画像整理という苦行

ここんとこずっと撮影が続き、僕にはよくあることだが、後回しにしてたらどんどんやらなきゃいけない画像整理が溜まってとんでもないことになって。

その溜まっていた画像整理を昨日いっぱいと、そして今朝はやく起きて片付けて、ものすごい解放感に浸ってるとこ。ここだけの話、土曜日の幼稚園の運動会が7000枚近くあるんだけど、それはまた別の話。笑

きょうは撮影も、夜の村上(の個別指導塾)もないので、最近仕事ばっかりしてて疲れも溜まってるし、少しゆっくり寝ようと思って、その前に琥珀色の気付け薬を氷で割って飲もうと思って、あれ、なんか最近こんなことがあったなあ、と思ったら、ちょうど一週間前、先週の月曜日もまったく同じようなことをしており。ただ、先週の月曜日は夜、村上がCDコマあったので、なかなかキツかった。つい朝、飲み過ぎてしまい。まあそんなことはどうでもいいのだが。

僕のことを知っている人ならば、僕が撮影は大好きだけど画像整理は死ぬほど苦手というのをよく知ってると思う。だって撮影は目の前に魅力的な被写体がいて、その被写体たる人物とコミュニケーションを取りながら、魅力的な笑顔を引き出しながら、あるいは連写でシャッターを切るタイミングを測りながら、ほんの少しでもいい写真を得ようとするクリエイティビティがある。けど、画像整理ときたら、撮影された写真を残すか消すかの二分法で、創造性のカケラもない。しかも、写真屋とか行事の種類とかによって残すか消すかの見えないボーダーラインは上がったり下がったりする。基準が自分の中なのか外なのかわからず、見えない敵と戦っている不安にさいなまれながら、出口のないトンネルを手探りで歩くような感じで作業を進めていかなければならない。

でもね、昨日だったか、一筋の光明が、見えた気がするのね。まだ過渡期だし状況は混沌としてるのでハッキリしたことは言えないんだけど。でも、コツというか、心構えの基本みたいなのが見えてきた気がする。twitterとかインスタのストーリーズとかfbにも断片的には書いたかな、ひとことでいうと、創造性がないと思われていた画像整理に価値を見出すというか。

僕はずっと昔、雑誌の編集者をやってたことがあって。デジカメ雑誌の編集部が長かったんだけど。んで、ページの大体の内容を決めて、ライターさん(カメラマンさん)に写真と文字原稿を発注するんだけど、こっちの見当ミスその他の理由で文字原稿がイヨーに長く届くことがある。こっちの見当ミス以外の理由としては、ライターさん(カメラマンさん)がなんらかの理由でこちらのお願いした文字数を遥かに超過した文字原稿を送ってきてくれたりすることもあり。

あるていどテキストエディタで短くしてデザイナーさんに送るんだけど、やっぱり長い原稿はあふれるわけ。雑誌になったときに空白になる、ページの下部とかに溢れた原稿を流し込むボックスがあって。そこに浮かばれない溢れた原稿が溢れてる。僕ら編集者は泣きながらInDesignとかでその文字原稿をしこしこ削る。泣きながらね。僕なんかは皆さんご存じのとおり優柔不断な性格で、でも最終的には泣く泣く原稿を削るわけですよ、溢れたボックスを空にするまで。そういうときに思うことは、たぶん編集者ならみんな一緒だと思うけど、必要量だけ原稿を削らないと雑誌の記事ページとして成立しない。だから削って空に溶けていった原稿もきっと報われるに違いない。あえて言葉を選ばずにいうと、成仏したに違いない、と。

生きるも仏、死ぬも仏。

なんの話だっけ。上に書いた編集者時代の苦闘、カメラマンを長くやっていても忘れることはひとつもないんだけど、でも画像整理はまた別の種類の脳味噌を使うわけで。文字と違って画像だし。しかも他人の原稿じゃなく、自分で撮った写真だしね。でも、方程式は一緒だよね。消して捨て去る画像にも、命は宿ってる。いろんな意味で、彼らの存在があるからこそ、残される画像が活きるわけで。

そんなことを、ようやく学びつつある。いままでは4000枚、5000枚という、自分で撮った写真の枚数の多さに怯えてしまっていたものだが、案ずるより産むが小野ヤスシの箴言のとおり、えいやっと始めてしまえば、そんなにたいした作業ではないわけで。とくに画像整理の作業を始める前に、がっつり30分、1時間って祈れば、頭はスッキリして脳内の梗塞予備軍はストッと抜けて脳味噌のあらゆる部分はそれぞれにガシガシ仕事を始める。それがすごいと思う。

ここからが本題だけど(笑)、僕は昔から、人間の真の生きる意味というのは人のために尽くすことにあるのだ、みたいな言葉を聞いて、ああ、なるほど、たぶんそうなのかもね、って反発はしないまでも、でも自分の腑にストンと落ちるというのには程遠い状態だった。でも、この日蓮仏法を実践し、人生の師匠の著作を読み深めるにつれて、だんだんその本当の意味がわかってきた。

簡単に言うと、人間をはじめとして、すべての生き物は、自分で願ってこの地球上に生まれてきたのよ。この地球もそうだし、宇宙全体がまさにそうなんだけど、この宇宙じたいがひとつの生命体なのであり。なので喩えていえば、宇宙と僕ら人間の関係をいうと、僕と僕が毎日せっせと出産しているオタマジャクシの関係であり。あ、喩えとしては不穏当でしたね。笑

それはそれとして。僕はよくバスケットボールの試合を撮るんだけど、レギュラーのメンバーがいて、補欠のメンバーがいて。補欠のメンバーも、でもいつ監督に「行ってこい」っていわれてもいいように、試合に出てないときは全力で声を出して自分のチームの応援をしてる。で、監督に呼ばれて、そのときがきたら、全力でふだんの練習の成果を発揮する。うまくいくかどうかは、だれにもわかんないけど。

僕ら(=いのち)って、まったく一緒だと思うんだよね。ふだんは宇宙に溶け込んでいて(冥伏していて)、なんかの拍子に生命というかたちで物理的な肉体を得てこの地球に降り立つ。

何度も同じことを書くけど、宇宙の願いっていうのは、
・命を育みたい
・命を生み出したい
・生きとし生けるものを幸福にしたい
この3つだと思うから、宇宙に生み出された我々の使命というか仕事というかやるべきことというのは、まったく同じなわけで。

人間以外の動植物が本能のままに生きている、というのは、考えてみれば宇宙の思いをそのまま体現してるわけで。人間だけが、自由すぎて、宇宙の意思、宇宙の願いを平気で裏切る。

だから人間には宗教が必要なんだね。人間以外の動植物に宗教が必要ないのは、そういう理由からであり。

なんの話だっけ。イオン謹製の琥珀色の気付け薬、そんなに不味くないです。ふだん仕事の合間とかにこれだけ長文を書くのはなかなか至難の業だから、イオン謹製の琥珀色の気付け薬、勲一等ってとこかな。600円の元は取れたと思う。おやすみなさい。

上に書いたようなことがわかったので、僕はいつ死んでもいいと思ってる。来世はベトナムかブラジルかインドに生まれてきたい。そしてこの仏法を自分の身のまわりの人たち全員に教えてあげて、その尊い一生を終えたいと思う。

いつものように、なんのオチもありませんが。笑

人間の美しさと醜さを

先週の金曜日に撮影を行った千葉市の南のほうに位置する県立高校の体育祭の画像整理、ようやく先ほど、終えることができた。卒業アルバムその他の都合で、学年別にフォルダ分けする必要があって、まずは競技ごとのフォルダを作って、複数学年が参加してる競技については、あとから個別に学年分けを行い。

そこまでやったのが、昨日の午前中だったか。

この週末はいろいろ忙しくて、ずいぶんいろんな人に会ったし、Instagramでもいろいろ失敗をしでかし、というのは、僕が人を好きすぎることにすべての原因があるのだが、あとは埼玉県川越市に住む友人に、わざわざ地元で行われる寄り合いに参加していただくために、来てもらったり。なので当然、帰りは京葉道、外環道、そして関越道を経由して、友人を自宅のそばまで送り。

一切世間の治生産業は…

昨日行った、うちからいちばん近い県立高校の体育祭の画像整理、学年別のフォルダは完了。あと全学年が混ざってる種目の画像が4000枚くらい残ってるけど、続きは明日。

あたしはSNS、twitterとインスタとfbをやってるけど、これはやはりfbに書こうと思った。え、なにかって?

んとね、いきなりこいつは何を言ってるんだ、と思われる方が大半だと思うけど、なんか画像整理してて、あ、これって仏法なんだな、って思ったんだよね。

わけわかんないですよね。高校生が晴れ渡った秋空のもとで全力で走ったり、クラスみんなで縄跳びを跳んだり、騎馬戦でぶつかり合ったりしてる姿を、デジタル一眼レフに高倍率ズームをつけてバシャバシャ連写して、その画像データをパソコンに吸い出してフォルダ分けして画像を取捨選択して、っていう作業全体が、仏法だな、と。

仏典に「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」ってあるけど、まさにそうだなと。そして僕が大して儲からないのにスクールフォトの分野にこだわって、全力で頑張ってる若い人たちの姿を写真に収めてるのって、このためなんだよな、って思った。

きょう、某写真屋さんのエースといっしょの現場で、卒業アルバム用のほかに販売用としても撮影画像を活用する、という話になり。具体的には、生徒の皆さんが卒業後にネットで販売するんだって。へえ、そうなんだ、って思った。

リレーで全力で走ってる高校生たち、ものすごくキラキラ輝いてた。僕は昔から不思議に思ってることがあって、まあ写真をやってる人たちにとっては当たり前というか、よく知られた事実だけど、写真って時間と空間を切り取る作業なのであり。空間を切り取るというのは、自分からレンズを向けた方向のある一定範囲の空間であって、異なる位置からはまったく違う構図になるわけで。偶然といえば偶然。たとえばリレーのバトンを渡すシーンでも、カメラマンがどこに陣取るかによって、撮れる写真ってまったく違ったモノになるわけで。つまり同じシーンを見ていても、僕の撮った写真と同じ光景は、たぶん僕以外は誰も見ていない。それに、写真って静止画だしね。現実の一部を切り取るとはいっても、切り取ろうと思って切り取ることで出来上がる写真というのは、もともとは現実の一部だったかもしれないけど、現実の一部にすぎないというのではないわけで。そこにたぶん写真をやる意味ってあるんだと思われ。

僕はセンスも野望もないのでアートとしての写真とかはあんまり追求してないんだけど、職業カメラマンとして、身近な被写体というかお客さんに、えー、っていうささやかな驚きを届けたいと思ってる。リレーでものすごいいい表情で全力で走る高校生たちは卒業後にネットで目にする自分の勇姿に、あ、あのカメラマンのおっさん、こんな自分の姿を写真に残してくれたのね、ってちょっとだけ嬉しい気分になるかなと思うと、こっちもうれしい。

「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」っていう言葉もあるけど、ほんの少しの違いだと思うんだよね。自分と自分の家族の幸せばっかり考えて人生を過ごすのと、他人とか他国とか世界全体とかの幸福をほんの少しでも考えて生きるのと。

あんまり関係ないけど、僕はこの地球でいちばん大好きな女のインスタのストーリーが見れるようになって死ぬほど嬉しい(こないだ会ったとき、見れるようにして、とお願いしたわけだが)。人はこれを功徳というのだろうか。笑

あいかわらず論旨がぐじゃぐじゃですが。明日は柏の小学校の運動会。明日も頑張る。

銀塩カメラ…

さっき敬愛する写真家の先輩であり飲み友だちのKさんとLINEで話してたんだけど、あたしは残念ながら、銀塩カメラには、これっぽっちも興味ないのです。ごめんなさい。

たとえていえば、「オグラくん、古代バビロニア語の動詞の活用がさ…」と言われてるのと、僕の中では大差ないのです。本当にごめんなさい。

僕はとにかく、写真が好きなのです。写真を撮るのが好きなのです。とくに、人の写真が。銀塩カメラが純粋にメカとして魅力的かどうか、という話はあると思いますが、僕にとってカメラは写真を撮る道具で、それ以上でもそれ以下でもない。古いカメラを愛玩する趣味もない。

うーん、5万歩くらい譲っていうと、オグラさん、こんど銀塩カメラを持って、旅に出ていただけませんか。目的地はどこでもいいですよ。ギャラは、そうだなあ、一千万円でどうですか、ってオファーがあったら、イヤイヤながら、使うかな。だけどお察しの通り、僕にそんなオファーが来るのは4億年くらい先のことだと思われ。笑

こんどの土日、八千代市の村上を流れる新川と、それけら勝田台でお祭りがあるんですよね。そこでたぶん、塾の教え子、元教え子の方々といっぱい会えると思うので、もしよければ、写真を撮らせてもらおうかと思う。そしてその写真は、なんらかの方法で、彼らに届くようにしたい。というか、する。

むかし、小泉今日子が、紅茶じゃなくちゃダメなんだ

って名文句を吐いてたけど、

あたしにいわせれば、銀塩じゃダメなの。なぜかというと、あたしにとって写真とは、ほぼコミュニケーションの道具だから。自分と世界との距離を測る、巻き尺みたいなもんかな。

いいこというな、オレ…

(x x)☆\バキッ

写真屋を切った。二日以内??

去年から仕事をするようになった写真屋があるんだけど、今日を最後に仕事を受けないことにした。理由はいろいろあるんだけど、ひとことでいうと、外注カメラマンを大事にしてないのが透けて見えるってとこかな。納品は「2日以内」っていうんだけど、それって撮影の翌々日まで、ってことだよね?と思って、そうしてきたけど、念のため、と思って聞いたら、何があっても「撮影の翌日までに」納品せよ、だとさ。そのくせ、ギガファイル便とかで送るときは、保存期間を14日以上にしろってシャラっと言ってて、なんだそのダブルスタンダードは、と笑ってしまった。
あとは、前にも書いたと思うけど、撮影が客というか相手の学校の都合でなくなるのはよくあることだから、そのこと自体は仕方がないと思って理解してる。問題は撮影がなくなってもすぐに連絡してこないこと。こちらで日程確認のメールを送ったら、あ、その日は撮影はなくなりましたとか平気で言う。まぢで死ねと思うゎ。こういうところに、その写真屋が外注カメラマンをどういう存在としてみてるかが如実に出るのだよ。百歩譲って、写真屋の側に立って考えてみると、繁忙期はすごくバタバタしてて、撮影の予定がどんどん入ってきて、天候にも左右されるし、向こうの都合でも頻繁に、撮影の予定がなくなったり延期されたりする。だから、仕事を頼んでいたカメラマンについうっかり撮影がなくなったことを連絡するのを忘れてしまうことも、たまにはある。ってことなんだろうけど、逆の立場になってみたら、われわれフリーのカメラマンが、どんなに忙しくてバタバタしてても、一度受けた仕事の日取りを忘れて撮影に行かなかったり、ほかの仕事を入れてしまったりしたら、どうなると思う? あっという間に信頼を失って仕事なんか来なくなるぜ。どうしてそれが、仕事を出す側だと許されるのだ? 許されると思っているとしたら、まぢで死んだほうがマシさ〜 by トシちゃん
たぶん、これだけ仕事を恵んでやって、カネもいっぱい払ってやってるんだから、多少のことは目をつぶれよ、我慢しろよ、って思ってる。間違いなく。写真屋に雇われてる会社員の方々はそのことに無自覚だけど、われわれ虐げられる側の人間は、痛いほどそのことを感じるのだよ。クツの裏の凸凹や砂利の感触までも。
他にもあるんだけど、これ以上は書かない。フリーを長く続けてると、あ、なんかここはアカンぽいな、というのはわかるようになってくる。まあ、まさに野性の勘てヤツ。そらそーだよ、フリーて現代における野良猫だからね。ヤバそうなヤツからは一目散に逃げるに限る。
今日は埼玉・蕨の小学校の50周年の記念式典だったんだけど、風船を空に飛ばしたんだよね。もちろん土に戻る風船。で、子どもたちが昇降口から教室に戻るときに、あ、カメラマンさんだ、って声をかけてくれる。そこで、どうして風船を飛ばしたか、わかる?って聞くと、みんな、わかんない、って。
みんなの将来が、天空に空高く舞い上がるようにって願いを込めて、だよ、っていうと、そうなの?って。そうに決まってるじゃん、ってダメ押ししておいた。誰か先生が意義を話してくれたらいいのにな。
まあ、いいや。しばらく小学生の集合写真を撮る機会はないかもしれないけど、そのうちまた、別のカタチで撮ることもあるでしょう。
さらば!
追記。
撮影した画像の納品の締め切りが撮影翌日っていうのもアレなんだけど、何年も、あるいは何十年も「2日以内」という意味を取りづらい、あるいは誤解を生みやすい言い方でやり続けてきた、その姿勢にこそ、僕は嫌気がさしてたんだと思うんだよね。穿ち過ぎかもしれないけど「撮影の翌日まで」っていうよりも「2日以内」っていったほうが、なんかハードルが低いように感じさせるような。そんなことまで考えて、「2日以内」という言い方を続けてきたのだとしたら、犯罪的とすら、思う。あと、言い方ね。昨日、責任者?の男が電話してきて、2日以内というのは翌日ということだ、と言い、申し渡した以上はいまからそれでやれ、ほかのカメラマンはみんなそれでやってる。できないのであれば今後の仕事の発注は考えなければいけない、みたいな脅し文句をアレするから、上等じゃん、てなるわけで。
まあ、同じ結論にしかならないけど、会社の体質ってそうそう変わるもんじゃないし、こらアカンと思ったらすたこらさっさと逃げ出すしかない。それがフリーの唯一ともいえる特権なんだよ。森のクマさんのお嬢さんになった気分。笑
「わら」って打つと蕨の文字が変換候補に出てきて、しばらくは昨日の楽しかった撮影を思い出すんだろうな。蕨

日にちの間違いw

さっき茂原から帰ってきた。笑
ミニバスの撮影で茂原の小学校に行ったら、7時半に、まだ門が開いてなくて。まだ早いのかな、と思ったけど、イヤな予感がして、もうひとつの会場の茂原市民体育館のホームページを確認したら、ミニバスは明日と明後日のようで。すぐに写真屋さんのおにいさんに電話。「私のミスです」と。ギャラの半額とガソリン代でまとまった。

まあ、この仕事をしてると、この手のトラブル?ってごくたまにある。とくに個人でやってるような小さな写真屋さんの場合は。まあ、たまに大手の写真屋さんでも、担当者が日程を勘違いしてて、ってことがあったけど。その担当者はすぐに違う部署に行ってしまいましたとさ。ギャラは全額支給してもらったので誰も不満はない。笑

それはそうと、率直に謝罪してくれたのもあって、不思議と腹は立たなかったな。そう、この写真屋のお兄さん、こないだもここに書いた、人使いが荒い例の方ですが、不思議と憎めない。人間的に、どこか愛嬌があるというか。

これが、こないだ関係を絶った空撮系の写真屋とかだと、たぶんめちゃめちゃ激怒して、電話でガンガン文句言ってるんだろうな。いや、そうでもないかな。最近オグラさんも気が長くなって仏のオグさんっていわれてるもんな。もうすぐ死んじゃうんじゃないかって。笑

いやけど、昨日までの長距離移動でヘトヘトだったので、今日の撮影が飛んでホッとしてる。明日明後日は画像整理にあててるので、今日は体を休めます。朝からイオンで冷凍のシーフードミックスと、あとオレンジ色の元気が出る液体を買ってきた。しかも2本も。サクッと飲んで、また寝て、夜は某飲み友だちの石渡さんと某あじよしで密議の予定。全然某じゃない。笑

高速道路を700km

しかし、昨日と今日で高速道路を700kmくらい走ったと思うんだけど、高速の運転って、ホント意味ないと思うんだよね、ずっと前から思ってるんだけど。意味ないというのは言い過ぎだけど、なかなかシンドイ。だって、信号はないし、歩行者が飛び出してきたりしないから、ホント早く自動運転を実現させてほしいよね。

昨日は自宅から外環道を行き、練馬で同僚のカメラマンを拾い、関越道で新潟まで行ったけど、彼がまたやたら無口で、運転してて退屈で眠いのなんのって。高速道路って道も単調だし、景色も単調だし、広告や看板があるわけじゃないし、つまり刺激がイヨーに少なすぎて、眠くなる。ネットで調べたら、そういう研究結果が出てるんだってね。高速道路の長距離の運転で眠くならないための工夫って、もっとされてしかるべきなんじゃないのかなあ。ドライバーの側の自己管理もアレだと思うけど。そういえば、よく考えたら、よく乗せてもらう先輩カメラマンの方は、いつもAMラジオをずっとつけてて。つまんない話してるなあと思って聴いてたけど、あれはたぶん、ドライバーさんの眠気防止のためなんだ! きょう気がついた。音楽よりもおしゃべりのほうが刺激になるもんな。

そう考えたら、落語とかいいかもね。できれば初めて聴くヤツがいいかも。映画もいいかもしれないけど、映像がないほうがいいかもね。

まぢで死ぬかと思った

まぢで今日は死ぬかと思った。埼玉の荒川の河原で小学生の野球大会。4フィールド×4試合、計32チーム。最初は見本写真を送るために住所や名前を記入していただく用紙をすべてのチームに配布して回収せよ、試合のスナップも撮れる範囲で撮れ、という指令だったのだが、昨日の夕方メールが届いた段階でヤバそうな気配がしてゴネたら住所の用紙は15チームに減り。あとのチームは過去のデータがあるから、と。だったら最初からそうしてくれよとちょっと思った。まあ、最新のデータじゃないと見本写真がちゃんと届かないかも、というのはもちろんわかるのだが。

予定通りに8時半に行ったら、1試合目のチームはすでに練習してて。思わず写真屋の代表に電話して、集合写真はいつ撮るんですか、って聞いたら、練習を中断して撮らせてもらえ、とのことで。あたしはあんたみたいに図々しくないから、そんなお願いはできないよ、と思いつつも、各チームに頼んでみたら、奇跡的に1チームだけ、試合前に撮影に応じてくださった。残りの7チームは試合後。4つのフィールドをぐるぐる回って、すでに集まりつつある2試合目のチームに声をかけて集合写真を撮り。どこの試合が先に終わるか、ハラハラしつつ。

当たり前のことだけど、室内のバスケやバレーと違って、野球のフィールドは広い! 広すぎる!

24-120とSB-910をつけたD810を首からさげ、ひたすら集合写真の撮れるチームを求めてさまよい歩く。この90kg超の超おデブなカラダを引きずりながら。

あ、そうそう、例の死ぬほど面倒くさい住所を記入してもらう用紙、最初は配布して記入してもらってたんだけど、いただいたパンフレットにいまどきめずらしく各チームのスタッフ数名の住所と名前と電話番号が記載されていることに気づき! 涙が出るほど嬉しかった。

というわけで、あとはプリントアウトしてきたチームの一覧表に撮影済みの印をつけながら、ひたすら撮ってないチームに声をかけまくる。

けどね、昔はなかなか撮れないとすぐにイライラしたもんだけど、いまはそんなこともまったくないわけで。どんなことを言われてもニコニコして、はい、わかりました、ありがとうございます、と心の底からの笑顔で応じる自分がいる。俺も成長したなあ。だってさ、商売で写真を撮らせていただいてるのはこっちの勝手な都合なのであって、選手たちやスタッフの方々には撮影に応じる義務なんて、これっぽっちもないわけで。向こうがどんなことを言ってきても、こちらとしては、ただひたすらそれに応じるしかないわけで。しかない、というか、応じさせていただくのみで。だってこっちがお願いしてる立場だし。まあ、こんな当たり前のことに気づくのに51年も人生を浪費してしまったオグラさんてバカね、とお思いでしょうけど、これからは頑張りますよ。

というか、今日は本部のおじさまたちに恵んでもらったアクエリアスも含め、自販機で買ったポカリスエットとか、たぶん合計4L以上は水分が僕の体内を駆け巡っていった。まぢで暑くて少し歩くとバテバテで、ホントに熱中症で死ぬかと思った。

あ、そうそう、1試合目の途中でまぢでキツくて「このままだと死ぬ」と身の危険を感じ、撮影を途中で抛擲して帰ろうと思った。写真屋の代表に電話して泣き言を言うと、試合のスナップは撮らなくていいから集合写真だけはお願いします、と言われ、次の電話では、疲れたらクルマで休んでてもらっていいですから、とかも言われた。いつ試合が終わるかわかんないから、さすがにクルマには戻らなかったけどね。それに、ここだけの話、最初から試合のスナップを撮るつもりは、これっぽっちもなかったよ。笑
32チームの集合写真を撮るだけでギャラ分の仕事はしてると思われ。まあ、いまどき少年スポーツの大会の集合写真がどれだけ売れて儲かるのか、さっぱりわかんないけどね。横でお母さんも撮ってるし。笑

3試合目のあとに2チーム撮って、4試合目の終わるのを待って最後の1チームを撮り。でコンプリート。まあ死ぬほど暑かったし、日差しも死ぬほど強かったので、写りのほうはあんまり自信がありませんが。笑

そか、クリップオンのストロボを強めに焚くからと我々は逆光で集合写真を撮ることが多いけど、スマホとかだと逆光だと潰れちゃうんだよね。別に意地悪してるわけじゃないけども。

そんな感じ。えー、この写真屋さんの真夏の野外の撮影は危険すぎるので、次からは辞退することにしようと心の底から思ったひと夏の経験。笑

しかし、まぢであたしの人生、いままででいちばん死に近づいた実感があったよ。脳梗塞か心筋梗塞か熱中症か、その合併症で倒れて死んでも何もおかしくない、そんな気がしたひと夏の経験。笑

Qiとか

Qiって知ってますか? 北野Qiじゃないですよ。笑

iPhoneも7から対応した、無線充電方式のことですね。これ系って、中国製の製品の独壇場で。Amazonで500円くらいから、いろいろ売ってる。あんまりにも安いヤツを買って爆発しても困るんだけど、まあそういうことも少ないと思われ。

うちにはQiの充電器が3つあって。2階の寝室、1階の和室(仏間)、そして2階の仕事部屋。2階の仕事部屋は、いままでずっと有線で充電してたんだけど、気楽さを考えてQiを導入。コンセントの口は以前Amazonで1コ200円で買った2A対応を謳う充電器コンセント。で、QiのほうはNanamiとかいう、激安のヤツ。んで、この組み合わせだと、どうも不安定で。ケースに入ったiPhoneを置いても、すぐには充電が始まらず。どうも角度とかを選ぶようで。ホントにダメなときはUSBのコネクタを外して挿し直すと、周辺部がピカピカ光って充電可能な感じになる。

充電中も、ふぉーん、ふぉーん、って充電開始したよん、っていう合図の音が時折鳴り響き。うーん、こりゃ不安定すぎてあかんわ。けど買ってからしばらくたつから、いまさら返品ってわけにもいかないよな、と考え。

で、寝室のQi充電器と入れ替えることにした。寝室のコンセント側の充電器はiPad Mini 3に付属してたApple純正の2Aタイプ。Qiは、ちょっとよさげなヤツ。で、Qiを交換したら、どっちもめちゃめちゃ快適。いわゆる相性ってヤツ。相性というか、元の組み合わせだと、仕事部屋のほうは、コンセント側の充電器も弱々、Qi側も同様、ってことで、いうなれば、0.9×0.9=0.81って感じだったんだと思う。それを1.1×1.1=1.21の寝室の組み合わせと半分交換することによってどちらもうまく収まったというか。

なんかしあわせ。

あ゛~、何人かの親しい友人にはカミングアウトしたけど、8/28~9/3、サイゴンに行ってきます。何年ぶりだろ。たぶん、10年以上。サイゴンにはあんまり興味はなく、カントーとか、それより南のほうへ、行ってみようかと思ってます。わかんない、気が変わるかもしれないけど。笑