そうな高校生数十人と楽しいときを
過ごさせてもらった。みんなかわいいなぁ。

今日、気仙沼から来たという19歳の女の子と知り合いました。少しぽっちゃりしてて
すごく可愛い娘。あら、そういえば、写真撮るの、忘れた。。。う~ん。

けど、こんなことを真顔で書くと、人格を疑われてしまうのだが(もう、疑う余地のある
ような人格はどこにも残ってないって? 笑)、それはそれとして、どこへいっても、いつも
思うのだが、飛び抜けて可愛い娘、とか、すごく美人な娘、とかって、どこへいっても
一定の割合で存在するもんだな、と。よく、美人の名産地?とかっていうけど、おれそう
いうの、信じない。まるで。やっぱり、みんなに平等に、どんな親から生まれても、
一定の割合で美人って生まれてくるんだと思う。これはある意味、この世の不思議の
ひとつかもしれないけど。僕が写真を続けていることと、若干微妙に関わっていると、
言えないこともないだろう。それは日本の地方だけじゃなく、民族でも、時代を超えても
おんなじことがいえる。と思う。そうじゃなきゃ、生きてて楽しくないしなぁ。(とほいめ)

・9月19日(水)

おはようございます。いま会津若松の駅です。張り切って早起きしてきたのに、
会津若松で足止め。只見線の次の電車は、1時過ぎまでないとかで。うげ、あと3時間も
ここにいないといけないのかあ。。。う゛~っ。

さっきまで、ここ、会津若松駅の待合室?では、地元の日本酒だと思われる「榮川」
(えいせん)のCMを、延々やってました。なかなかきつかった。うわ、また始まった。
たぶん、地元ではテレビとかでもやってるんだろうけど、いくつかのバージョンがあって
それをトグル式になんべんもやってるのよ。ナレーターも出てくる女優もモチーフも
ちょっとずつ違うんだけど、でも、ぜんぶいっしょ、みたいな。なんて喩えたら
いいんだろう。フォーク調のやつもあるんですよ。ハイキーの、白い服を着た女性が
グラスを傾けてて、最後に「おかえりなさい」っていう、という……。
かなりキてますね。

そういえば、郡山から電車に揺られながら、いろんなことを考えていたのですけど、
さだまさしさんの「駅舎」(ほんとは「駅」の字は古い字なのですが……。あとで直します)
を口ずさんでた。いい曲。けど、この曲、ちょっと聞くと、すごく女々しいようにも聞こえる。
都会で傷ついた女性を、故郷でずっと待ってて、で、訳ありの女性を温かく受け容れる、という。
この曲の主人公の彼って、もしかして、彼女のモト彼とかじゃあ、ないのかな。俺はずっと
そう思ってたんだけど……。もっと大きな存在? 父とか、 兄とか。わかんないや。

けど、さだまさしさんの「長崎シティセレナーデ」っていうヒット曲があったけど、
この曲も、「駅舎」も、歌ってることは、まるで一緒なんだね。もちろん、それが
ダメだっていう訳じゃないですよ。同じモチーフを繰り返し歌うというのは、
基本だもんね。さださんのこのへんの曲を聴くと、あの終着駅、長崎ステーションが
まぶたの裏に、まざまざと浮かんでくるよ。

「長崎ブリーズ」とかも、いい曲だったなぁ。たしかLPを持ってた気がするのだが
実家を探したら、あるいは出てくるのかな? あの大きなジャケット、ひとつの文化として
写真とか、デザインとか、あったよね。いまはCDになって、うんとサイズがちいさく
なってしまったからつまんない、っていう声を、いろんな人から聞くことがあり。

そうそう。今後の小倉の予定ですが、13時05分発の只見行きに乗り、只見で
乗り継いで、上越線の小出まで出て、浦佐まで行き、そこから上越新幹線に乗って
夜の8時過ぎに東京へ着く、かな。上越線を鈍行電車で行く気力は残念ながら
ありませぬ。(笑)

あ、また「榮川」が始まった。

旅立とう
かわらずに いてくれて ありがとう
いつもとなりに いておくれ
いつもとなりに いておくれ

↑これフォーク調のヤツ。いい曲だなぁ。

榮川、売ってるのかなぁ? 駅で。どうしても飲まずにはいられなく
なってきた。ちょっと気恥ずかしいかなぁ。いかにも、CMに影響された、
みたいで。けど、そういう効果をねらって、延々同じCMを流してるのは
そっち(?)のほうなんだから、責は向こうにあるんだよね。

あと2時間半もあるよ。ぐへぇ~。

おんなじようなこと。コンビニとか本屋とかでエロ本とか買うじゃない。あるいは
レンタルビデオ屋でAVとか。そういうときって、客であるこちら側が気恥ずかしい
思いをすることってありがちだけど、それってなんか、違う、と思うんだよね。
なんでかっつーと、そういうちょっと気恥ずかしくなってしまう商品を買わせようと
思って店に並べてるのは、向こうの方でしょ。だから、店員が恥ずかしがるのはいいとして
客であるこちらが、変に気を遣うことはまるでないのだ、と思い至った。
だから何だ、と言われると、一言もないのだが。僕の古くからの友人の城崎明広君は
さすがに一歩先を行っていて、そういう類のものを買うときは、女子高生っぽい
かわいい店員さんがいるレジに出すそうだ。そうして、彼女が恥ずかしそうな顔をするのを
見て楽しむらしい。しっかりそのときの顔を覚えておいて、家に帰ってから(以下伏せ字)。

なんの話でしたっけ。あ、そうそう、長崎シティセレナーデだったね。
そこへ戻るか?(笑)

そういえば、会津若松といえば、中学校の修学旅行で訪れた記憶がある。鶴ヶ城とか。
会津磐梯山も、登ったんだよ。頂上まで。死ぬかと思った。

いま、やむにやまれず、駅の売店で恵比寿を買ってきました。えっと、350平方キロで
230億円です。いまいちリアリティがないですね。

売店のおねえさんが、すごく可愛くて。ああ、この人を撮るために、僕はこの旅に
出たのだなぁ。(平行視線)

昨日から考えてたことなのですが、私、東北地方に足を踏み入れたのって、すごく
久しぶり。久しぶり、なんてもんじゃないと思う。前回のこと、記憶にないもん。
いくつか思い起こすのが、さっきも書いた中学の修学旅行とか、あと秋田の母の
田舎に帰ったこととか。それくらい。社会人のスタートを九州・福岡で切ってから
ずっと南のほうにばっかり縁があり。北のほうへはぜんぜん目が向かなかった。
意外に近いのにね。これから、でも、きっと頻繁に来ることになると思うよ。
1泊エクスカーション(小旅行)、エクスカーション、でいいんだっけ?
ハマった。東京圏を相対化するということ。自分を思い出す作業。
これから締め切りを過ぎたばかりの金曜、土曜あたり、いろんなところへ一泊旅行へ
出かけましょう。鈍行中心になるから、行けるところは限られてるかもしれないけど。

昨日、東北本線を鈍行でトロトロ行きながらも、いろんなこと、考えたなぁ。
黒磯から郡山とか、ワンマーカーだし、2両編成だし、ほんっと心細いんだけど
でも、どこかしら、大幹線を行く誇りみたいなものが、そこかしこに感じられ。
房総の南へ向かう電車とは、なんかやっぱり違う。

駅の待合室にいる私の目の前には、とてもステキな二つの穴。AC100V。けど、
公衆電話と「あいづわかまつ公衆ファクス」が並ぶコーナーのコンセントからPCの電源を
取ってたら、やっぱりちょっとまづいよなぁ。(笑) 恵比寿350平方キロくらいじゃあ
この羞恥心は払拭でけへんがな。

あ、店員のお姉さんが可愛いって話、書きましたっけ。え゛? もう聞いた、って?
それは失礼しました。で、戦略を立てたのですが、なるべくカサの小さい、軽いもの、
そういうモノをうちの母ちゃんへのお土産に買っていく。そのときに、ひとこと、
お願いする。デフォルトで(もともと)、首からカメラを下げておき。えっとねぇ、
今日のところは、仕事の名刺を渡すのは、やめたほうがいいかな。うーん、どうだろ。
むずかしいところだ。仕事とプライベート、銀塩とデジカメ。うーん、悩む、悩む。
悩んだ結果がプラスに働くとは、限らないんだけどね。ね。

只見線です。只見の駅で列車名が変わり、そのまま上越線の小出まで向かいます。

車内には一人旅風のいけてるおねえさんが乗っており。写真を撮らせてもらうのに
声を掛けようと思ったんだけど、表情が若干険しくて、で、声を掛けるのがためらわれて
しまう。どうしたらいいんでしょうね。いま、大白川まで来ました。進行方向左手には
清流が流れています。この川は当然、日本海に注いでいるんだろうな。

今日、磐越西線と只見線に揺られながら、一人の郷土史家のことを思いだしてました。
そう、●●○○です。←恥ずかしながら、失念。

彼が父から教わったという教え、知らない地方へ行ったときは、家の造りをよく見ろ、
とか、人々の来ている服を見ろ、とか、高いところへ登って、集落の様子を確認しろ、
とか。そういうこと。

やっぱり私、知らないところへ行くの、好きだなぁ。死ぬほど。なんかドキドキする。
ドキドキしないと、私、生きてるって実感が湧いてこないんですよねぇ。目をつぶっても
歩ける自宅と会社の往復ばっかりじゃあ、飽き飽きして、うんざりして、やる気のメーターの
振り子が、限りなくゼロに近づいちゃう。遠くへ行きたいなぁ。もっと遠くへ。もっともっと。

さっき、会津若松のお土産屋のおねえさん、ちょっと強引に写真を撮ってから、
なんとなく、割り切れない思いが残ってる。少し強引すぎたかな。ごめんね。
名刺を渡しておいたから、何かあったら、きっと言ってきてくれるでしょう。

彼女、誰かに似てる、と思ってたら、北九州時代、某M新聞社の西部本社の
編集事務をしてた女の子に、すごく似てる、かも。何さんっていったかなぁ。
白っていう字が苗字についてた気がするのですが……。友達になってください、
写真を撮らせてほしいんです、って清水の舞台から飛び降りる気分で話したら、
目を真ん丸にしてた。あんな真ん丸の目は、いまだかつて、見たことがないよ。
あの娘に、そういえば、すごく似てたなぁ。超・内気な娘。すごくまじめで。
高校の同級生の、地元の市役所とかに勤めてる男と結婚しちゃいそうな。
あ、こういうステレオタイプな書き方はよくないですね。わかんないよね、
あるいはパンクロッカーと電撃的に結婚するかもしれないし。こっちのほうが
ステレオタイプか。逆に。逆ステレオタイプ。意味が分からん。たしか
逆ダゲレオタイプというのは、あったよな。ない? あ、そう。(笑)

会津若松をあとにするころ、ドラマか小説だったかのセリフが、私のアタマの中を
ぐるぐる巡ってた。

「これ以上、俺にどうしろっていうんだよっ!」

たぶん小説じゃなく、ドラマとかだと思う。だって、その俳優の言い回しとかが
ハッキリと思い出せるもん。なんだっけなぁ、これって。なんだっけ。

たしか、シチュエーションとしては、彼が好意を抱いている女性が、だれかのところへ
行きそうになって、彼は彼なりに頑張るんだけど、でも、ダメで。そうしたときに、
彼の女友達(彼が狙ってる娘の友達でもある)が、彼をけしかけるようなことを
いうんだよね。そんなことでいいの、って。それを言われたときに思わず彼が
吐き出すセリフがこれ。

書いてるうちに思い出した。「バタアシ金魚」のカオルのセリフですね。
喋る相手は、リリコ。ふ~ん、けっこうちゃんとシチュエーションとか、
覚えてるもんですね。ま、10回以上見たしねぇ。(笑)

これ以上、俺にどうしろって言うんだよっ!

この台詞を吐いたあとで、彼は火の玉になって、ソノコをGetしにかかる、んだっけ。

いまも左右の車窓には、稲刈りを待つばかりの田んぼが広がっています。
ちょうど稲刈りをしてる風景も、ずいぶん見ましたよ。ふとした疑問なのですが、
水田、ところどころ稲がまとまってぐねっと倒れてしまっている箇所が、けっこう
あちこち見受けられるのですが、これって、どういうことなのでしょう? 風とか雨とかに
耐えられなくなって、グネッとしてしまったのでしょうか。
それはまぁ、想像できないことはないのですが、私の疑問というのは、隣り合った
田んぼでも、片っぽは派手にグネッとしてるのに、もう片方はぜんぜんグネッとして
おらず、すべてしゃんとしてる、というのがあったんですよね。それが気になる。
隣の田なのに、何が違うんだろう。肥料のやり方? 農薬の撒き方? それとも、
田んぼの持ち主の愛情でしょうか。分かる人、教えてくださいな。

いま、大白川で上りの電車とすれ違い、次の「柿の木」駅に向かっています。

ああ、おなかすいたなぁ。焼き肉が食いたいなぁ。根岸オカルビを10人前。
ん? ネギ塩カルビね。オカルビってなんだ? まあいいや。

よくみたら、電池がもう残り少ないですね。32%だって。ここまで駆使したのは
ウラル山脈を越えたとき以来じゃないかしら。それにしても、只見線はほんとによく
川と交差するなぁ。大きな川、ダム湖とおぼわしき湖、小さな清流。この豊富な水が
新潟平野の稲作を支えているのだなぁ。うーん、楽しい。。。

ん?もしや、ひとつの蛇行する川と何度も出会ってるだけ? そんな気もしてきた。(笑)
あとで、地図帳を開いて確認してみよう。

自分が行ったところをあとから地図帳で確認するのって、とっても好き。
なんだろう、仮登録してある地域を、アタマのVRAMに書き込んでいく作業。
だから、だからなのかな、私、カーナビって嫌い。憎んでるって言えるほど。
地図を見たり、それがうまく行動に反映できなかったり、自分のなかで別々だった
道が、行ってみることで突然つながったり、そういうのって、死ぬほど楽しい。
カーナビは、その喜びを根こそぎ奪っていくんだよねぇ。どういう譬えがあるのかなぁ。
ネコとじゃれるのが大好きで、それで癒されてるのに、全自動ネコじゃれ機」みたいのが
発明されて、人間はお役ごめん、みたいになっちゃう感じかな。まるで違うかも。(笑)

まぁ、いいや。あと28%だって。帰りの上越新幹線、コンセントが付いてるといいなぁ。
100Vだと、すごくうれしいんだけど。(笑)

あ、今回、auの携帯につなげる通信ケーブルを買ってきた、って書いたよね。
あれがすごく活躍。郡山のホテルでも、最初、普通の電話回線経由で通信してたんだけど
会社のVPNに入ると、どういうわけか切れちゃう。なので、au-netの設定方法を
ホームページで検索して、ダイヤルアップを作って、で、それからずっとそっち。
14.4Kだから、ぜんぜん速くないんだけど、メールやhtmlのアップくらいだったら
ぜんぜんOKっすよ。便利だなぁ。もちろん、auのサービス圏外だと使えないけどね。
さっき、只見の駅でも3本たってたのは感心した。すごいなぁ。

なんかだらだら書いてますねぇ。来てくれた人を辟易とさせる、小倉のだらだら
作文術。なんじゃそりゃ。

おなかすいたぁ。小出はまだか。

・9月24日(月)

久しぶりの日記の更新。小倉は死んだかと思いました? 残念でした。
ピンピンしてますよ~。いろいろ、忙しかったんですよー。

昨日から、僕の人生は変わった。もっとガムシャラに生きることにした。きっと
思うとおりに生きられると思う。そのために、がんばる。

ウェブに何かを書くこと。それに対しての覚悟が、みんな足らないと思う。
どんなに少量でも、世界の海につながる水辺に、ナニカを流す作業。誰に読んでも
欲しくないんだったら、自分だけの大学ノートにでも書いておけ、って。

あ、ごめんなさい。ちと取り乱してしまいました。(笑)

僕はちなみに、ウェブに何かを書くということの意味。自分ではよくよく理解している
つもり。この日記(日記だからね。)始めてからもうずいぶんになるけど、あとから内容を
大幅に変更したり、削除したり、っていうことは、ほとんどない。いっぺんだけ、何日か分を
ばさっと削ったことが、一度あったかな。(笑)

誰がなんと言おうと、僕は自分の言葉で思ったことを綴り続ける。
そんなことは無駄だとか、便所の落書きだとか、ゴミ以下だとか、たとえ言われたとしても
でもまったく変わらない調子で、これからも、愚にもつかないことをだらだらと書き続けて
いくよ。読んだ人がどんな気分になろうとも。自分が書きたい、書くべきだ、と、少し考えた
うえで、それでひとつの決断を下して、その結果としてウェブに書き残しているわけだから。

僕はいまjagabata.comというドメインを持ってるわけですけど、サーバーは
あるレンタル業者のサーバーを間借りしてるわけです。100MB、月2000円で。
毎日のアクセスログというのが、残る。何かっていうと、僕のサイトのどのファイルに、
何時何分にどういうIPアドレスからアクセスがあったか、ということが、すべてリストに
なっており。IPアドレスから逆算すると、どこのプロバイダから来てるのか、っていうのが
だいたいわかる。プロバイダとアクセスポイントが分かると、僕のホームページのような
こじんまりとしたページだと、だいたいアクセスしてくれた人が特定できてしまう。

そのことの意味を静かに考えている。いいことなのか、悪いことなのか、わかんない。
こうして書いてても、それが(こうして書いてることが)誰かにどういう影響を及ぼして
しまうのかについても、よくわからない。けど、事実は事実として。

もう言葉を交わさなくなって数年になる過去の友人や、メールを交換しなくなった
昔のメル友が、どういう訳かサイトを訪れてくれているのを知ると、なんともいえない
不思議な気持ちになる。ま、こちらは誰か特定の人に対してこの文章を認めている訳では
ないし、読者の対象を限定しているわけではないので、単なる生存確認として、この
ページを参照してくれているのだろうとは思うのだが。こちらがここであまり個人的な
メッセージを発することができないだけに、1行のアクセスログをみると、なんとも
いえない不思議な気持ちになる。

「どうして小倉さんは写真を仕事にしないんですか?」

きょう一緒にいた若者にそう問われて、なんて答えただろうか。

たしか、仕事にすると、撮りたくないものも撮らないといけなくなるからね、って。

ホントは私、街の写真館とかの主人になりたいんだよね。そうして嫁さんに店は任せて(笑)
大事なとき、すなわち、町内の成人式とか、知り合いの結婚披露宴とか、中学校の修学旅行とか
そういうホントに大事なときに、僕が出ていって大活躍する。あ、卒業式とかもね。

そういう、街の写真屋さんに、すごく憧れるなぁ。こんな人間が、よく新聞社で
報道カメラマンをしてましたね。(笑) いや、報道カメラマンを5年弱もやってたから
その反動かもしれないね。うん、きっとそうだ。

タレントとかモデルとか有名人とか政治家とか、そういう類の人じゃなくて
市井の人を撮りたい。撮り続けたい。ホントに立派な人、偉い人、魅力的な人を
自分で見つけだして、そうして拝み倒して、ピントを合わせ、フィルムを巻き(順序逆?)
そっとシャッターを切りたいや。それじゃあ、メシを食えないか。(笑)

岡嶋さんちでいただいた炭火焼きのバーベキューのソーセージはうまかったなぁ。
塩と炭だけで味付けした。なんか思い出すなぁ。月島のもんじゃも、すんごくうまかった
なぁ。奉行の手際がものすごくよかったのもあるし、いっしょにいたおねえさんが
とっても可愛い子だったのも大きいんだろうな。元気してるかなぁ。冬のボーナスで
パソコンを買ってあげたいなぁ。それとのバーターとして、写真を撮らせてもらおう。
彼女はきっとモノクロが合う気がする。これは私の直感。彼女のよさはカラーでは
出ない気がする。モノクロのきりっとした階調にこそ、彼女の魅力が表れるんだと
けっこう前から思ってたりする。私が勝手に思ってるだけだけどね。

・9月25日(水)

一流の写真家と二流以下を分けるものがあるとすれば、それは何か。

いかなるときでも、自分の撮った写真に言い訳をしないこと、かな。

どんなに状況が悪くても、愚痴をこぼさない。どんなにロケ地がイマイチでも、
天候が最悪でも、編集者がタコでも(笑)、ね。

だって、写真というものが、撮影者の名前とともにあるのだとしたら、
偶然じゃなく、この写真は、このオレが撮ったのだ、と高らかに世界に叫ぶとしたら
よくない状況の時でも、その姿勢は貫きたいよね。

毎日新聞人事部の倉澤さん(旧姓)に、こんなことを言われたことがある。

写真家は黙って写真を撮れ!って。

たしかにそうだと思う。

僕はまぁ、いまのところ、文字と写真の高次元での融合を目指しているので、
彼女の指摘は、まぁ、いまのところ、僕には当てはまらないのだが。(笑)

そんなことだ。写真はとったらあとはもう一人歩きするんだよ。
文字なんかついてこないんだよ。産み落としてしまったガキンチョみたいなもんだな。

写真と文字のバランスって、あると思う。すごくすてきな二者のコラボレーションって
すごく憧れる。うまく行ったときの気持ちよさっていったら、ない。

逆に、写真を説明しようとしすぎて、無意味に文字が多くなりすぎたとき。

そうだなぁ。たとえていえば、新鮮なレタスサラダを食べたいのに、サイゼリヤの
サウザンドレッシングをかけすぎて、レタスがボウルのなかで、ちゃぷちゃぷ浮かんでる、
状態。

これいったいどうするんだよ!? レタスはとっくにしんなりしちゃったし、こんなに
大量のサウザン、一気飲みするわけにはいかないし……。

あ、そうそう。ひとつ笑える話。

今日、仕事の打ち合わせで、ある写真家の方にお電話した。
奥様が出られて、あ、ちょっと待ってくださいねぇ~、っていって、しばらくして
写真家の方が電話口に来られた。その方いわく、

あ、いまちょうど、小倉さんのホームページを見てたところなんですよ。
昨日、海に女の子と写真を撮りに行ったんですって?

……ごほ、ごほ、ごほっ。食べてたゴボウサラダ、鼻から貫通するところだった。
ゴボウサラダは食べてなかったけど。

ここは僕の大事な王国。どんなに顔見知りでも、知らない人はまるで知らない。
知りたいと思った人は、たちどころに、やってこれる……。

それが妙に、素敵なことに思える。

ホントは、その気がある人には、僕の脳みそに蓄積されている全てのデータ、過去の記憶を
洗いざらい提出してもいいんだよ。僕の裏表のなさは、包み隠さないことの徹底ぶりは、
そこんじょそこらの日本人には、たぶん、見あたらないと思われ。

そう思いませんか? あなたのほうが、あるいは、ウワテかな?

 

・9月26日(水)

昨日の冒頭で書いた「一流の写真家と……」っていうクダリ。
あれは当然のことながら、特定の写真家の方を想定して書いたものではない。
自分のいままでの写真との関わり、大勢の写真家の方々との交流の中で
いつしか自然に感じてたこと。なんだか言い訳じみてますか? 人に言い訳するな、って
いって、翌日、自分の日記で言い訳してたら、世話ないですね。(^^;

いや、読者の方からさっそくお小言をいただいてしまったので……。

もし気分を害された方がいらっしゃったら、お詫びします。
でも、そういうつもりじゃないんですよ。誰か特定の人に対して
書いた訳じゃないんです。しいていえば、自分自身に対しての、戒めかな。

最近、僕はあまりにも写真が好きで、写真のことに詳しすぎる(っていっても、
それほどではありませんが)ことが、編集としての仕事をしにくくしているのかも、
と思うことが、よくある。著者陣と読者との間の、ちょうど真ん中に立てなくなって
いるのではないか、って。あまりにもクリエイター志向が強すぎるのかな。編集なんて
交通整理みたいなもんなのにね。……これも極論か。

ま、会社をクビにならない程度に、のんびり考えましょ。
あ、それじゃあ困ります?(笑)

僕の悪い癖は、目の前に課題が立ちふさがらないと、本気になれないことで……。

それで欧州の某国では、ずいぶん関係各所にご迷惑をお掛けしたような……。

う~ん。ゆゆしき問題だ。いっぺん、死にそうな目に遭わないと、分かんないのかもな。

ベトナムか香港に行きたい。とろっとした亜細亜へ。
今年中に行けるかなぁ。

 

・9月30日(日)

もう10月だよ。早いなぁ。

今年はどうだろう。いまの雑誌の編集部に来て、2年目。月刊化したのが去年の9月だから
そのままずっと、突っ走ってきた気がする。僕らがそれなりに一所懸命に頑張ってきたせいか、
いろんなメーカーから協賛企画の申し込みが相次ぎ。この出版不況に、ありがたいことだ。

そういう、メーカー協賛の記事だけじゃなく、特集も、連載も、がんがんパワーアップして
そのうえ、定価を下げて、総ページ数を増やせれば、媒体としての価値も、さらに上がるよねえ。
がんばろ。僕の力でできることは、あるいは、限られてるかもしれないけど、でも、一人の人が
本気になって立ち上がれば、実はものすごいことが実現できるんだ。

ひさびさに自宅で赤ワイン飲んでます。あんまりおいしくないけど。(^^;

昨日は、夜から親友のマキに会ってた。カラオケに行き、2時間歌いまくった。
なんか彼女は元気なかった。ある知り合いに、心ないメールをもらったんだって。
気の毒なくらいに落ち込んでた。僕もそうだけど、人を信じる、信じすぎるというのは、
どんなときであっても、絶対に欠点には挙げられることはないよ。相手の小ささを
温かく見つめてあげられるようになろうね。おたがい。

人物の写真を撮るのは難しいよね。だからこそ、喜びも大きい。人物の写真を撮るということは
シャッター以前も大事だし、また、「シャッター以後」というのも、すごく大事。撮ったあとに、
その写真をどう公開するか、というところで、肖像権とか、なんとか、いろいろ着いて回るでしょ。
薔薇の写真には、そういうことはないもんなぁ。

人物の写真は難しい。でも、それだからこそ、人物の写真は楽しい。

人物の写真が、なんで難しいかっつーと、ぜんぶ自分が出ちゃうから、だよ。

人の写真を撮る、自分が撮った写真を他人(ひと)に見せるということは、自分の尻の穴の
ひだひだを一本一本、人様に見せてるのと一緒だよ。いや、まぢで。

だって、自分が構えたカメラに対して、被写体たる人物が、どういう目で、こっちを見てるのか
それを世の中じゅうに触れ回るわけだから。

写真っておもしろいなぁ。とくに、人物写真って、死ぬほどおもしろい。

文章なんかに比べたら、もう、比べモノにならないくらい、おもしろいよね。

だって、「現実社会」の一部を、そのまま切り取るんだもん。面白くないわけがない。よね。

いや、ほんと。

雑誌を作るのと、人の写真を撮るのと、どっちがおもしろい?っていわれたら、
そりゃ~あ~、あんた、ねぇ。(笑)

両方同じくらいおもしろいに決まってるじゃん。(模範解答。笑)

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