1996年10月

●平成八年

・10月×日

映画「息子の告発」を見た。ビデオで。見た人いるかな。父親を殺した自分の母親を
殺人罪で告発する息子の物語。一応、対立概念としては「親子の情」と「正義」
みたいな感じになるのだろうけど、それだけじゃないな。
女の、いや人間の業とでもいうべきものを扱おうと試みている映画ですね。
映画の出来は、いいか悪いか、分からない。本当に分からない。思わず、
自分の身近で、この映画を見た人を探してしまった。誰もいなかった。
もしいたらメールください。

書き忘れてた本の感想。『イノセント ワールド』と『医学生』。
『イノセント‥‥』は、もういいよ、って感じ。少しの共感も持てず、
楽しめも出来なかった。この小説のような少女たちが現実に存在して
いるのだろうということは、存在に難くないのだけれど、わたしがその
ことに関して、どのようにcommitしていけばよいのか分からない。

『医学生』は、タイトルどおり、国立大学の新設の医学部に入学した
4人の学生の姿を時間を追って描いている。淡々としている。ま、いろいろ
事件もないこともないのだけれど、皆んな成長して今はお医者さんになってる
という話。小説としての完成度といったら、どうなんでしょ。作者は本当の
医者なんだそうだ。まあ、そうなんだろうな。そして、なんと芥川賞作家だ
そうだ。これはびっくり、‥‥なんて、失礼かな。

そうそう、小説の内容で一つ驚いたのは、この小説に描かれている何十年も
前から、末期ガンの患者に対して「安楽死」治療が施されていたということ。
それを作者は「人間的である」と評しているということ。
このことの直接的な是非はともかくとして、こないだ事件になってた京都の
病院の事例とは、全然違う問題なのかなぁ。それとも医療現場では、安楽死
治療など、当然のことなの?


・10月5日(土)

仕事で鹿児島へ。陸上の全国大会。棒高跳びの記録係を担当していた
鹿児島大学陸上部の女の子が、可愛かった。
西原安希さん。確か、そんな名前。もしコレを見たら、メールください。
こんど写真撮りに行きます。安希って書いて「あき」って読むのかな。
イイ名前だな。うん。


・10月9日(水)

昨日、仕事で外にいた。雨が降っていた。すぐそばに、目が覚めるような赤い
布の傘を差している女性が立っており。その布の傘は撥水加工をしてあるようで、
次から次へと降ってくる雨をはじいては流していた。それをじっと見ていた。
ああ、と思った。いつまでも仕事に、会社員であることに馴染めない自分を思った。
そのすぐあとで、雨がわたしなのだろうか、それとも、
傘が私? どちらがはじかれているのだろう。
そんなことを考えた。


・10月10日(木)

岩井俊二監督「LOVE LETTER」を借りて見た。
皆んなが、すごくイイ、イイっていうから、借りてみた。
‥‥イイか??
なんか、「スワロウテイル」をみたときにも感じたんだけど、なんだか、
この人の作品て、一本筋が通ってないというか、いや、ストーリー展開は
勿論しっかりあるし、一つひとつのエピソードも素敵なんだけど、
見終わったあと、何か残るものが少ないというか。そんな気がする。
どうでしょ。

↑なんだかとりつく島もない、といった書き方になったかいな。
あとで岩井俊二監督の熱烈なファンに責められると困るから。

好みの問題でしょう。‥‥多分。私は映画というものは中身が第一で、
映像は二の次だと思ってますから。

ん? ますます誤解を生む書き方だな。いやいや、ホント、好き嫌いの
問題ですよ。ちなみに、私が今まで好きな映画は、「芙蓉鎮」とか、
「レオン」とか、「伽耶子のために」(「耶」の字はホントはニンベンつき)
とか。あとなんだろ。あ、「バタアシ金魚」!!!


・10月13日(日)

会社に持っていく本を捜してたら、ちょうどいいのがあった。読みかけだった
『ジェファーソンの死』。原題は"A Lesson Before Dying"。
テーマの割に、文章が淡々としていて、あんまりのめり込めなかったけど、
やはり最後の方の、二人の感情のやりとりは良かった。ただ、ジェファーソンの
書いたノートの文章は、『アルジャーノンに花束を』を思い出してしまったが。


・10月14日(月)

天神にオープンしたZ-SIDEの本屋で、ほしかった本を何冊か買う。
レジにカゴがあるのが、助かる。何冊も本を手に抱えて別の本を捜すのは
どうも具合が悪いから。

話題になってた『複雑系』と、『アーレントとハイデガー』を購入。
捜してた『イエスとは誰か』『闇に消えた怪人』『石川啄木と朝日新聞』は
見つからなかった。うーん、残念。
丸善のホームページで申し込んでおこうか。

今日は夜中に、ある作文の締切があり。あわてて仕上げたけど、締切の12時を
過ぎてしまった。メールは送ったけど、受け付けてもらえるだろうか。うーん。
ま、ダメだったら、また頑張ろう。


・10月24日(木)


「レオン 完全版」を見た。KBC北天神。今日、会社が休みだったので、
昼過ぎまで寝てて、確か2時55分からだったから、と思って、始まる1時間くらい
前に家を出て。近所の、藤崎バスセンターまで歩いて。百道と都市高速を通って
天神に出るバスが気に入ってるから、それに乗ろうと思って待ってた。
けっこう本数があるので、意外に早く目的のバスはやってきた。

那の津口だっけ、KBCを少し過ぎたところでバスを降り。で、映画館の前まで
いって時間を見たら、次の回は15:55からと書いてあり。うそぉ、14:55の
間違いじゃあないの? これから1時間半も、どこで時間をつぶせばいいのだ??
と打ちひしがれてしまったのだけれど、ま、仕方がない、何とかしよう、と思い。
いくつかの銀行、具体的には福岡シティ銀行と三和銀行に行って、お金の振り込みを
済ませ、そのあとイムズの丸善で写真集をながめ、そのあと、ビブレの紀伊国屋に
行き、またもや写真集コーナーへ。飯沢耕太郎さんが編集した『東京写真』と、
日比野宏著『エイジアン ガール』を購入。『東京写真』の方は、けっこう有名で
ま、いつか買おうと思ってた。牛腸(牛腸茂雄)の『見慣れた街の中で』の
カラー写真も何枚か入ってるし。『エイジアン ガール』の方は、完全に
衝動買い。一見なんてことはない写真が何十葉か収められていて。でもよく考えたら
この「なんてことはない」笑顔を(数多く)集めるということは、ある意味で
至難の業であり。うん。私が目指しているものと実は軌を一にしており。
気持ちの良い写真集ですね。ちっとも話題にのぼった記憶がないのですが。

でもやっぱり、アジアを旅したいよね。どこへ行っても誰かの後追いになることは
分かってるんだけど。でも、何かを成すために行くのではなくて、自分を作るため
に欠くことの出来ない旅であるというか。最低、一年に一度、一ヶ月くらい、そんな
ペースで旅したいよね。そうでなければ、早晩、煮詰まるよ。他の人はどうか、
知らないけど、少なくとも私はそう。ほら、飽きっぽいから。愛は永遠だけど。

で、やっと、「レオン 完全版」。良かったです。もう少し細かいことをいえば、
最初からこっちを見たかったな、って感じ。付け加えられた22分以外は当然に、
一度見た映像が続くわけで。飽きっぽい私としては、ちと長いなぁ、なんて
不遜なことを思ってしまった。ごめんなさい。ベッソン監督。

でも、興行的にいえば、アメリカでの成功を考えれば、最初に公開されたので
行くしかなかったんだろうね。マチルダがレオンに迫るシーンも許されなかった
というし。それでも、完全版を公開にこぎつけてしまう監督の執念に喝采を
送りたい。物を作る者として、見習うべき大事な点だと、しみじみ思う。
ホントに。


・10月26日(土)

弥生ちゃんにもらった『オレンジの壺』(宮本輝著)を
読んでる。今、下巻の2/5くらい。実はコレって、昔私上巻を買って、少し
読んだ。でもすごくつまんなくて、数十ページ(ホントは十数ページ)で、
読むのやめた。今回は何とか続いてる。でもね、昔の輝さんの小説、錦繍とか、
優駿とか、道頓堀川とか避暑地の猫とか、青が散るとか、あの辺の小説の、
きらめきを感じることが出来ないのは、なぜだろう。私が彼の「成熟」について
ゆけないのか、それとも別の理由があるのか。

今日中に読み終わる予定。
キチンとした読後感は、また後日。


・10月27日(日)

夜中に読み終わりました、『オレンジの壺』。んんん、結論からいうと、イマイチ。
何でかなぁ。輝さんのほかの、よすぎる作品と比べてしまうから? でも、そりゃあ、
比べるよね。だって、感動したくて読んでるんだから。

どうも、主人公の女性が、あまり魅力的に思えない。外国に行って、登場人物が
不必要に多くて、一人ひとりの人物像が全然見えてこず、感情移入が出来ない。
設定が、「お金持ち暇だから旅してみました」系で、ついてゆけない。すぐ
軽井沢とか出てきちゃうし。全然、物語に必然性が感じられない。エジプトとか。
ストーリー(というか、種明かし?)が凝りすぎてて、面白くない。

ちと、酷評しすぎましたけど、でも本当のことだから仕方がない。
クラッシイとかいう雑誌に連載されてたらしい。何年間にもわたって。
うわぁ、最初から最後まで読んでた読者っているのかなぁ。コレ連載終える
までに、どれだけの収入になるのだろう。なんか、どーでもいいけど。
それにしても、期待を裏切られた辛さは、けっこう重いゾ。>輝さま。

何か文句ある人いる? いないよねっ。


・10月29日(火)

ちと友達に会いに東京へ行って来ました。地下鉄の駅なんかで、どうしても
目がいってしまうのが、女子高生の足もと! 今話題沸騰中の(ホントか?)
ルーズソックス!! でもあれって、僕が女子高生だったら何かだらだらしてて
あんまり穿きたくないだろうなぁ。あれって一番上をソックタッチかなんかで
止めるんでしょ。ソックタッチも何んか薬品ぽくて、出来れば足には塗りたくないし。

そんなことはどうでもいいんだけど。

行き帰りの飛行機の中で(ホントは「行き」だけだけど)、こないだ買った
『石川啄木と朝日新聞』を読んでた。(太田愛人著 恒文社刊)
コレって副題がついてる。曰く、~編集長佐藤北江をめぐる人々~。
実は著者はホントは東京朝日新聞の編集長をしていた佐藤北江のことを
書きたかった。悪くいえば、啄木はダシに使われたきらいがないこともない。
具体的にこの事実を証明しようと思う。本文215ページの中で、啄木の
ことを中心に書かれた部分は79ページ。Windows95付属の電卓で
計算したところ、これは本文全体の36.7%に相当する。タイトルのわりには
あまりに少ないと言わざるを得ない。では、このほかには
何が書いてあるかというと、副題にある、佐藤北江のこと。第四章から順に、
北江の来歴、めさまし新聞から東京朝日へ、北江の活躍、北江の死、と続く。

なんだか釈然としないなぁ。著者が佐藤北江の人生を世に知らしめたい、と
考える気持ちは分からないでもない。本文中、何度もあらわれるように、
佐藤北江との出会いがなければ、啄木は歌人として成功しなかったであろうし、
彼の名が世に知れ渡ることもなかっただろう。それはよく分かる。

また、エピローグ--あとがきに代えて--として記された(ところで、エピローグと
あとがきはどう違うのでしょう)文章の中で、佐藤北江の功績について触れた、
司馬遼太郎さんの「徳」と題した随筆が紹介されている。佐藤北江という人は
本当に、埋もれさせてしまうのは惜しい人物だということが強く伝わる。

だからこそ、だ。『石川啄木と朝日新聞』というタイトルは避けるべきだったのでは
ないか。佐藤北江のことを書くのだったら、それを堂々と題名にすべきだ。
羊頭狗肉などとは言いたくないが、読み終わってからの、後味の悪さは、
如何ともしがたい。だいいち、この書籍のもとになった、朝日新聞岩手版連載の
タイトルは「新聞人佐藤北江」だったそうではないか。

多分、『石川啄木と朝日新聞』という題名は、出版社のこざかしい編集者の
入れ知恵だろう。石川啄木の名前を謳えば、部数倍増は間違いないからだ。
著者も内心忸怩たるものがあったかもしれない。でも、多くの読者の目に触れる
ことが先決と考えて、自分を納得させたのかも知れない。

いずれにしても、本のタイトルは、内容に即したものが好ましい。
そうでないと、NIFTYの一般掲示板のように、どぎついタイトルに惹かれて
本文を表示させ、見出しと中身のあまりの違いに辟易し、まただまされて、との
思いを強くし、読者である我々の中に、免疫が出来てしまうかのような結果になる。

そういうことで、以後よろしく。(何がだ、の声 若干あり)


 

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