1997年4月

 

日記

●平成九年

・4月26日(土)

新宿に行った。キャパ展を見に行った。すごい人で、自分のペースで見れなかったのが辛かった。
通し券を買ったのですよ。期間によって、3部に分かれてて。今日限りだと1000円なんだけど、
共通入場券という名前の通し券は、2000円で。またこの場所に足を運べるということが、とても
嬉しかった。家に帰って朝刊を見たら、各新聞社の写真部長がコメントを寄せてて。そのどれも、
ピンとこなかった。そういえば、毎日新聞の写真部長、見たこともない人になってた。三浦さんは
人事部に行ったとか。はは。大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいですね。はは。

そのあと、コニカサロンに行った。おねえさんの洋服を売ってる店だらけの、ビルの4Fへ。
アフリカの人たちの写真展。撮影した写真家のことを少し思った。写真に登場する
アフリカの人たちの生き生きした表情を見てたら、21世紀はアフリカの世紀に必ずなる
だろうという気がした。もう一方の区画には、シリーズ[新しい写真家登場]とかいう
企画で、2人の作品を紹介してた。新宿?の街中で若者を撮った写真と、沖縄?の街を撮った写真と。
このことを書こうと思って、会場に置いてある写真付き葉書をもらってきた。新宿の写真が
伊藤彰悟、沖縄の方が小柳嘉章という人。‥‥小柳嘉章氏の写真は、すごくいい。この人若いんだよ、
私より2つした?うん、確か。写真雑誌に載ってたペナンの写真たち(題名失念)がすごく良かった、
ちゃんと覚えてたよ。うん。赤外線フィルムで撮ったような調子が、何んかけだるい感じでとても
南国の空気を伝えてて、女の子も可愛くて、見るべきものがあった。よかった。写真展の写真も、
一枚一枚伝わってくるものがあって、すごくよかった。これから伸びる人だなという気が強くした。

もう一方の伊藤彰悟氏の写真の方は、よくなかった。残念ながら。言い出すと切りがないのだが、
全然、人が写ってない。やたら、人混みの中、携帯電話で話す女性の写真が目に付いたのだが、
なんだろう、それだけ。なんの感銘ももたらさない。この写真を、ピント合わせて、
シャッターを切って、現像して、プリントして大きくのばして額に入れて人の目に触れさせている
意味が、まるで分からない。悪いけど。なに考えてんだと思った。一枚も、いい写真がなかった。
(あくまでも主観だけど)新宿?の雑踏を(特に女性の姿を)撮った写真ですぐに思い出すのは
何年か前に木村伊兵衛賞を取った(確か‥‥)写真家がいたと思うけど。彼の写真となにが
違うのかというと‥‥、うまくいえない。各自、見比べてみてください。(^^;(^^;

小柳嘉章氏の写真の方は、画面にほとんど人物が現れないんだけど、人間の匂いを強く感じた。
伊藤彰悟氏の写真には、人がたくさん登場するにもかかわらず、人間がどこにも写ってない。

そう思った。誰か、文句ある?

そのあと、ミノルタサロンに行った。あんまり期待してなかったんだけど、なんと、今年の
木村伊兵衛写真賞を受賞した畠山直哉氏の写真展をやってて。おおお、と思った。いやいや、
賞を取ったからどう、ということではないのだが、すごいよ。いいよ。うん。大型の写真機を担いで、
工場などを少し高いところから横長のフォーマットで撮った写真。ニューカラーというのかな。
すごくキレイ。驚くほど。すごくキレイ。ざっと見たけど、ホントはしばらくその空間に身を
置いていたかった。
ただ、ミノルタサロンて狭いから、あんまり作品に浸るという鑑賞のしかたを許してくれない
ような気がして。サポート窓口が併設されてるから、うるさいアマチュアカメラマンのオジサンが
ウジャウジャそばにいて。あんまり落ち着かない。あくまでも言い訳だけど。

また行きたい。もう一度あの作品群を見たい。あの色のキレイさ。金属の管の存在感。これはもう
特筆すべきもの。出来れば、もっともっと大きく伸ばした写真を見たいな。無理でしょうけど。


そうそう、サロンを出てエレベータに乗って。もう一人、オジサンが乗ってきたんだけど、
ふつう二人でエレベータに乗るときって左端と右端に乗るじゃない。彼はそうせず、エレベータの
真ん中に立ち、それも右端にいた私の方へ体を向けて。視線を向けてきている。え、怖い‥‥と
思った瞬間、かれは、「カメラは難しいですねぇ‥‥」と言った。私に向かって。

すぐさま、(すぐさま、だったような気がする)

「長く続けることですよ」

と私は言った。そう、長く続けること。それが第一。そのあとが長いんだけどね。(^^;(^^;

紀伊國屋に行って、アラーキーの「旅少女」を見た。一瞬買おうかと思ったけど、なんかいやで
やめた。きっと、彼に嫉妬してるんだと思う。うん。次々と、可愛い女の子をあてがわれて、
仕事で日本全国のローカル線を旅して、写真撮って。やっぱり、嫉妬かな。私には撮る相手もいない
から。‥‥畜生。くやしい。

今日もいい写真撮れんかった。また、こんど、頑張ろ。うん。世界のみなさま、しばしお待ちを‥‥。
(^^;


・4月25日(金)

会社に行って、午前中、ぼーっとしながらこんなことを考えてた。

パソコンをブームに乗って買った人たちは、善良な責任のない人たちなのだろうか。
ブームをつくったパソコン関連企業やマスコミが一方的に悪いのか。あの、
Windows95発売騒ぎは、いったい何だったの?
いやいや、パソコンの使い方が分からない、と泣いて叫ぶ人たちが、あまりにも
多いようだから。

なぜ、猫も杓子もパソコンを買い始めたのだろう。‥‥分からない。
なぜなのだろう。パソコンが一般化したことによって、本体、周辺機器、
インターネットプロバイダの接続料金が下がったのは事実で、それはとても好ましい
ことではあるが。

なぜ、猫も杓子もパソコンを買い始めたのだろう。そのおかげでいまの会社は
潤っていると言えないことは絶対にないのだが。

(中略)

言葉のリズムというのはとても大切だと思う。だから書いているときに、心で
声を出して綴っている文章を読みながら書ける、そのスピードをもたらして
くれるこの、キーボードという存在はとてもありがたく。

文章にはリズムが大事だという話。声に出して読んだときのリズム、というのも
もちろんそうなのだが、書いてある字づらを見たときのリズムというのもあると
思われ。いうまでもないことだが。同じ意味内容でも文のつなげ方とか、
末尾の終わらせ方とか、漢字とカナの混じり方とか。だから一概に機械的に、
この言葉は漢字で書くべきだとかひらがなでとかは、言えない。公のものでない、
個人的な思いをしたためる場合は、特にそうだ。

毎日々々、会社のそばのスーパーで、98円のウーロン茶1リットルパックを
買っている。税込み102円。なぜ103円ではないのか。98×1.05=102.9。もしかして、
この店では1円未満は切り捨ててるのか。どうして四捨五入ではないのだ。
分からない。

(中略)

Becky! すごく好きなんだけど、メール作成画面で自動保存がほしい。
時間ごとか、アクション数ごとに、草稿箱にでも自動保存してほしいなぁ。
無理かな。ふつうのエディタでメールを書いて、それを貼り付ければよいのだろうが、
付属のエディタがよく出来てるもので、ついついこれを使ってメールを
作ってしまう。うん。

動作は安定してるので、メール作成途中に急にハングアップするなど考えにくいのだが、
Windows95のことだから、何が起こるか分からない。書いてた文章が途中で消えて
しまったときのあのショックは、何度も味わうと寿命縮める。

仕方がなく、ときどき手動で「草稿箱に保存」を選ぶんだけど、そのたびに
メール作成画面は閉じてしまって、また立ち上げなおさければならない。
辛い。

それから。

文庫本(に限らず)を読むときにカバー(もともと付いてるもの、書店でつけて
くれるもの、どちらも)をつけたまま読む人と、はずして読む人がいる。これって
いうのは、両手を組むときにどちらの手の親指が下に来るかが人によって常に決まって
いるように、一定で変わることがない(と思う)。友だちに聞いてみると面白いかも
しれない。私は*必ず*はずして読む。すごく仲のよい、ものすごい量の本を読む
友だち(女性)に聞いたら、彼女もカバーをはずして読むそうだ。関係ないかも
しれないが、私も彼女も血液型はB型。たぶん関係あると思うな。多分だけど。

・4月24日(木)

きのうは寝てしまった。きょうは、なぜか機嫌がいい、私。

予告どおり、昨日、SCSIのホストアダプタ(H/A)、DC-390を買ってきた。
一緒に買ったコネクタが違ってて、接続は今日に持ち越したんだけど、
きょう、パソコンに繋いでみた。PCIスロットにDC-390を差して、ケーブルを
フィルムスキャナ(ミノルタQS35)に繋いで、その先にフラッドベッドスキャナ
(HP 3C)を。いろいろと不安な噂は聞いてたから、多分だいぶ認識させるのに
手間かかるだろうなぁ、と期待してた。(^^;(^^;

そしたら、一発で両方のスキャナを認識。グラフィックボードと仲良く一緒に
IRQ11で落ち着いてるし。うーん、よく出来てるなぁ。うーん。うなってしまう。

『地の星』すごい。良すぎる。次から次へと、いろんなことが目まぐるしく
起こっていく。なんか、映画の場面を見ているようだ。画面がどんどん切り替わる。

帰宅の電車でずっと読んでて、夢中になってて、津田沼に着いたのに、
ちょっとの間、気づかなかった。電車を降りながら、文庫本の残りのページの
分量の少なきことを感じて、泣きたくなった。まだ第3巻は出てないはずだから、
しばらくは熊吾の家族とお別れをしなければならない。そのことが、身を切られる
ほど辛い。辛いよ。

錦繍が宮本輝の出世の本懐かとおもってたら、いやいや、そうではなかった。
錦繍はきっと、方便品。如来寿量品は、こっちでした。(^_^)


・4月22日(火)

今日、仕事で恵比寿に行ったんだけど、帰りの地下鉄で、すごくすてきな娘を見かけた。
おでこが広くて、目がクリクリ愛くるしくて、鼻が少し上を向いてて、とっても
育ちが良さそうな娘。短大生かなぁ。多分、就職活動だと思うんだけど。どこまで
行くんだろうと思ってたら、広尾で降りてしまって。駅のホームの、出口別の案内を
じーっと見てたから、知らない会社にでも行くんだろう。それにしても
可愛らしかったな。ホントに。きょう一日、意味もなく気分が良かった。
また会いたいな。‥‥無理か。なんか、写真が撮りたくなってきたぞ。春だし。

恵比寿できょう、もう一ついいことがあった。好きになれそうだな、この街。

『流転の海』は、きょう読み終わった。第2巻に読み進んだ。こちらもめっぽう
面白い。この一連の作品、後世に残るんじゃないかな。いや、宮本輝の他の作品も
残ると思うけど、宮本輝の代表作として、これ、残るよ、きっと。熊吾、やってくれる
わ、54にもなって。きょうも暴れる牛を銃で撃ち殺して。嫁さんは嫁さんで、
泳いでる鮎を素手で捕まえるらしいけど。ま、どっちもどっちやね。(笑)

悲しいくらい、新しいディスプレイがほしいな。会社のディスプレイ(三菱)は
1024×768でもくっきりしてるのに、うちの(‥‥)は800×600なのに、
なんかフォントがちらつくというかクッキリしてない。悲しいよ。文筆家としては
(だれがじゃ)、これは致命的だと思われ。うーん、きのう独自の文化があるとか
訳の分からないことを書いたばかりなのに、もうこの体たらく。節操がないとは
このことだ。でも新しいディスプレイがほしい。ナナオがいい。(^^;(^^;

明日取材の帰りに秋葉原に寄って、Visual Cafeを買ってしまいそう。ついでに(^^;
TekramのDC-390も買ってしまいそう。だれかこの私を止めて!(といっても無駄なのは
自分でよく分かっている)

帰り、秋葉原を通らなきゃいいんだ。そんな訳に行くかいな。ま、明日の日記の
お楽しみ。‥‥んふ。


・4月21日(月)

ははは。土曜日に書き込んだ分、思いっきり日にち間違えてましたね。笑える‥‥。
ダメですねぇ。会社で暇なときにばばばって書いて、それをメールで自分宛に送って。
それを何日かに分けて日記に貼り込んでも、ひょんなところでボロが出ますねぇ。
自分であとから読んでも、なんか日記の臨場感がないもん。うーん、うーん。
臨場感は大事ですね。切迫感というか、緊張感というか。職場で仕事中に書いてる
だけあって、別の緊張感はあるかも知れないけど。どうだろ。

今日はちょっとだけいいことがあった。しばらくしたら、書けるかな。どうかな。

今すごくほしいのは、ちゃんとした良いディスプレイ。グラフィックボードを変えたら、
ディスプレイのアラが目立つようになってしまった。うーん。

明日は午前中からメーカーの発表会がある。それも時間差でハシゴ。なんかスリリング。
リブレット、持っていこうかな。発表会での暇つぶしに。(^^;(^^;(^^;

今飲んでる『端麗あわもり アジアン』25%だって、アルコール濃度。そんなに
あるかなぁ。ま、ビールよりは濃さそうだけど。(^^;(^^;

今ふと思ったんだけど、Windowsが普及して、さまざまな解像度のディスプレイが
当たり前になって、フォントの大きさも自由に選べるようになった。でも、
それにともなう悲しみというのも、あるよね。誰かに伝わるかどうか、分かんないけど。

たとえば、800x600のSVGAで、14ポイントのフォントでしか味わえない世界というのは
必ずあると思われ。フォントが数ポイント違うだけで、全然印象が違う。どうにか
してほしい。どうにもならないことは百も承知で言ってるんだけど。

あ、そうそう、こないだ、昔好きだった娘が結婚するらしいって話を書いたけど、
きのう、ひょんなことから(^^;(^^;その娘の写真を見た。随分たくさんあったけど。
そしたら、私が知ってるのより、ずいぶんと大人になってた。(ふけた、とも言う)
それ見て、なんか、安心した。安心というのは、ちょっと嘘かな。安心、安心、でも
安心したよ。うん、なんか妙に安心した。安心じゃないかなぁ。うーん、ほっとした?
わからん。とにかく、私が知ってる彼女より数年、歳をとった彼女がそこに写って
おり。歳をとるにつれて、ぽっちゃりして愛らしかった彼女が、よく言えば大人に、
悪く言えば単なるおばさんに、いやいやおばさんは言い過ぎかな、単なる大人の
女性に、なっていく姿が、順々に写っていた。なんだかなんだか、ちとショックだった。
私が福岡で、新聞社の写真部で重い機材をかかえて飛び跳ね、もがき苦しんでるときに
彼女はそれとは全く無関係に千葉で大人になっており。‥‥悲しいと思った。
「縁」という言葉の持つ非情性を、こんなに分かりやすく表したものは、見たことがない。

どうでもいいけど。よくないけど。

そう、無理矢理に自分に引きつけて話を進めると、だから、僕は、少女を撮るんです。
タケノコじゃないけど、忍者が飛び越える草じゃないけど、あっという間に変わって
しまうんです。少女というのは。無駄な抵抗だというのは分かってます。写真に収めた
からどうなるもんでもないということは、分かってるんです。でも、私には他に
どうしようもありません。シャッターを切るだけが、私に出来ることで。

写真家というのは、本質的にむなしいものだと思う。ただ、そのむなしさを感じられる
のが、写真家の写真家たる所以で。写真やってなかったら、感じられないそのむなしさは
そんなに悪いもんじゃありません。たぶん、きっと。

ずいぶんとマニアックな話ですね、今日は。あはは。


・4月18日(土)

というわけで、宮本輝の『流転の海』を読んでいる。
いい。すごく骨太で、じっくりと物語が展開してゆくのが、とてもいい。
めちゃくちゃな主人公だけど、やはり大きな人間的な魅力をたたえており。

いま、1/3くらいまで読み進めた。海老原を有馬温泉に連れ出すところ。
面白い。ほんとに面白い。ところどころに、宮本文学の決まり文句が顔を出して
思わず、くすっと笑ってしまう。大阪弁も、聞き慣れたもので。


今日、実家に戻って初めて散髪に行った。大久保の古びた床屋に入った。
ココがすごくいい雰囲気の床屋で。うーん、大正解。


・4月17日(金)

『道頓堀川』を読んだ。何年かぶりに。
あまり細かい情景描写を気にせず、ものすごい
勢いで読み切った。そんな読み方をしてよかったのかどうか、
分からないが。

前に読んだときと、ずいぶん違う印象を受けた。
もしかしたら、別の作品とごっちゃになってるのかも
知れない。

なんだかそっけない小説だと思った。あっという間に
終わってしまった感じ。急いで読んだのが悪かったのか。きっとそうだろう。
主人公のまわりの一瞬の時の流れを描いただけ。あまり大きな
ストーリーの展開もなく。

道頓堀川のまわりに生活するさまざまな人の生きざまを
描きたかったのだろうか。マスターと鈴子と杉山の物語や
ビリヤードをめぐる父子の葛藤。まち子とのロマンス。
金兵衛のオヤジと娘。父の愛人だった弘美。もっともっと長く、
彼らと親しく接していたかった。なんか自分の中で、消化不良を起こしている。

いかーん。最近、ボリュームがある小説を立て続けに読んでるので、
文庫本の薄めのものは、ちと物足りないように感じてしまうのだな。

前に読んだとき、喫茶店のマスターが杉山に占ってもらって、幸せっていうのは
辛いことがないんじゃなくて、辛いことを乗り越えられるかどうか、
っていうところが、異常に感動したんだけど、今回はなんとなく通り
過ぎてしまった。うーん。こちら側の心境の変化か。うーん。

仕方がない。分厚い話を読もう。とすれば、彼の自伝しかない。
今、第二部まで文庫になってるんだよね、確か。


・4月16日(木)

山田詠美の「風葬の教室」を読んだ。「教室」というのは、何かのたとえだと
思っていたのだが、本当に学校の話だった。

それにしても、この不思議なタイトルから受ける印象は、何とも言い難いものがある。
風葬というと、アンデスの山かどこか、すごく険しい山の崖に遺体を置き、
鳥たちのついばむに任せるというイメージがある。それは鳥葬か。?

‥‥とにかく、「風葬」という言葉と「教室」という言葉がうまく結びつかず。
イメージとイメージが遠く離れ、それが「の」の字で組み合わされるところに、
空想が広がる。なんだか、とてもおごそかで、とても大切なことが書かれている
小説のような予感。

果たして、そのとおりだった。
一言で言うと、転校生が些細なことからいじめの対象になり、彼女がそれを
乗り越えていく話。こう書くと、なんだか安っぽい教育ドラマみたいだけど
そうではない。

物語は主人公の一人称で語られる。読者は彼女の目をとおして学校という世界を
見つめることになる。小学校5年生という「子ども」の彼女は、しかし、とても
強い自我を持っており。それは転校を重ねた結果だ、と彼女は自分を分析する。
同級生や教師にさえ、彼女は自我というPROXYをとおして、態度をつくる。
作為が作為と気づかれぬよう、年齢相応の自然な振る舞いという演技を
仕草に巧みに含ませて。

ストーリーの展開も、自然だし、必要なことはすべて描かれている。同級生たちが
いじめという「宗教」の渦に巻き込まれ(を巻き起こし)ていく様が順々に描かれ。
多くの教師たちが、子どもたちの「宗教」に対していかに無力か、無力な
ばかりでなく、いかに有害かを語る。味方の同級生の存在と、その子の限界と。
家族の他人たる様子と、それでもやはり家族は家族としてとても大切な人たちで
あるということと。

そうして、自分の中から起きてくる力によって必ず苦境を脱することができると
いうことが最後に説かれ。
彼らを軽蔑するという精神の力で、彼女は立ち直ることができた。そうして、
ものすごい技、力、魅力、人間力を、身につけた。彼らを正しく軽蔑することに
よって。さらに大人になった。自我をひとつ強固にした。

最初、大きな活字でひらがなが多くて、ナンジャコリャ、と思ったのだが、
そうだったのだ。作者は多くの子どもたちに、読んでもらいたかったのだ。

とてもすばらしい。


・4月6日(日)

今日も仕事。昨日からの雨で、桜はその多くの花びらを散らした。まだまだ
咲いたばかりの、たくさんの花びらを。会社の帰りにあおいで見ると、市ヶ谷の桜も、
津田沼の桜の木も、まだいくらかかの花びらを残しており。そうして、見て思った。
雨に打たれて散った花びらもよし、なお枝にとどまって咲き続ける花びらも、なおよし。
自由でいいのだ。咲きたければ咲けばよし、散りたければ散ればよし。見る人は、
それを見るだけなのだ。散った花びらの散りざまと、なお咲く花の、なおの咲きざまと。

なんでもいいけど、桜って贔屓(ひいき)されてるよね、なんか。(笑)

明日も仕事だ。また頑張ろう。自分自身のために、そしてこの会社のために。
(社長、見てる??)

今日はおねえちゃんネタの話はない。それはそれで、悲しいものがある。
昭和堂にも、最近行ってない。「ドグラ・マグラ」まだ読み終わってないし。
そうそう、ドグラ・マグラといえば、そろそろ佳境にさしかかってきた。
面白くなってきた。主人公が目覚め始め、ふたりの「怪人」の暗闘が明らかに
なり始める。うーん、面白くなってきた。いまここで文庫本を開いてもいいんだけど、
そしたら明日の仕事に差し支えるもんね。うーん、やっぱり社会人は違うよねぇ。
高校生の頃って、よく、徹夜で本読んだよなぁ。うん、何遍か、そんな記憶がある。
あの頃は確か、弁護士になりたかったんだよね、私。あの頃の私は、自分では
自分のこと、けっこう好きだったな。はた目に見ると、すごく嫌なやつだった
かも知れないけど。(笑) 楽しかったなぁ、高校時代。津田沼駅7時50分過ぎ発の
京成電車、京成千葉行きの。女子高生満載で。うーん、天国のような時空間だったな。
今でも、あのままなのだろうか。‥‥なんか、明日早起きしたくなってきた。うん、
今日は早く寝るとするか。(^^;(^^; ‥‥違うか。おじさん、もう年くいましたので、
きょうびの女子高生には、ちょっとついてゆけないかも。(^^;(^^;

それはそれとして。(^^;(^^;

この汗マークってだれが考えたんだろう。尊敬するよね。作者の人を抱きしめて、キスして
あげたい気がする。


・4月5日(土)

今日は仕事だった。明日も。髪の毛を切りたいなぁ、そろそろ。
それはそれとして、マザーボードを変えたら、内蔵モデムを認識しない。
悲しい。多分、BIOSまわりの設定がいまいち、なんだと思うんだけど。はぁ。

もう少し詳しく書くと、マザーボードはASUSTeKの55T2P4 Rev3.1。内蔵モデムを
認識しないのは、拡張シリアルボードを刺してるから。前のマザーでPnP認識され
なかったアイ・オー・データのRSA-DV/S。こんどはあっさりPnPで認識されて、
しっかりIRQ12におさまってる。今のところ、COM5として認識させてるんだけど。
それで、内蔵モデムを刺すと、Windowsが立ち上がる直前で凍ってしまう。内蔵モデム
をCOM1に設定しても、COM3でも、ダメ。仕方がないから、明日あたり、PSマウスの
コネクタを買ってきて、マウスをCOMポートから待避させよう。それでCOM2をあけて、
内蔵モデムをCOM2に収める、というのは、なんかうまくいきそうだ。それにしても、
PnPなんて誰が考えたんだ。うまくいかないのは、だれの所為なんだ? マイクロソフトか?
Intelか? ASUSか? アイオーデータか? それともソフトウェアジャパンか?(笑)
いいんだけど。そんなことは。そのうちバスはPCIだけになるのかなぁ。ISAが廃れて。
そしたらIRQの競合とか、考えなくてよくなるのかな。どうでしょ。わからん。

何書いてんだろ。仕事の続きじゃないんだから。ったく。寝ろよ。早く。


・4月3日(木)

週刊誌は、男性誌も女性誌も、東京でOLが殺された事件の話題で持ちきりだ。
昼と夜と、彼女が別の顔を持っていたとかで、微に入り細に入り、プライバシー
侵害バシバシで、彼女のことをいろいろと書きなぐっている。
読むやつも読むやつだけど、書くやつも書くやつで。どちらも、人間として最低の奴らだ。
別に、どうでもいいことだけど、あんまり酷いから、ホームページの片隅に、書く
ことにした。言いたいことがうまくまとまらないのだけれど、なんというか、
このたぐいの話題を好んで扱う(読む、書く)人たちは、自分たちが何をしているのか、
もう少し冷静に認識する必要がある。

極端に言うと、こういう、ひどい性的なゴシップ?を公にしている連中は、
自分の顔に性器をくっつけて他人様の前に姿をさらしているようなものだと思う。
この類の話題は、どうしても人の興味を引きやすい。なんといっても、人間の
本能に暗に直接はたらきかけるものだし、人間は誰でも、自分ではどうしようもない
性的な衝動をもってるし。私だって、勿論、例外じゃない。それはハッキリしてる。

ただ、「一流」の新聞や公的空間である電車の中吊りの広告に、こんなに大きな活字で
いろいろ書かれると、あまりにも情けなく、切なくなる。こういうのを劣情をもよおさせる
と言わずに何を言うのか。たとえて言えば、山手線の7人掛けのシートで、いきなり
男女がSEXを始めるようなものだと思われ。極端かも知れないが。いやいや、
そんなに極端ではないぞ。人の目を引くためだったら、売れるためだったら何でも
やるのか、おまえら。死んだ人間のことなら、相手に少しでも落ち度があるのなら、
何をしてもいいのか。自分たちの行動が「獣欲」(これも人間が作った言葉だけど‥‥)を
満たそうとしている、ってことを、少しは分かってるか? おい、こら。

はっきり言いたい。彼女の死を、そして生き様を売り物にして金儲けをしようと
している連中は、一人残らず地獄へ行く、地獄というものがもしあるとすれば、
そのうちの一番深い、重い、苦しい、辛い、汚い、ぐちゃぐちゃの、救いがない、
まさにその場所へ、彼らのうちの一人残らず、長い間、落ちているに違いない。
だって、そうでなかったら、地獄の存在意義はないに等しいよ。おい、閻魔、おまえ
いったい何してるんだよ、って感じだよ。いや、おおげさじゃなくて。

あんまりだよ。ひどすぎるよ。これほどまでに、鬱憤が
たまっているのか。ほんとにこのままじゃあ、滅びるよ、この国は。

いいけどべつに。


・4月2日(水)

もう水曜日。会社から帰るとき、雨が降ってた。詠んだ句。

そっと降れ散らすな桜はるの雨

ありがちだけと、そのままを詠みました。

今日、会社に行くときに電車のなかでこないだ買っておいた「ボディレンタル」を
読もうと思って、一ページ目を開いたら、なんか女性作家にありがちな(偏見?)
硬質な、気取ったような文章だったので、気分が悪くなって本を閉じた。こういうのが
純文学なら、私は純文学は、‥‥いい。

もう読むのやめた、なんてことは言いませぬ。ただ、しばらく眠らせておくっ‥‥。(^^;

というのも、こないだ買った「ドグラ・マグラ」の下巻がどこかへ行ってしまったのが
悪いのよ。おかしいなぁ。いくら部屋の中を捜しても出てこない。部屋が汚な過ぎるのも
あるけど。(^^;(^^;

先週の土曜日。昼過ぎだったかな。東京で(秋葉原で)人に会う約束をしてたので、
津田沼へ行って。上巻を読み終えそうだったので、下巻を買っておこうと、例の昭和堂で
下巻をさがし、レジに持っていったのよ。カバーを掛けてくれたおねえさんが、本を私に
差し出すときに、パッて私の顔を見て。忙しそうにいつもしてるし、そんなことはまず
ないから、一瞬ドキドキしてしまったんだけど、多分、彼女も「ドグラ・マグラ」が好き
なんじゃないかなぁ。それで私が「ドグラ・マグラ」の下巻(!)を買ったのを見て、
きっと嬉しかったんだと思う。だって、私の顔を見つめておねえさん、目が光ってたもん。
いまにも話しかけてきそうな感じというか。

私の思い過ごしだろうか。最近、自意識過剰かな。あんまりいいことないから。(^^;(^^;

もう一冊買うしかないのでしょうか。「ドグラ・マグラ」下巻。てもとにないと、
無性に読みたくなってくるから、不思議。ねぇ。

新しく買ったATのケースの、電源のファンがうるさい。カバーをしてないせいもあるの
かも知れないけど。電源だけ、前のケースと入れ替えてしまおうか。難しくないよね。
ちと面倒だけど。